再びの疑問
明けて午前七時を少し回った頃、二人が潜伏している部屋の電話が鳴った。
この番号を知っており、かつ接触を計ってくる人物は、現在の所一人しかいない。
デイヴィットはスミスが軽くうなずくのを確認してから、受話器を取った。
──もしもし……あの……──
聞こえてきたのは、予想に違わず桐原の細く気弱な声だった。
傍受の可能性が皆無とは言い切れないので、あまり長話はできない。
単刀直入に、デイヴィットは切り出した。
「いかがですか? 首尾は」
──どうにかうまくいきました。主流派は、今後事件に一切関与しないという形で話をつけました。惑連駐留軍にも、不用意に動かぬよう徹底させました。で、これから一体……──
「ご尽力ありがとうございます。では、これから言う物をそろえて頂きたいのですが」
背後でソファに深く腰をかけているスミスに小さくガッツポーズを決めて見せてから、デイヴィットは『人質解放作戦』に必要な物を手短に告げた。
「……以上です。作戦決行は、本日一六三〇です。それまでに……」
──ですと、時間的に無理です。せめて、出撃場所をフォボス空港に変更できませんか? ──
それは切実な叫びだった。
一瞬固まるデイヴィットだが、迷っている時間はなかった。
「解りました。では、くれぐれも内密にお願いします。特にマスメディアには慎重に」
言い終えて、デイヴィットは受話器を置く。
一呼吸ついてから、デイヴィットはスミスに向き直った。
「作戦変更です。出撃場所をフォボス空港にし、一旦エル・フォボスの敵本拠地を攻撃すると見せかけてから周回し、西へ転回します」
「……まあ、ここから直行するよりは違和感は無いだろうな」
フォボス空港は、軍民共用である。
そこから『あれ』が飛び出しても、誰も疑問を持たないだろう。
これで当面の目処はたった。
これで唯一残された問題は、言うまでもない。
自らの目前にいる『頭痛の種』に、デイヴィットは恐る恐る切り出した。
「あの……少佐殿……突入は、なんでしたら、自分が単独で……」
「すべてを見届けなければ、君の合否判定は不可能だ」
違うかな、と言うように見つめてくるスミスを目の前にして、デイヴィットは押し黙った。
もっともな言葉である。
だが、同行を認めてしまうと最悪スミスの生命を脅かすことになる。
適切な言葉を見つけ出せずにいるデイヴィット。
その様子に、当の『心配される側』は例のごとく唇の片端をわずかに上げて見せた。
「そこまで君が思い悩むことは無いだろう? 役に立たなくなれば処分される。その点は、私も君も何ら変わりはない」
何を言い出すのだろう、この人は。
浮かび上がったその疑問を無理矢理飲みこみ、デイヴィットはまじまじとスミスを見つめる。
被験者の混乱を知ってか知らずか、スミスは更に笑う。
「何て顔をしている? 役目を終えた『モノ』は最終的に除籍される。君らも、覇研究員も、はたまた艦艇も。役に立たなくなったモノがいつまでも表舞台にしがみついているのは滑稽だし、何より見ていて悲惨でみじめだ」
確かにその言葉は正しいのかもしれない。
けれども、『ヒト』のそれと、デイヴィット達……厳密に言えば『ヒト』ならざる物に突き付けられるそれは、根本的に違うのではないか。
果たしてその違和感はどこから発生しているのだろうか。
デイヴィットは思考回路をフル回転させる。
そしてある結論にたどり着いた。
「ですが、我々『doll』の除籍と、少佐殿の除籍は、根本的に異なると思います」
「……どういうことかな?」
かすかにスミスは、唇の端に微笑を閃かせる。
痛いほどに視線を感じながら、デイヴィットは続けた。
「我々は処分されれば、それで終わりです。後には何も残らない。ですが、少佐殿……ヒトが除籍された場合、その痕跡は必ずこの世界のどこかに残ります。……家族や友人を持たないヒトは、いないでしょうから」
一気に言ってしまってから、デイヴィットは恐る恐るスミスの顔を見やる。
そこには、件の笑みはなかった。
やはり、的はずれなことを言ってしまったのだろうか。
緊張した面持ちのまま、デイヴィットは返答を待つ。
長くて短い静寂を、スミスは静かな声で切り裂いた。
「……なるほど。君らの存在は、どうあがいても『虚無』と言う訳か」
ようやくの答に、デイヴィットは神妙な表情でうなずいた。
それを確認してから、スミスは視線を室内に泳がせた。
「しかし、君には一つ失念していることがある」
「どういうことでしょうか?」
話が見えず、首をかしげるデイヴィット。
その反応をどう取ったかは定かではないが、スミスは改めてデイヴィットに視線を固定した。
「首席技術士官殿……君らの名付け親で、産みの親でもある人だが……会ったことはあるだろう?」
「ᒍ……ジャック・ハモンド殿ですか? 起動直後、少しだけお話しさせて頂きましたが、それが何か?」
首をかしげるデイヴィット。
その姿を見つめ、スミスは笑みを浮かべたまま、更に続ける。
「その時、かの御仁は一体何と言っていた?」
問いかけられ、デイヴィットはあわてて起動直後のやり取りのデータを引っ張り出した。
記念すべき一番最初の『記憶』だ。
褐色の肌に癖毛の白髪頭を持つその人は、厳つい肩書きとは裏腹に人懐っこい笑顔を浮かべ、開口一番こう言った。
──初めまして。君はこの瞬間から『デイヴィット・ロー』だ。何かあったら、いつでも来るといい。じゃあ、よろしく──
そう、確かにあの人はそう言った。
デイヴィットがまだ生き残れるかどうか解らないにも関わらず。
ひじ掛けに頬杖を付きながら、スミスは畳み掛けるように続けた。
「あの御仁は、君らの唯一と言って良い理解者であり、友人であり、親でもある」
「……失礼ですが、何故そんなことを自分におっしゃるんですか?」
一瞬の沈黙。
ややあって、スミスは足を組み直しながら口を開いた。
「先ほど君が、『自分の痕跡は残らない』と言ったからさ。少なくとも私は、愛すべきあの御仁に悲しんで欲しくない」
「覇研究員からうかがいましたが……少佐殿は何故、首席技術士官殿と交流があるんですか?」
「まあ、腐れ縁と言って良いだろうな。と……」
スミスの視線はいつの間にか、壁にかかっている時計に移動している。
口元から笑みは、消えていた。




