第十九羽 「輝ける翼」
「フリーズ解除。メインパイロット、エミュール・ビネ。サブパイロット、男性アンノウンにつきフォーマット後システム再起動。エリクシルリアクター出力20%にて維持後活動再開」
黒髪の羽ありが早口で指示を出す。数秒後、操縦席内の明かりが消え、小さく響いていた唸りのような音も一瞬消えた。片羽の少年は戸惑い手狭な空間の周囲を見渡す。わずかな静寂の後、先程まで響いていた小さな唸りが聞こえ出し、少しずつ明かりが戻ってきた。それとともに黒髪の羽ありが先とは異なりややゆっくりと語りかける。
「いい? ゴーレムの基本操縦はわたしに任せて。ウィンはゴーレムの動力、エリクシルリアクターを大出力のまま安定させることに専念してちょうだい。操作は座席の両サイドにあるインダクションコンソールを使うんだけど…。そう、その指を入れる穴が開いてるヤツね」
言われるがまま少年は手を伸ばし、おそるおそる左右それぞれ五つ開いた穴に手袋をはめるかのように指を入れた。人肌に触れるかのようなぬくもりが伝わる。
「そのまま握りこんで、自分が楽に持てる位置まで引き上げてオッケーよ。…結構しっくりくるんじゃない? 後は考えるだけでいい。意識を集中して、モニターのゲージが常にその緑の部分の上限に来るように調節してね。ゲージが赤く点滅し始めたら上げすぎよ。その状態が続くと制御が利かなくなるから戻す。まずそれだけやってくれたらいいわ。…ひとりじゃ操縦と制御を同時に行いきれない。わたしとあなたがそれぞれの役目を果たさないと、わたし一人だけだったさっきまでと同じことの繰り返しよ」
初めて見る物、初めて触る物、初めてする事に囲まれ、守らなくてはいけない。少年の顔は強張り、鼓動が無用に速くなる。
「…大丈夫。あなたのミスリルとの精神感応率は一般の羽ありの七倍なんだから! 自分を信じて。ウィンならできる」
穏やかに、そして力強く。迷いのない声が室内に満ちる。少年は目を閉じ、大きく息を吸って少し止め、ゆっくりと長く息を吐く。その後ろ姿をやや上方に位置する操縦席から見ていた女性は優しく微笑み、その後正面を向いて凛とした表情を作った。
「ミスリルゴーレム・タイプ・フリューゲル、オルガ=ブロウ起動!」
室内が一気に明るくなる。二人の目の前にあるモニターは外の景色を映し、小さく響く唸りの中に風の音と辺りの喧騒が混ざりだした。
「さあ行くわよ、ウィン! がんばってね!」
―19―
その声と共に自分の体が押し上げられるような感覚に支配される。眼前の光景が流れ始めた事で、自分の乗った人形が飛翔したことを知った。自分の目の前には外の景色が映し出され、そのやや右上に円形の、全体の三分の一ほどが緑色に染まった図形がある。微妙に緑の帯が伸びたり縮んだりしている。言われたことを思い出し、慌てて自分の役割を果たし始めた。
「あなたが翔ぶのはこれで二回目ね」
後ろから声がかかる。右の羽を持たない少年は小さくあっと声を出し、自分も一緒に翔んでいるのだということに今さらながら気が付いた。
「相手もこっちに向かって来てるだろうけど、まだ少し時間があるわ。そのうちにエリクシルリアクターの制御に少しでも慣れておいて。無茶な上げ方下げ方をしても、短時間ならある程度は大丈夫よ」
巨人を操る女性はあえて低速で飛ばせているようだ。声は落ち着き、少年を安心させることに努めている。その声に応えるように少年はひとつひとつできることをしていった。単純な動力の増減ならさして難しくないように感じられた。
「それから、もう一個注意してて。戦闘が始まったら…めちゃくちゃ揺れるから。安全ベルトは多少きつくても緩めちゃダメよ」
普段から飛びなれていないこの少年がどれだけ耐えられるだろうか、一抹の不安を飲み込み、速度を上げた。それに合わせて少年も出力を上げた。
モニターの正面に捉えられている翼のない巨人の姿が大きくなる。インダクションコンソールと呼ばれた機械を握る両手に力が入った。同時に男の声が飛び込む。
「よう、エミュール。あえて待っててやったんだぜ? 追いかけてそのまま再起不能にしてやってもよかったけどよ、女の尻追いかけるようなマネは性にあわねえからな」
「へぇ、さっきは捕まえられなくて随分と悔しそうだったけど?」
「はっ、さっきまで俺にいいようにされてヒイヒイ言ってたろうが。それと、いいこと教えてやる。反乱分子ってことでもうお前の戻るところは無くなったんだよ。命乞いしてもよがり狂って死ぬまで止めねぇぞ」
「残念ね、こっちにはアンタ達よりずーっといいオトコがもういるのよ。そっちに帰れなくなっても結構よ!」
