第二十三羽 「地禮祭 新しい道へ」
町並みに羽ありの数が随分増えて幾日経っただろう。農地では家畜が草を食み、四足の機械が大地を踏みしめ休耕地を行く。水路を流れる穏やかな水音を伴奏に、虫をついばむ小鳥達の歌声が広がる。麦の若芽が風になびき、形を変えながら流れていく綿雲の影が母なる大地に落ちていた。
冬の終わりに西の農地に出来た岩山の回りでは羽ありと羽なしがともに作業をしていた。機械に乗った羽あり、材木や工具を扱う羽なし。かつての諍いなど忘れたかのように、皆が手を取りあっていた。
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間もなく日が暮れようとしている。拍手と歓声に包まれる舞台に備えられた祭壇の最上段には地姫が座し、閉会の時を待っていた。先程までの力強い舞と、目を伏せ穏やかで麗しい微笑をたたえ休む今の姿は、まさに母なる大地を映し出したようだった。
ざわめきが治まらない会場に穏やかな声が通る。今年の地禮祭の終わりを伝える旨を述べる声の主は、この町の長である羽なしの老人だった。ただ不可解なことに老人は祭壇の正面に立っている。会場にいる皆が驚いた。その声はまるで隣に立つ者が語りかけているようにすぐ傍から聞こえているからだ。
「へぇ… さすがおじい様、気が利いてるわ」
唯一平静のままの黒髪の羽ありが呟く。
「みなさん、驚かれているようですな。これは先日不幸にも落ちてしまった浮き島の技術を貸して頂いておるのです」
会場のざわつきは治まるどころかより酷くなる一方だった。しかし町長の声はかき消されることなく一人一人の耳元に届き、住人達に理解を求めていた。
「あのような混乱の中、互いを知らぬ者同士が手を取ることなどできるはずがない。しかたのないこと、極めて自然といえば確かにその通り。せっせと蜜を集め蓄える蜜蜂の群れを、食料を求めた雀蜂が襲う。蟻には移動するさなか、違う群れが出会ってしまうと互いを殺しあうような種類がいると言う。ですが、私達は人間なのです。背中の相違があろうとも、言葉を交わし理解することの出来る人間なのです」
ざわつきは次第に治まり、野次を飛ばすような者は居なかった。壇上の羽なしの老人は舞台の袖に向き直ると手を差し伸べた。一人の羽ありの老人が壇上に上がり、舞台の中央まで来ると皆に向って一礼した。非常に落ち着いた、毅然としたその老人は、落ちたハイランドの代表だという。墜落によって多大な損害と迷惑をかけたことを謝罪した。
「あのような中で困窮した我々が取った行動は、愚かでありました。ただ必死だったのです。指導者であった私も支持得ざるを得なかった。同胞の生命を守るため。他の手段を模索し選択する時間もなかった」
「それで俺たちの命を代わりにしよう、てか!」
そうだそうだ、と怒号が飛び交う。今にも飛び掛らんばかりに殺気立つものが増えている。話は中断され沸点に達しそうな会場の空気の中、ばさり、と大きな音が立つ。音のした方を見ると、二体のゴーレムが纏っていた地禮祭の象徴である四枚の織物が大地に広がっていた。
一体がゆっくりと歩き出し、群集の方に向き直る。片羽の少年の隣にいた黒髪の羽ありはいつの間にか居なくなっていた。
「お願い… 最後まで聞いてください。もう、争うつもりはわたし達にもないんです」
羽を持つ巨人から彼女の声がする。あの強大な力を見ていた人々はそれが暴発した時のことを恐れ、壇上の老人に飛び掛る者は現れなかった。怒号は治まってきたが、一触即発なほどに空気は張り詰めていた。
「…我々は傲岸でした。我々だけで生きている、そう信じて止まなかった。だからあのような不幸な事故に見舞われたとき、それを受け入れられなかったのだと今になって思います。今でも同胞の中には自分たちの存在こそが優位だと疑わない者がいる。ただ空に住み、科学の探求に余念がなかっただけで、アースに住まう方々となんら変わりがないはずなのに。…しかし、強行策を実行した私もそうだったと言わざるを得ない」
ざわめきはかなり落ち着き、今は全てのものが年老いた羽ありの言葉に耳を傾けていた。自分たちが同じように生活の場を追われ脅かされたとしたら、どうしていたのだろう。今までのように空の民を嫌い、排斥することが正しいことだろうか。
「我々のしたことを許して欲しい、とは申しません。我々も追い詰められていたことを理解していただければそれで十分です。これからの私達のあり方を見て、考えていただきたいと、思っております」
責められる者はどこにもいなかった。日が暮れ夕闇が広がる会場は静まり返り、焚かれた篝火のゆらめく光が人々の顔を照らしていた。薪の爆ぜる音がやけに大きく感じられる。長い、長い時間が経った。
「隣に立つ巨人、彼らは浮き島から来た者達です。あの力を目の当たりにした我々は非常に恐怖し、嫌悪しました。しかし、この町を守ったのもまたあの巨人なのです。たとえ語り伝えにあるような鉄の魔物であったとしても、我々と心を交わし理解しあえば滅ぼしあうことは決してない」
言葉を継いだのは町長の羽なしの老人だった。あの時の恐れを誰よりも強く感じたのは町全体への脅威を目の前にした彼だっただろう。一人では守ることなど叶わず、束になっても退けることは出来ず、ただ蹂躙されるしかなく降伏も余儀なしと諦めかけた彼の胸中は察するに余りあって、彼の言葉に異を唱える町人はどこにも居なかった。
