第二十羽 「空と大地をつないだ手」
ぽん、ぽぽん、と爆ぜる音が晴天に響く。色とりどりののぼりに飾られた街路には屋台が並び、毎年のように訪れる旅芸人達が魅せる楽曲と演芸が華やかに町の空気を彩った。堪えきれない子供達が地を走り、空を駆けていく。
謝天祭の頃も町の外から人が集まるが、このような活気に包まれてはいない。訪れるのは農産物や織物、酒など、ここの特産品を買い込むのが目当ての商人ばかりで、町の取引場ばかりが人の声に満ちていた。
この町の地禮祭は有名で、近隣の町からも見物に訪れる人が多い。もちろん商売目的でやってくる者も多く、立ち並ぶ屋台のほとんどが普段は他所で稼業を営む人間の物だ。しかしこの町の人間はそれを歓迎する。他所との交流がさして無いからこそ、祭りの時期のふれあいが貴重で、そして楽しみでもあった。
いつもと変わらない活気にあふれる町並みの中で、ひとつ大きく違っているところがあった。
式典会場の中心に毎年立てられる矢倉は、今年は結局建てられなかった。しかしこの町の地禮祭の象徴でもある巨大な織物は今年も柔らかな春風にたなびいている。前後左右、計四枚の織物を、背中合わせに立つ二体の巨人がその身に纏って立っていた。
―20―
動きを止めた大地の巨人を監視するかのように、銀に輝く翼を背負った巨人が正面に立つ。空の巨人から片羽の少年が降り、町の方へと走っていった。
「何だったの、さっきの… ゴーレムにはあんな防御機能はないわ…」
中に残った黒髪の羽ありが呟く。設計者の一人であることが更に疑問を強くする。モニターを見る。彼女の視線に合わせて画面が動き、少し離れたところに転がっているものが拡大されて映し出された。
「ガエボルグを止めた」
そこに散らばっているのは執拗に二人を追いかけていた鈍く銀に輝く槍。そして大地を抉って作られた真新しい土の道が一直線に伸びる。
「パニッシャーを受け止めた。あまつさえそれをエリクサーに戻して吸収…」
考えても答えが出ない。この巨大な人型の兵器が作り出されてからも様々な実験が行われたが、このような機能が発揮されるようなことはなかった。今日の実戦にいつものテストと異なっていることがあるとすれば、
「…やっぱりあの子、あの子に何かあるんだわ。あの異常なまでに高い精神感応率もそうだけど… きっと良いヒントが…」
口元に右手を当てたまま、羽ありの女はずっと思考をめぐらせていた。
「エマや」
考え事に集中していた彼女は呼ばれたことに気付くのに少し時間がかかり、間の抜けた返事をした。再び聞き親しんだ声が届く。
「おじい様…」
「お前は一体どうしたいのだ? 空を離れ、我々を見捨てるつもりなのかい?」
その声に彼女は顔を曇らせた。自分の行いが行き場を失った空の民に与えた動揺が計り知れないことは想像するのに難くなかった。最高機密であり最高戦力の一つを強奪され、しかも拮抗する存在をもってしてもそれを止めることができなかった。彼らの叡智の粋がもたらしてくれるはずの優勢は脆くも砕け散り、彼らの叡智の粋によって与えられた空の民の絶望の深さは言わずともわかっていた。
だが、だからこそ彼女は伝えたかった。
「おじい様… わたし、気付いたんです。ううん、前から感じてたんだと思う。わたし達は勘違いしていたのよ」
一言一言をはっきりと口にする。それは自分自身に言い聞かせるためでもあるように見えた。
「力仕事が苦手なら、それは機械に任せれば良い。危ないことは機械に乗ってすればいい。便利になるよういつも機械を作ってそれを自分達の手足にしてやってきた。それが間違っているなんて思わないけど… ハイランドの民は決して自分達だけの力で生きてきたんじゃない。機械に頼って、機械に支えてもらって、やっとのことで生きてたのよ。
だからこれからのわたし達は、アースの人々に支えてもらって生きていかなければいけないと思うの。そのかわりに、わたし達も彼らを支えていかなくちゃいけないわ。