速度をそのままに、少年の乗る巨人は急激に体の向きを変え、すれ違いざまに左足で大地に立つ巨人に蹴りを繰り出した。何らかの攻撃を予想していた相手の方も右後方に飛び退き直撃を避けた。直後右手を前に出し、掌からまた赤い光を乱射する。しかし目標に当たらない。速度を全く緩めず垂直に上昇し、上空で旋回したのち三本の紫の雷を落とした。防御姿勢を取る地上の巨人に向かって軌道を左右に振りながら急下降する。落下していく間にも数筋の紫電を放ち反撃の手を抑えこんだまま、身体の正面で両腕を交差して突っ込んでいく。
「歯ァ食いしばる! 踏ん張って!」
想像以上の機体の揺れに耐えながら出力操作に専念していた少年に指示する。少年は考えることをせず、ただ言われたようにした。直後凄まじい衝撃が全身を貫き、体が二転三転したような感覚が続き、どちらが上でどちらが下なのかわからなくなっていた。しかし彼の乗る巨人が動きを止めたような気配はない。何が起きたのか理解できていなかったが、握ったその手を離すことなく自分の役目を果たし続けた。
「なんだ、あの動き… こっちが押されてるだと…? エミュール! そのフリューゲルに何しやがった!」
「別に何も? アンタ達なんかよりずーっといいオトコが乗ってるだけよ。ラブよ、L・O・V・E。わかる?」
バカにしやがって、と吐き捨てる男の声が小さく響く。
「勘違いしないで。パワー重視のギガンテに出力で勝てるわけないわ。…それにさっきまでわたし一人で両方してたんだから。そんな不安定な出力状態じゃ尚更よ。今はリアクター最大で回してくれるパートナーがいる、それだけよ」
見違えるような動きを見せた空に立つ巨人が地に伏せたままの相手を見下ろす。
「だから言ったでしょ? わたし以上にゴーレムの動かし方知ってるの? って。その結果がこれよ。もうあんな優勢に立てるなんて思わないことね。…ウィン、大丈夫?」
何とか、と返事を返す。しかし実際は信じられないほどの旋回の連続の影響で、静止しているはずの彼の目の前の景色はずっと揺れ続け、胃から酸っぱいものがこみ上げてくるのを何とか抑えているような状態だった。
「…っ! よりによってガキかよ… なめやがって…」
相互通信が一方的に切られる。倒れていた巨人が立ち上がりその少し後、先程のような光の半球を纏った。少年の後ろから、ちっ、と舌打ちが聞こえた。
「また手出しできなくなったわね… にしても、あいつらわかってんの? もうあれだけしか残ってないのに」
操縦桿を握ったまま片羽の少年が後ろを見上げた。それに気付いた黒髪の羽ありが微笑む。あの光に包まれている間は向こうからも何もできないから、今のうちに息を整えておくように伝えた。操縦桿から右手を離し、目に手のひらを当てて軽く頭を振る。続いて心臓の位置に添え、何度も深呼吸をした。
「…いい感じよ、ウィン。こんなに上手くやってくれるなんてね。あなた、本当にミスリルとの相性がいいみたい。本当なら全身のエネルギー配分までできるとエリクサーの無駄がなくなるんだけど、今はいいわ。アンチマテリアルフィールドが消えたら一気に行くわよ」
女性が正面に向き直ったのと共に少年も再び右手に銀のグローブをはめた。しばらくすると光球の中で巨人が両腕を左右に大きく開いた。巨人を包む光が少しずつ縮んでいく。
「…来るわ」
少年の体にも緊張が走る。出力をゆっくり上げていき、安全域の最大にまで達するとそれを維持した。光が消える寸前、大地に立つ巨人の腕と脚の装甲が開く。
「…まさかっ!」
声の主に問う前に少年は体を大きく振られた。
「舌噛むわ! 気をつけて!」
最大速度で飛翔する。直後大地に立つ巨人から、後方に煙を吐き出す無数の槍が放たれた。その槍は赤い光線とは違い、空を舞う巨人の背中を追って軌道を変える。高速で飛び回るが槍は目標を見失うことなく追尾していった。
「やられたっ! 全弾ロックオンするための時間稼ぎだったのね! ウィン、しばらく揺れるから! 堪えて、お願い!」
動きを止めることなく槍を振り切る。旋回しすれ違う瞬間に雷を放って何本か破壊した。誘爆を逃れ、急下降した巨人を追っていった槍は地面すれすれで急上昇した目標に向かって方向転換する前に大地に突き刺さって炸裂した。しかし放たれた槍の数は多く、未だ追う物は二十を下らない。
地道に避けては破壊し、を繰り返していくが雷の命中精度も落ちていく。高速戦闘がもたらす疲労は想像を超え、健闘している羽ありの息も切れていく。それとは対照的に機体の揺れに慣れてきた少年は少しずつ各部へのエネルギーの配分に意識を回せるようになっていた。翼への動力伝達と紫電を放つ両手への流量を優先し、わずかでもパートナーの負担を軽くする。その時だった。