「怪我をした者もいる。農地を荒らされ、この町のこれからを強く憂う者が多いことも知っている。が、遺憾に思うだけでは解決しない。そのことはもう皆がわかっていると知っています。だから、受け入れましょう。勇気を持って」
誰かが指示したわけでもなく自然と拍手が会場に広がった。羽ありの老紳士は深く深く皆に向って頭を下げていた。
「今日が地禮祭の日で本当に良かった。誓いましょう、これからの我々の未来を共に開いて行かん事を。母なる大地、父なる天に感謝し、この世界に生きる者として」
それから半年以上が過ぎ、その年の収穫の頃合が近づいている。はじめの条件だった三ヶ月を過ぎても、浮き島の住人達は片羽の少年の住む町で暮らしていた。約束を違えていると言うのに声を荒げる者はなかった。
豊かなこの土地で代々行われてきた確かな農法と浮き島の機械を用いた更なる集約化によって、西の農地が使えなかった今年も十分に、むしろ前年よりも豊作が期待され、誰一人愚痴をもらすこともない。アースの民もハイランドの民も、口を揃えてこう言った。
我々は共に生きていける、恐れることは無い、と。
しかし、いつまでもこの地に留まることはできないと言うことは浮き島の民も承知していた。新たなる地へと旅立つ日が近づいている。
はるか昔に技術が失われ、再建不可能と思われていた光子炉はついに復旧の目途が立ち、彼らの要がよみがえることは空の民に強い希望を与えていた。修復不能なまでに破壊された浮き島に代わる新たなハイランドを作ることは現実的に不可能だったが、空に暮らしていた者達にあった大地で生きることへの不安はすでに消えていた。移住することのできる土地も見つかっている。
白い柵を両脇に備える農道に、羽ありが二人立っていた。一人は老紳士で帽子を被り、一人は若い女で艶のある黒髪をしていた。
「結局、あの騒動の後一度も帰ってこなかったな」
「…おじい様ぁ。わたし散々迷惑かけてきたのよ? 格納庫開錠規定無視、隔離兵器無断使用、機密保持規約違反。しかも議会決定事項に対する不履行、反逆。どの面下げて帰ってきたらいいの? 部署のみんなも迷惑に思ってるはずだし…」
黒髪の羽ありは片羽の少年の家を出たが、今では町で部屋を借り、機械工として生計を立てていた。これまでほとんど機械がなかったこの町も、機械の有効性を皆が実感した今、羽なしでも使用できる簡単な構造の物をハイランドから譲り受け、多くの人々が使うようになっていた。それに伴い機械の故障なども増えたが、この町には専門の技師がいない。それゆえ機械に長ける彼女の力は皆に頼りにされ、彼女の人柄も相まって町にいち早く溶け込んでいた。
だが、彼女はハイランドを捨てたわけではなかった。
「そうだな…。だが、今では皆がお前の功績に感謝している。ゴーレムを核にして光子炉を起動させる技術の開発。外殻とシステムを復旧しても、光子を凝縮し励起させるエネルギーを得られない現在では起動不可能と考えられていたと言うのに…。まさかあんな方法があるとは誰も見出せなかった」
仕事が終わった後も彼女はよほどのことがない限り遅くまで机に向かい、何かの理論を検証していた。図面を引き、紙が黒く埋まるほど細かな計算式が並び、気が付けば朝日を見ることもたびたびあった。
「わたし一人の成果じゃないわよ。あの片羽の子。あの子がいなければゴーレムがあんなことをできるなんて誰一人知らなかった」
時々片羽の少年を連れて、羽を持つ巨人に乗り込み西の岩山に向うことがあった。色々な実証実験がなされ、そしてつい先日光子炉の起動試験が行われ、歓声がこだました。
「わたしがどれだけやっても同じことは起きない。あの子が乗っている時だけ特別なことが起きる。…あの子、ゴーレムの、いいえミスリルの声が聞こえるって言うの。非現実的だ、って笑う? でもあの子と一緒にいると、本当なんだ、って感じざるを得なかった。わたし達には聞こえないのに、彼には聞こえる。きっとそれは天賦の才のおかげだけじゃなくて、みんなが一緒に生きていることを知っていたから。だからあの悲劇の後こんな奇跡が起こせたと思うの。彼がいてくれて… 彼を育ててくれたこの世界に… …ああホント、言葉にできない」
歳の差を考えなさい、と諌められたがそう言うことではない、と少しムキになって反論された。いくつも皺が刻まれた厳格そうな顔つきがわずかにほころぶ。
「アースには本当にすばらしいことをいくつも教えていただいた。これからは我々もよりよく変わっていけるだろう」
「ええ…」
「…ゆくゆくはお前のした罪の数々を、光子炉の件の恩赦で相殺にする。戻ってこないかい?」
わずかな沈黙が流れる。しかし彼女の中にはもうすでに答えがあった。それを声に出す勇気を振り絞る時間が欲しかったのだろう。閉じていた目を開き、はっきりと言った。
「…わたし、そっちには戻らない。アースで、ここのみんなと一緒に生きてみたいの」
そうか、と短く返事をした後、離れたところに止めてあった銀色の球体の方へと歩いていく。一度振り向き、いつでもいいぞ、と一声かけると取り巻きの羽あり達に守られながら乗り込んでいった。きぃん、と金属音をわずかに響かせ飛び立っていくのを彼女は一人で見送った。
「さようなら、ハイランド… さようならロディニア、わたしの生まれた国…」
白い柵に背中を預け、しばらくの間空を見上げる。名残惜しそうであったが彼女の微笑には陰りはなく、町のある方に向って歩き出した。