…でもそれは、人間として当たり前のことなのよ」
「…ハイランドは屈してはならないのだ。旧時代より続く絶対の科学力を受け継ぎ繁栄してきた我々が、その誇りを地に落とすような醜態をさらすわけにはいかんのだよ。か弱い肉体でありながら連綿と続く人類の歴史を守ってきた我らが叡智を、その威光を揺らがせるわけにはいかんのだ」
音声のみの通信であるため、相手の顔色はわからなかった。しかしその声は決して居丈高ではなく、苦渋の色が見え隠れしている。巨人の中にいる女もその言葉が老人の私心ではなく、公のための決断であることを感じていた。
「どうしてわからないの? …いいえ、わかろうとしないの? 無意味な争いに勝ち負けなんてないのに。お互いを傷つけるだけで、失うものしかないのに。旧時代には、ハイランドなんて無かった。人の背に翼だってなかった。それが当たり前だったんじゃない。今わたし達は、その当たり前の世界に戻っただけ。それに、ハイランドが墜ちた時点でわたし達の今までの歴史は一度終止符が打たれていると思う。
わたし達の力、機械はミスリルで作られてた。光子炉がなければエリクサーが得られず、ミスリルは精製できない。すでに失われた威光にすがっても、衰退するのは時間の問題でしかないわ。それなのにどうして自分達の力だけで生きていけると信じているの? 一緒に生きてくれるパートナーがいなければ、いずれ滅んでしまうだけなのに。
…おじい様、それに議会の皆様も本当は気付いていらっしゃるんでしょう?」
無線の奥からの返事はなかった。しばらく待っていたが、一向に答えが返ってくる様子もない。無言のまま待つ黒髪の女性の目の前の画面に小さく人影が映った。それに女が視点をあわせると拡大された映像が別枠で表示された。その人影には羽があったが、それは左側だけだった。未だ老人から何か言葉が届くことは無い。少しずつ大きくなってくる片羽の姿を確認すると、羽ありの女はゆっくりと口を開いた。
「おじい様。アースの人達は、ミスリルがなくても機械が無くても笑顔で生きているわ。それは羽のあるなしに関係なく手を取り合って一緒に生きているからだと思うの。あんな風にゴーレムを持ち出して無理強いすることなんて、必要なかった。一緒に生きていく道を探せるなら…」
再びお互いに無言の時間がしばらく流れた。だが次に口を開いたのは女ではなく、老人の方だった。
「…おそらくほとんどの民が納得しないだろう。本日中に、もう一度そちらに赴く。エマ、話し合いの席を設けていただけるよう、説得しておいてもらえるかい? だが皆が現実を受け入れる時間は、どうしても長くかかるだろう。そこは理解して欲しい」
ゆっくりと、噛み締めるように、そして穏やかに語りかけると通信を切った。黒髪の羽ありは操縦席に座ったまま深く頭を下げる。しばらく頭を垂れたままでいると、今度は外から彼女の名を呼ぶ声がする。目を開け頭を上げると、巨人の足元に片羽の少年が立っていて、彼女が座っているであろう所を見上げて、大きく右手を振っていた。
いまだ幼さを残した少年の、まだこの先大きくなるであろうその手のひらを見つめる。
やさしく微笑むと胸部装甲を開放し、差し込む強い日差しに若干目を眩ませながら翼を広げて大地へと降り立った。
……
…
その日、周囲が橙色に染まる頃、町役場の外に銀色に輝く球体が停まっていた。度し難い緊張に包まれていたが、決して怒号が飛び交うことはなかった。暴力はすでに為され、これ以上を望む者はどこにもいない。
空と地の隔たりはすでになく、そこにあったのはこの星に生きる民の、共に生きていくための道を探したいという共通意思。
辺りに夕闇が広がりきった頃、正面に向かい合って座っていた年老いた羽なしと年老いた羽ありの両者が席を立った。互いの手を握り合い、言葉を交わす。
互いが互いを知らなかったがゆえの齟齬を拭い、支えあっていこう、と。