… … … 。
「…え?」
極限の集中の中で、何かが聞こえた。
… … … て。
「え? 何?」
「なになに? どうしたの? ちょちょ! あーもう、しつこい!」
息を切らせたパートナーの声ではない。微調整をしながら聞こえる声に耳を傾ける。
手のひらに集めて。全部
何のことかわからなかったが、やってみた。ゲージが警告を表す赤へと変わったがかまう事無く出力を上げる。翼への供給も断ち、全てを両手に注いだ。当然急激に速度が落ちる。驚いた操縦者は反射的に機首を上げる。それと共に翼に受ける空気抵抗が増してさらに減速し、そしてわずかに浮き上がった。背中を追っていた槍が、足元を高速で通過する。目の前の危機は寸での所で回避したが、一瞬目標を見失った槍が再び進路を変えて突っ込んでくる。正面から相対した状況だ。
「ウィン! ちょっと、ウィン! 何してるの?!」
「エマ! 受け止めて!」
おそらく平常だったら却下しただろう。しかし疲労した中での突然の提案に羽ありの女性は戸惑いながら従った。巨人の腕を前に出し、掌を大きく広げる。そこには光球があった。その光球に吸い込まれるように槍が全て突き刺さった。
…炸裂しない。
紫の雷に撃たれた時のように爆発もしなかった。ただその光球の中に留まり、動きを止めていた。
「何…? これ…」
「今だ、飛んで!」
呆けていたところに少年から声がかかる。慌てて風を起こす。自由落下していた巨人は姿勢を整え、緩やかに大地に戻った。大地に足を下ろすと両手に抱えていた光球が消え、動きを止めた槍はバラバラと地面に散らばった。再び動き出す様子はない。
「やるじゃねえか。でもな、これで終わりだぜ? タイプ・ギガンテ最新鋭のヴァルナ=ビートが最大出力で撃ったらかすっただけでも只じゃ済まんだろうな」
再開された相互通信に、二人の意識が翼のない巨人の方に向けられた。両腕が光り、右足をやや後方に引いて対ショック体勢を取っている。背中から光の粒があふれ出し、輝くその姿は神々しくもあった。
「パニッシャー?! 何考えてんのよ! なけなしのエリクサーをこんなところで!」
「チャージは十分だ。もう避けられねぇ!」
ひときわ輝きが強まった次の瞬間、光の砲が大地をえぐり二人に放たれた。
「…ごめん、ウィン。避けられない。こんなことに付き合わせて、本当にごめん」
上の操縦席に座る黒髪の羽ありはインダクションコンソールを持ったままうなだれていた。下の操縦席に座る片羽の少年もインダクションコンソールを引いたまま、正面を見据えていた。圧倒的な力を見せ付けながら光が迫る。
その時、少年には声が聞こえていた。
その声が導くとおりに、彼は巨大な人形と心を通わせていた。
「嘘だろ…? 何が起きてるんだ…?」
翼のない巨人に乗った二人の男は眼前の光景に、自身の目を疑っていた。彼らの放った光は正面にいる翼を背負った巨人をなぎ倒して彼方へと消えるはずだった。ところが現実は異なり、巨大な光はその先へ進むことも戻ってくることもなく、真正面から受け止められたまま行き場を失っていた。少しずつ小さくなっていく。
光を受け止めた巨人の中、自分の体に何も変化が起きていないことに疑問を持った黒髪の女が顔を上げる。モニターには眩い光しか映し出されていないので画面を切り替え、今の機体の状況を確認する。
「まさか… 超伝導磁場?! そんな機能、どのゴーレムにもないわよ!」
驚いて思わず声が大きくなる。
「まさかこれ、ウィンがやってるの…?」
極限にまで冷却された機体に電流が流されていた。受け止められた光球は巨人の身体のどの部位にも触れず、宙に留まっている。目の前の光景に言葉を飲み込まれていた女性の耳にアラーム音が届く。確認すると動力源であるエリクシルリアクター格納部の装甲が開いている。受け止められた光はどんどん凝集されていき、青く澄んだ結晶となってリアクターへと吸い込まれていった。
「まるで光子炉… このオルガ=ブロウ全体が、小型の…」
青い結晶をすべて回収し終えると緩やかに空へと上がり、緩やかにもう一方のほうへと向かっていく。最大の攻撃を放った後の相手は、それを去なされてしまった光景に呆気に取られてしまい、逃げるでもなくそこに佇んでいた。
翼のない巨人の胸に掌を添える。決して破壊するような力ではなく、そっと触れた。途端に光を失い、動きを止めてしまった。
「くそっ! 何しやがった! 動かねぇ、まだエリクサー切れじゃねえぞ! おい、エミュール! 何なんだこりゃあ!」
「わたしだって… 何が起きてるのかさっぱりよ…」
ただ一人、片方だけ羽を持つ少年が穏やかな顔で、巨人の内側を優しく撫でていた。




