突入
それは、このフロアの非難経路を示したプレートだった。
「僕らが今いるのは、この非常階段A」
デイヴィットは一つうなずく。
それを確認してから王樹は指先をすい、と動かした。
「で、敵さんが立て込もってるレストランに入れるのは、ここから正面入口に続くエレベーターホール経由のルートと、こっちの非常階段Bからぐるっと回る厨房経由のルート。ここまでは了解?」
更に続ける王樹に、デイヴィットは再びうなずいた。
その脳裏には、幾度となく眺めていた内部の図面が浮かび上がる。
「一網打尽。同時に両方の出入口を押さえるのが、一番楽かな。兵力分散するのは、あんまり気が進まないけど」
どうする、と問いかけてくるような王樹の視線に、デイヴィットはすぐさま答えた。
「自分が下の階を突っ切って、厨房へ回ります」
「それが一番妥当だね。じゃ、僕はエレベーターホールへ回る。君の準備ができたら、連絡をちょうだい」
「準備って……一体?」
会議室を通り抜けるだけですよね、と言うデイヴィットに王樹は片目をつぶってみせる。
「休憩を口実に、何回か出歩かせてもらったんだけど、色々と積み上げているっぽい。細工も少し、してるかも」
悪びれもせずに言う王樹に、デイヴィットは深々とため息をつく。
どうやら敵も、楽をさせてくれそうもない。
しかし、ここで頭を抱えていても事態が好転する訳ではない。
「では、行ってきます。くれぐれも、自重を」
銃を構え足を踏み出すデイヴィットに向かい、王樹はひらひらと手を振ってみせる。
一抹の不安を感じながらも、デイヴィットは暗い階段を駆け降りて行った。
立てこもり場所の一つ下の階を占めているのは、学会やカンファレンスなどに使われるホールである。
無論、用途によって様々な種類のテーブルや椅子を使い分けることになる。
そして当然の事ではあるが、使用しない時それらは収納される。
そこまで分析した所で、デイヴィットは足を止めた。
果たして目前には、予想通りの光景が広がっていた。
防火扉に至る道筋には、無数の椅子とテーブルがバリケードよろしく積み上がっている。
さて、どのように通過しようか。
ぐるりと周囲を見回したその時、彼の足に何かが触れた。
何事かと足元に視線を向けると、至近距離から銃声が響いた。
床に伏せる彼の頬と肩口を、銃弾がかすめる。
発砲音のした方向に銃口を向けるが、人の気配はしない。
その姿勢のまま、息をひそめることしばし。
注意深く見回すと、彼は自分の足に細い糸が絡みついていることに気がついた。
どうやら単純な罠が仕掛けられていたらしい。
休み無く弾を吐き出す機関銃を撃ち抜いて黙らせてから、彼は閉ざされた防火扉に取り付き慎重にノブを回す。
そして、体重を預けながら鉄製の重い扉を押し開いた。
暗い廊下のそこかしこには、時折思い出したように机や椅子が放置されている。
しかし、別段変わった様子も、人の気配もない。
また何かの罠なのだろうか。
一瞬、彼は足を止める。
が、ここで無為に時間を浪費する訳にもいかない。
改めて銃を構え、姿勢を低く保ったまま、デイヴィットはフロアに足を踏み出し一気に駆け抜けた。
無秩序に転がる机や椅子を蹴散らして暗闇を走ることしばし。
ようやく目の前に、非常階段Bへと通じる防火扉が見えた。
ノブを回してみるが、そう簡単に事は進まなかった。
階段側で施錠された扉は、彼の侵入を拒む。
咄嗟に彼は腰のブラスターを引き抜き、ノブと鍵穴に向けて発砲する。
高熱で焼き切れたノブが廊下に転がると、扉は音も無く開いた。
緊張した面持ちのまま、今度は階段を駆け上がる。
静寂の中、彼の規則的な靴音だけが反響した。
目的地までおよそ十数段という所で、光線が彼の頭上を通過する。
見上げるとそこには、銃を手にした男が立っていた。
突然の闖入者を知らせるべく男が口を開くよりも早く、デイヴィットは持っていたブラスターの引き金を引く。
脇腹から血を流した男が、バランスを崩して階段を転げ落ちるのと入れ替わりに、彼は一気に駆け昇る。
レストランフロアに足を踏み入れるなり、彼は反対側に待機している王樹に向かい呼びかけた。
「突入開始します! お願いします!」
ブラスターを腰に戻し、デイヴィットは戸口に背中を貼り付け、中の様子をうかがう。
天井から無数の鍋やフライパンがぶら下がっているその先に煌々と光が灯っているのが見えた。
真正面を見据え踊り込む彼の頭上を、幾筋もの弾丸が通過する。
未だ人質は敵の手の内にある。
人質を無事解放するには、更なる流血は避けられないだろう。
ふとデイヴィットの脳裏に、先程自らが撃った犯人を手当てする王樹の姿が浮かんで消えた。
守られる命と、そうではない命。
この違いは、一体何なのだろう。
恐らく何度分析を試みても答えは出ないであろうこの命題を頭の外へ振り落とすと、彼は狙いを定め引き金を引く。
中空に放たれた光線は、ためらうことなく立ちはだかる男の腹と足とを射抜いていた。
それまで視界を占めていた白黒の世界に、紅の花が咲く。
倒れた男の手から離れた銃を思い切り蹴飛ばすと、彼はまばゆい光にあふれたレストランに飛び込み、銃を構え、叫んだ。
「惑連です! おとなしく武器を置いて投降してください!!」
視界に入ってきたのは、窓際に乱雑に積み上げられたテーブルと椅子。
中央に集められ、憔悴しきった表情でこちらを見つめる人質達。
彼らに銃を突き付けている二人の男。
そして人の輪の中で何かを握りしめ、仁王立ちしている男の姿だった。
「その言葉、そっくりお返しさせてもらうよ。えぇ?」
そう言い放つ男の瞳には、狂気の光が宿っている。
言い返そうとしたデイヴィットを、反対側に立つ王樹が制した。
「待った! デイヴ、良く見るんだ!」
その言葉に、デイヴィットは改めて敵の指揮官とおぼしき男を注視した。
そして、あることに気付き、口をつぐむ。
確認できた物、それはダイナマイトだった。
「答えを聞かせてもらおうか、え? お二人さんよ?」
勝ち誇ったように笑う男。
王樹は無言のまま、手にしていた銃を床へと放り投げる。
そして頭の後ろで手を組み、ひざまずいた。
「そっちのチャラい兄ちゃんはどうかな?」
勝利を確信したかのような男の態度に、デイヴィットは小さく舌打ちをした。
が、自分はともかく、人質の命を第一に考えなくてはならない。
不承不承、彼は床に銃を置き膝を折る。
と、銃を構えた男が一人、そろそろとデイヴィットに近寄ってくる。
すべての視線が、そこに集中していた。
ごく一部の例外を除いて。
床に伏せようとする彼の視界の片隅に、王樹がいた。
その顔には、かすかな微笑が浮かんでいる。
今までの王樹の行動パターンから、彼はある事態を予想した。
そして……。




