アジト
小さなキッチンに、ベッドルーム。
広いリビングに据え付けられているテレビの他に、生活に必要な最低限の電化製品や家具類は揃っている。
どこにでもある、短期滞在型マンションの一室だった。
「ここの資本はテラの大会社で、大株主にはテラ惑連OBが名を連ねている。少なくとも、あの地下にいるよりは安全だ」
そうですね、とうなずくデイヴィットをよそに、スミスは端末機が無事か確認してくれと言い残しベッドルームへと消える。
解りました、と答えてからデイヴィットはとりあえずリビングのテーブルに鞄を置き、中身を丁寧に取り出した。
電源が入る所までは確認できたが、すぐにパスワードの入力を求める画面が表示されそこから先に進めない。
スミスの抜かりなさに呆れながら彼は、情報統制の有無を確認するという建前でテレビをつけた。
時間は昼下がり。
時間的には昼休みの会社員向けバラエティー番組や、昼食中の主婦層を狙ったワイドショーが並ぶ頃合いだ。
しかし、予想に反してどこのチャンネルを回して見ても、ホテル爆破事件のニュース一色に染まっていた。
どうやかなりの死者が出、彼ら以外にも行方不明になっている人が存在するらしい。
「……可能性として、組織内の意見不一致かな。急進的な分派の一つが、主流派の動きに業を煮やし暴発した。それが無難な所だろう」
隣のベッドルームから、スミスの声が聞こえてくる。
壁と扉を隔てた会話を妨げぬよう、デイヴィットはテレビの音量を絞った。
「すべてがM.I.B.の手の内で行われた、という訳ですか? だとしたら、我々は茶番に付き合わされたようなものですね」
「まったく良い道化だ。どう転んでも、奴らが消える訳ではないからな」
相変わらずの毒舌に、デイヴィットは閉口する。
が、ふと彼はあることに気がついた。
「世間の目が、こちらに向いているみたいですね、いつのまにか」
そう。
もともと彼らが派遣された理由である『ホテル立てこもり事件』に関する報道は、まるで忘れられたかのようだった。
例えるならば、『ホテル爆破事件』という新たな情報が上書き保存という形で『立てこもり事件』を消してしまった、という形になる。
「……それに関する考察は後回しにするとして、端末は無事だったかな?」
そういえば、そうだった。
あわててデイヴィットはテレビの電源を落とし、テーブルに放置していた端末を手に立ち上がった。
開け放たれたままの扉を二度叩いてから、彼はスミスのいるベッドルームに足を踏み入れる。
「失礼します。どうやら無事みたいですよ」
「その頑丈さを、少しでも分けてもらいたいな」
ベッドに腰をかけ皮肉を言いながら苦笑するスミスに、デイヴィットは端末を示した。
「いえ、パスワードがかかっていたんで、どこまで無事かは定かではありませんが」
「……ロッククリアしなかったのか?」
いぶかしげに向けられてくるスミスの視線に、彼はぶんぶんと首を左右に振ってみせる。
「まさか。惑連の機密が入っているんでしょう?」
「……君自身がそれなんだがな」
呆れたように言うスミスに対し、デイヴィットは肩をすくめつつ答える。
「……それは、そうですが。正式配備されていない自分が触れる訳にはいかないと……」
「では、許可しよう」
見上げてくるスミスに、デイヴィットは息を飲む。
そして、自分に向けられた端末を改めて眺めやった。
そのまま黙り込むデイヴィットに、スミスは苦笑を浮かべる。
「とりあえず、制限時間を設けても構わないかな?」
「……困ります」
そう言うと、デイヴィットはひざまずき端末の画面を正面から睨み付けた。
パスワードに使われるのは、使用者の個人情報が多い。
解りやすく言えば、生年月日や電話番号、家族の名前を組み合わせる、などである。
果たして、この人の場合にはそれが当てはまるだろうか。
答は否、である。
何より『試用期間中』のデイヴィットには、未だ無制限に職員の個人データベースにアクセスする権利を与えられてはいなかった。
さて、どうしたものか。
凍りつくデイヴィットの脇を、時間は無情に流れていく。
自分に向けられている試験官の視線を、これ以上ないくらい感じる。
けれど、何とかしなければ。
苦し紛れに彼は、キーボードの上に手を置く。
そして、あるものを打ち込んだ。『自分の個別識別番号』を。
エンターキーを押すと同時に、冷たい電子音が室内に響く。
失敗した。
反射的に、彼は固く目を閉じた。
沈黙が室内を支配する。
「……どうやら無事のようだ。やはり頑丈だな」
低い笑い声の後、スミスの言葉がそれを破った。
恐る恐る、デイヴィットは目を開けた。
果たしてそこには、何事もなかったかのように通常起動している端末があった。
「……は?」
何とも間抜けな声を上げてそれを見やるデイヴィットの様子に、スミスは人の悪い笑みを浮かべてみせた。
「始めからパスワードは設定していない。適当な文字列を入力すれば、普通に起動する」
「でしたら、何で……」
未だ納得がいかないと言ったように端末を見つめるデイヴィット。
その頭上を、スミスの声が通過していく。
「簡単な心理操作だ。パスワード入力画面が出れば、ほとんどの人間はその先に進むことを諦める」
「……はあ」
また試されていたのか。
言葉を失うデイヴィットをよそに、スミスは端末を引き寄せ何やら操作を始めた。
乾いた音が、静かな室内に響く。
自分の評価報告を入力しているのだろうか。
だとすれば、また大きなマイナス査定だ。
そんな分析をしているデイヴィットに、スミスは穏やかな瞳を向ける。
「すまないが、今、警戒レベルはどうなっている?」
思いもかけない言葉に、デイヴィットはあわてて顔を上げる。
そして、惑連情報システムにアクセスを試みた。
「最高レベルではありませんが、まだ外出は控えた方がいいかと……」
ですが何故、と首をひねるデイヴィット。
が、スミスは端末に向かったまま返答する。
「いや、頼まれ事を一つしようかと思ったのでね」
「頼まれ事、ですか?」
ますます解らないとでもいうようなデイヴィットに、スミスは端末を示した。
見ると、画面には大手配送会社の案内が表示されていた。
「荷物の受取りさ。別便で送られて来たのはいいが、宛先がなくなってしまった。この近くにある営業所留めに変更をした」
「そこから足がつく危険性は……」
その言葉に、スミスはすい、と目を細める。
瞬間、言い難い圧迫感を感じ、デイヴィットは思わず口ごもる。
「……あ……申し訳……」
「いや、確かに君の言う通りだ」
こちらの足取りを相手に知らせてしまったかな、と、スミスは小さくつぶやく。
一瞬の空白の後、スミスは何かを決断したようだった。
その命令が下されるのを、デイヴィットは無言で待つ。
「いや、やはり受け取りに行って貰おう。その方が確実だ」
「解りました。で、その内容は……」
「単なる荷物だ。それこそ本当の」
そう告げると、スミスはわずかに唇の片端を上げる。
そこから受ける印象は、『冷静な捜査員』ではなく、『いたずら好きな少年』だった。
「いい加減、泥まみれのこの格好をどうにかしたいからな。警戒レベルが下がったら、早々に受け取りに行って貰おう」
怪我さえしていなければ、シャワーを浴びたいくらいだな、と笑うスミス。
果たして、とんでもないことになってしまったらしい。
デイヴィットは、先の見えない不安とはこういうことなのか、とため息をついた。
 




