疑問
「どうやら餌に食いついたようだ」
端末を見つめていたスミスが、不意に顔を上げた。
肉食獣のような笑みを浮かべながら。
おそらくこのサングラスさえ無ければ、仕掛けたいたずらの成功に喜ぶ少年のように見えるだろう。
そう分析しながらデイヴィットは食いつかざるを得なかった桐原の心中をおもんぱかり、小さくため息をついた。
それをまったく無視して、スミスは視線をデイヴィットに転じる。
「覇研究員の状況は?」
冷静なスミスの声が、デイヴィットの耳朶を打つ。
しかし、その声は弱冠小さくなっているようでもあった。
一瞬不安げな表情を浮かべてから、デイヴィットは答えた。
「時折、食堂を離れてテラスや洗面所へ移動しています。どうやら無茶な拘束はされていないようですね」
「犯人達にも、まだ理性が残っているようだな。それがどこまで続くかは、定かではないが」
皮肉を含んだスミスの言葉に、デイヴィットはわずかに眉根を寄せた。
『ヒト』が生きていく以上、睡眠欲や食欲といった様々な生理現象を伴うということくらい知っている、とでも言うように。
そんなデイヴィットに微笑を向けてから、ふとスミスはつぶやいた。
「……マルスからの名実共の独立、か」
「はい?」
聞きとがめて、デイヴィットはわずかに首をかしげた。
その様子に、スミスは笑った。
どこか作り物めいた、人形のような笑みを。
唖然として固まるデイヴィットに、スミスはそれを納めて言葉をついだ。
「難しい問題だろうな。治安を守る側もフォボス現地採用の兵員となると、M.I.B.の活動理念になっている思想に同調できる所もあるだろうし」
マルス及びその背後にあるMカンパニーによる、政治及び経済的な支配。
常に母星の管理下に置かれ、母星無くしては存在できないように形成されてしまった社会制度。
入植一世世代ならばまだしも、この星で生まれ育った生粋の『フォボス人』達にとっては、搾取され続けている故郷の現状は許しがたい物だろう。
『生まれ故郷を愛する』という同じ思いを持った人間達が、所属する団体という些細な違いにより敵味方に別れ銃口を向けあっている。
しかも、危険にさらされているのは、まったく無関係な一般市民だという皮肉なおまけ付きだ。
そこまで分析し、デイヴィットはうなずいた。
それを確認してから、スミスは更に続ける。
「Mカンパニーも、罪作りだな」
「開拓者の特権というおいしいところだけをとって、発生した義務を果たそうとしないから、ですか?」
「それが普通だろうな。権力者は利潤をむさぼり、しわ寄せは末端に押し付けられる」
理解不能か? とでも言うように視線を投げかけてくるスミスに、デイヴィットは返す言葉がなかった。
『ヒト』という生物が、テラという惑星にしがみついていた頃から繰り返される暗い歴史。
だが、その理不尽さを、デイヴィットはどうしても理解できなかった。
「〇と一では割り切れないのが『人間』だ。まあ、そこが面白い所でもあるんだが」
「非合理的ですね。自分から見ると」
「逆に言えば、非合理だからこそ関係が築けるのが人間だ」
更に否定しようとするデイヴィットを、スミスは片手を挙げて制した。
そして、コップ一杯の水を要求する。
痛み止めの薬の効く時間が、僅かずつではあるが短くなっている。
湧き上がってきた不安を隠すように、デイヴィットはキッチンへと走った。
棚に並んでいる大量生産品とおぼしき無個性なコップへ、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを注ぐ。
そんなデイヴィットの脳裏に、ある情報が浮かび上がった。
「……そういえば、少佐殿はもともと後方勤務だったとか……」
言いながらデイヴィットはスミスにコップを手渡す。
瞬間、スミスの表情がかすかにゆがんだ。
小さな錠剤を口に放りこんでから、スミスはいつもの口調で言う。
「発信源は、一体どこかな?」
「……あの……覇王樹研究員殿が……」
決まり悪そうに白状するデイヴィットに、スミスは苦笑を浮かべる。
「やれやれ……困った御仁だな。まるで貝の口だ」
「と、言いますと?」
「温めてやれば、いとも簡単に口を開く」
「……なるほど」
同感です、とでも言うようにデイヴィットは肩をすくめた。
コップの水を飲み干すと、予測に反してスミスはあっさりと求められているであろう答を口にした。
「研究員殿が言ったことは、大方事実だろう」
「では、何故転籍されたんです?」
差し支え無ければ、と付け加えるデイヴィットに、スミスは唇の端をわずかに上げながらそれに応じた。
「私の素性及び経歴が、この事件と何か関係でもあるのかな?」
それは明確な拒絶だった。
踏み込んではいけない所に触れてしまった事に気付き、デイヴィットはあわてて口をつぐむ。
確かに怪しい人とは言え、試験官氏の個人情報を詮索することは今回の任務とはまったく関係ない。
それがいかに興味深い事であっても、だ。
自らの軽はずみな発言に珍しく意気消沈し、所在なげにしているデイヴィット。
だが、そんな彼にスミスは空になったコップを差し出しながら、いつもより穏やかな口調で告げた。
「まあ強いて言うなら上の都合、と言ったところかな」
「組織という名の強大な権力の前では、個人はまったくの無力、ということですか?」
「まあそんなところだ。……先方との落ち合う場所は、事故現場。時刻は十八時半の予定だ」
言いながら立ち上がると、スミスは自らの居城と決めた寝室へと消える。
それまで占領していたソファの上に、命に代えてもという勢いで持ち出した端末機を放置して。
完全にスミスの気配が消えてから、デイヴィットはそろそろとソファに近付き、端末機に手を伸ばした。
恐る恐るエンターキーを押して、立ち上げる。
これが『後ろめたい』という感情なのだろうか。
頭の片隅でそんなことを分析しながら、デイヴィットはまず、メールソフトを開く。
表示されたのは、スミスと桐原のやり取りだった。
予想に違わず、脅迫すれすれの言葉の羅列である。
桐原に同情の念を抱きながら、デイヴィットは端末をそっと閉じた。




