第二十一羽 「地禮祭 冬の終わり」
「いらっしゃい! オオウロゴモリフライだよ! アツアツの特製ソースに浸して食べるとヤミツキだよ!」
「アロエヤシのジュースはいかが? 今ならサルビスチェリーの蜜漬けもトッピングしちゃう!」
「ナビア牛のカバーブだよ~。今年もいい肉に育ったから絶品だよ~」
絞った果実から立ち昇る甘い香り、あふれ出る肉汁が炭火に落ちてはじける音、くつくつと弱火で煮立つ鍋からたゆたう湯気。目抜き通りに所狭しと広がった屋台からそれぞれ特有の匂いを立てて、店主や女将が通りを行く人に声をかける。
手を引く父親の方を見上げて羽なしの子供が問う。
「ねー、今年はフユカヅラ飴のお店は無いの?」
「さーて? 探しにいっておいで。お昼には戻ってくるんだよ」
父親から銀貨を手渡されると満面の笑顔を浮かべて走り出す。少し離れたところで思い出したように振り返り、お小遣いを握り締めたままの小さな手を振って、人ごみに紛れていった。
―21―
片羽の少年の家に、一人の羽ありが増えていた。帰る場所を無くしたという黒髪の羽ありは町長からの薦めもあり、事が落ち着くまでの間、少年の家族の世話になることになった。少年の祖父母、両親は家を離れた長子がいた頃と変わりないということでそのまま受け入れた。ひとり渋ったものが居たが、周りの説得で容認したようだった。
「ウィン、せっかくだから地禮祭にエマを連れて行ってあげたら?」
昼食の後片づけをしている時に少年の母が出したその提案を耳にした少年の姉は、皿を拭いていたその手をわずかに止めた。平静を装っていたが眉をひそめている。そんなことに気付くはずもない少年は、はいと返事をして黒髪の女に声をかけにいった。
いい加減弟離れしなさい、と言う母の声に返事せず、つんとしたまま淡々と片付けていく。隣に立つ母から、小さくため息が聞こえてきた。
「そんなに大きくない町なのに… こんな雑踏になるのねぇ。すごいな」
半ば呆れるような声を漏らす。隣の少年がこの時期だけだと答える。近くの町や集落からも人が集まり、これからの農作業の無事を祈り、母なる大地への賛美を皆でする。
「だから、みんな活気付いてすごく楽しいんだ。これからもっと暖かくなってくるから、さあまた頑張るぞ! って」
祭りでにぎわう通りの様子を嬉しそうに見ている少年の姿を見て、羽ありの女も笑顔になった。その後顎に手をやって小さく呻く。
「うーん… うちのとこじゃ大きなお祭りはなかったなぁ。建国記念の式典はあるけど、こう言う賑わいはねぇ。人口も今じゃ三万二千人までだから移民も制限されてるし」
人口が定められていると言う事実に驚いた少年は聞き返していた。はっとした後、女はわずかに表情を翳らせたが、すぐに、大丈夫、と呟く。自分たちにとっては至極当たり前だった事がここではそうではないと言う当然の事実に改めて気がついたのだろう。一呼吸おいて少年の顔を見て話し始める。
「ハイランドはどこもそうだと思うけど、土地が限られてるからね。コロニーって言うのはサイズに応じて養える人数ってのが大体決まってくるの。居住区の高層化で、単位面積当たりに住める人の数は格段に増やせるけど、食料や水の問題よね。うちのハイランドはハイランドが作られた当初のように自給自足を原則としてたから、アースから供給してもらうってことが無かったし。技術開発に専念して、食べ物は全部アース頼みってしているハイランドもあるけどね。でも、かなり反発が強いみたい。技術提供だけじゃ納得してもらえないってことね」
彼女の顔には先のような翳りはすでに消えていた。楽しそうに話しながら歩く二人の横の方から声がかかる。
「ウィン! …え? 何お前… いや… え…?」
それは少年の男友達の一人だった。それに続いて同じくらいの年代の少年少女が仲良さそうに雑踏の中からやってきた。皆がほぼ同時に片羽の少年が大人の羽ありと一緒にいる光景を見た直後、少女の一人が大きく声を上げる。それとともに体格のよい羽なしの少年の一人が片羽の少年の肩に手を回し、人通りのやや少ない沿道のさらに端のほうへと連れて行く。黒髪の羽ありはきゃあきゃあと騒ぐ羽ありと羽なし少女に挟まれ、なにやら苦笑いをしている。そんなんじゃないのよ~と言う彼女の声は周りの喧騒にかき消されてしまい、片羽の少年を連れて行った少年たちのところには届かなかった。
「おい、ウィン、どういうことだよ」
「どう言うって…?」
「とぼけるなって。あの人のことだって。めっちゃうらやましいよ!」
さすがに察した片羽の少年も釈明する。しかし顔は赤らみ、一気に涸れた喉から出てきた返事はつっかえつっかえでたどたどしかった。
「え、えっと、あの人はエミュールさんって言って、う、浮き島の…」
「浮き島? 浮き島って…前落ちた奴?」
