第十二羽 「迷いと不安と憤り」
家に帰ってくると家族が総出で出迎えた。もう昼に近い。彼を見かけた町の人間がこぞって家族が心配していたことを伝えていたので、帰宅の挨拶の次に彼の口から出たのは謝罪の言葉だった。
無事ならば良い、だが誰もが彼の身を案じていたことを忘れるな。そう家長である父から諭されたが一人納まらない。
「心配したんだから! 本当に心配したんだから! 昨日あんなことがあったばっかりって言うんだから悪いことしか考えられないわよ! もし人質にされてたりなんていったら、あたし…」
並ではない姉の動揺を見て、そして予想だにしていなかった一言を耳にした少年は聞き返していた。
「ホンッッットに信じらんない! 何なのよハイランドって! どうしてあんなのが父なる天に在ってあたし達を見下してきたの! 落っこちたのはいい気味よ! どうせなら海の底にでも行けばよかったのに!」
少年の姉は荒げた声を抑えることもなく二人の部屋の中で怒りを撒き散らしていた。少年はいつものように羽を広げ、隣に座る姉を包んだ。いつものように怒りながらも姉は羽に優しく触れ、そして少年はそれをなだめながらただ聞いていた。だがいつものようにうなずくことが出来なかった。
「ホント、ハイランドって言われてたとおりおかしな連中なのね! やっぱり羽ありばっかりだか… あ」
そう言ったきり少年の姉は口をつぐんで声を出すことは無く、体を横たえ自分の右に座る弟の膝の上に頭を預けた。
「……浮き島の人も、不安なんだよ」
姉の髪を撫でながら少年は答える。
「僕たちと一緒で、人だから」
―12―
暗い通路を登りきり、二人は乱雑な空間に戻ってきた。再びパネルに手を当てると壁がゆっくり閉じていく。
「君の事を疑ってるわけじゃないけど、ね」
「そもそも使い方がわかりません」
もっともだ、と自嘲気味に笑みを浮かべながら少年の目を見た。しばらく目を合わせていたが、少年の方が先に視線を逸らす。その様を見てまた新たに笑みを浮かべた女が歩み寄り、自分よりも背の低い少年の頭に手をやった。
「ほら、あれ何だっけ。さっきのウィンが教えてくれた唄の最初」
もう少し近づけばお互いの息遣いも聞こえそうな距離で対の羽の者が問う。家族以外の女性に慣れていない少年は、目線を泳がせしどろもどろになりながらもう一度口にした。
「そうそう。えーっと、
かつて人の背には羽は無く、かつての空に日を遮る陸は無し。
今は昔のことなれど、あまねく人は大地に在り。
……それが当たり前だったってことよね。羽ありも羽なしも無く、ハイランドだってなかった。今は昔のことなれど、か…」
そう呟いたかと思うと、突然少年を抱きしめた。少年の顔は女の胸にうずまり、唐突のことで息が出来なくなった少年は初め若干抵抗したが、少しだけ女の腕が震えていることに気付いた後は力を抜き、身を委ねた。しばらくして女が手を離し、少年は解放された。
「それじゃあ行きましょうか。当たり前の世界へ」
……
……
そこは一面がまばゆい光の世界だった。左側だけ羽の生えた者を抱えた二枚の翼を持つ者が瓦礫の山から平地に下りる。抱えていた者を地面に下ろした後、両の手を合わせ自分の吐く息で暖めていた。終わりが近いとは言え季節はまだ冬。雲の無い良い天気とはいえ、吹き抜ける風はまだ冷たい。
「それじゃあ、ウィン。わたし達ハイランドの民も次のことが決まるまでこのあたりにいると思う。機会があったらまた会いましょう。その時はさっきの唄の続きを教えて欲しいな。わたしからの宿題ね」
凍えて少し震える声に少年が縦に肯くのを見て、女は背中の羽を広げ宙に舞った。
「あ、それから!」
空を見上げる少年にむけて少し大きめにした声を放る。
「あなた、やっぱりどっちかって言うと羽ありに近いと思うの! また今度機会があったら試してみましょう! それじゃあまたね、ステキな羽なしさん!」
少年も手を振り別れを告げる。女の背中が小さくなっていくのを見届けると、町に向けて歩き出した。
日の光を浴びながら積荷を背負った羽ありが呟く。
「…両方あればみんなと同じ、か。やっぱり飛びたいんでしょうね…」
天高く舞うその背にある羽は光を受けて輝き、大地に小さな影を落としていた。