少年が失言に気付き、一瞬ためらった後に首を縦に振って肯定すると、羽なしの少年は顔色を変え、回した腕を離して沿道に残った少女たちを連れ戻しに行った。楽しく喋っていた少女達が遮られた事に文句をつけると、険しい顔をしたまま少年が声を上げる。
「いいか、この羽ありは前落ちた浮き島から来たんだ! あれのせいで町はめちゃくちゃにされたんだぞ! 親父はあの騒ぎで怪我もした! 何でそんなことがあったっていうのに町長の一声で、はい仲直り、なんて… できるわけないだろ!」
羽なしの少年はそのまま黒髪の羽ありの女に詰め寄っていく。少年の方が背が高く、羽ありの女もたじろいだようだった。
「それなのによく出てこれるな。そんなこともわからないくらいおめでたいのか? 今はお祭りだからみんな言わないだけなんだよ! どうしてくれるんだよ、ああ?」
「違うってば! そんなんじゃないよ! それにエマはこの町を守ってくれた! あの翼の付いたゴーレムを連れて来たんだ! たとえ自分があそこに居られなくなるってわかってても!」
羽なしの少年を押しのけて黒髪の羽ありの正面に立ちはだかった。どけ、と罵られても退く事無く矢面に立つ。その騒動を中心に人だかりができ始めていた。いつの間にか片羽の少年の後ろに居る女性が落ちた浮き島から来たということが周囲に知れ渡っており、ひそひそと陰口が聞こえてくる。
「ありがと、ウィン。…でも、荒らしたのは間違いなくわたし達よ。それにみんなを守ったのはわたしじゃなくて、間違いなくあなた。皆さん、謝れ、っていうならいくらでも謝ります。でもそれじゃあ気が済まないでしょう? …だから、もう少しわたし達に時間を下さい。わたし達がしたことの償いを、必ずしますから」
黒髪の羽ありが丁寧に深く頭を下げると、ばつが悪そうに人だかりが晴れていく。二人に詰め寄っていた羽なしの少年は鼻息荒くいまだ納まりが着かないようではあったが、一緒に祭り見物に来ていた仲間が懸命になだめながら連れてその場を去っていった。
羽ありの女が下げていた頭をゆっくりと戻し、乱れた髪を整えながら呟く。
「…こう言うことなのよね。わたし達にはこうやって周りの他の地域の人達と一緒に生きているんだ、っていう感覚が決定的に薄かった。そうじゃなかったら、あんな強行に出たりしない。…偉そうに言ってるけど、わたしだってハイランドが落ちるまで考えたりしなかったのよ。ウィンに会ってなかったらあの時動くこともできず、今もまだ途方にくれてたかもしれない」
巧く声をかけられずにいた少年に、祭りの雰囲気をぶち壊しにして悪かった、と謝罪する。その表情にはどこか拭いきれない不安が残っているようだった。
地禮祭二日目。この日も空は澄み渡り、日に日に柔らかくなる空気が人々の心も陽気にさせる。毎年この時期この地域の天候は優れ、天も人々と一緒になって大地を祝福しているようだった。
二体の巨人が背中合わせに立ち、身に纏った四枚の織物を春風にたなびかせている。色鮮やかに景色を彩るそれらの足元の舞台では、子供達が賛美歌を唄っていた。
「おー。改めて観ると、本当に立派なものね~。ちょっとごめんね」
見上げているだけでは物足りなかったのだろう。羽ばたきあがって、一枚一枚を上部の方まで順々に眺めていく。
「年に一枚ずつ新しいのを作っていくんだよ。今年のが正面、去年のが左側面、一昨年のが右側面、裏にあるのが一昨々年。四年前以上前の物は飾られないけど、どれも教会に奉納されているんだ」
賛美歌を邪魔しない程度に上空の羽ありに声をかける。羽ありは大きく二度頷き、しげしげと眺めていく。再び地面に戻ってくると、今度は少年を抱えて再び飛び上がった。
「ねね、どの織物にも上部と下部に必ず人のような絵が織り込まれてるけど…ほら、これこれ。これは何?」
「ああ、上のが父なる天、下のは母なる大地だよ。一枚全体でその前の年にあったことを表してるんだ。父なる天と母なる大地に守ってもらって、僕達は生きている。それを感謝して、この絵柄を織り込んでいくんだ。この四枚は全部トゥーさんっていう羽ありの男の人が作ったんだよ。でもトゥーさんのは意味深すぎて難しいって、父さんはぼやいてたね」
二人で笑いながら空を舞う。空気は高く上がった陽に温められ、子供達の喉が奏でる爽やかな響きが呼んだかのような風が心地よい。少し気の早いホシジルシがいつの間にか少年の服に止まっていた。ゆっくりと地面に降ろしてもらうと、服に止まった甲虫をやさしく両手で包み、空に向かって手を開いた。刹那ののち鎧のように固い前翅を開き、かすかな羽音を立てて、太陽に向かって飛んでいく。
「もう春だね。今年がまた良い一年になりますように」
「…来年の織物の図柄はもう決まったようなものね。出だしであんなことになって、ホントにごめんなさい」
小さな虫が風に流されながらも懸命に飛んでいく。三枚の羽は大地に立ったまま、その小さな姿が見えなくなるまで見守っていた。