試験
「……おはようございます。有り合わせですが、何か召し上がっておいた方が良いですよ」
午前七時ジャスト。
わずかにスミスが身動ぎするのを確認して、デイヴィットは遠慮がちに声をかけた。
目を覚ましたスミスの目前には、スナックやチョコレート、缶コーヒーなどが、むき出しのコンクリートの床に無秩序に置かれている。
これは? とでも言うような視線を投げかけるスミスに、デイヴィットはわずかに肩をすくめ、舌を出した。
「エレベーターホールの自販機からです。どうやら電気は来ていたので、代金はちゃんと払ってますよ」
領収証が出ないので自腹清算になりますが、と言うデイヴィットに、スミスは今まで見たことのない普通の微笑を浮かべた。
驚いて立ち尽くすデイヴィットの前で、スミスは缶コーヒーを手にとり、右手だけで器用に開けて見せた。
「……こうなると、なかなか不便だな。……万一の時、光線銃のエネルギーパック交換ができるかどうか」
その一言に、デイヴィットの顔に不安げな表情が一瞬、浮かんで消えた。
そして、それをかき消すかのように、スナック菓子の袋を開封しはじめた。
「ま、その時は自分が何とかします。とにかく召し上がって下さい。一応痛み止と解熱剤は飲んで下さいね」
自分に必要ない物でも、装備をマニュアル通りに持っていて良かった。
もっとも、使う羽目になったのはあまり良いことではないのだが。
そんな分析をしながら、デイヴィットは着ていたジャケットの内ポケットから色々と薬が詰まったピルケースを取り出した。
が、その表情は中身を確認した時、落胆に変わった。
スミスが持っているであろう分を足して、残りは約三日。
どうやら、予想以上の短期決戦を強いられることになりそうだ。
いや、それ以前にスミスの様態が急変しないとも限らない。
この人の事だから、死にかけるぎりぎりまでそのような素振りを見せることはないだろうことは予想に堅くない。
そこまで予測して、デイヴィットははた、と思い直した。
元々自分達は、M.I.B.により拘束されている人質の解放交渉をするために、フォボスの地に来たはずだ。
事実上交渉前に決裂してしまった今、果たして何をすればいいのだろうか。
「説得に失敗して話し合いが決裂したのであれば、責任問題になってくると思うが、今回は先方が勝手に拒否したのだからな。どうしようもない」
内通者がいなければ、すぐにでも当局に指示を仰ぐところなのだがな。
抗生物質と痛み止めを放り込むように飲んでから、スミスはデイヴィットの素朴な疑問にそう答えた。
そしてふと、思い出したようにデイヴィットに向き直った。
「君は、どうしたいのかな?」
突然話を振られ、デイヴィットは散乱したゴミを片付ける手を止めた。
自分は今、試されている。
実務試験中であるという現実を目の前に突きつけられて、デイヴィットは言葉を失った。
しかも、『穏便に騒動を解決する』という第一の命令は、遂行前に消滅してしまっているのである。
果たして、残されている方法は……。
「これは、命令などまったく度外視した話なのですが……」
ためらいがちに口を開くデイヴィット。
スミスの視線を痛いほど感じていたのは、言うまでもない。
口ごもるデイヴィットに対し、スミスはわずかに表情を崩した。
「何もそんなに固くなることもないだろう? これは記録に残らない、まったく非公式な会話に過ぎない」
はあ、と一応返答してから、デイヴィットはやはり気が進まない、とでも言うように目をそらしながら続けた。
「正直、うぬぼれかもしれませんが、自分には人質を解放できる可能性のある能力は有ると思います。その力を持っていながら、それを必要としている方々を見捨てるのは、許されないと……」
言い終えてから、デイヴィットは気まずそうに口を閉じ、恐る恐る試験官を見つめる。
そんな彼に、スミスはとどめの一言を投げかけた。
「今までの言葉を要約すると、人質を助けたい、ということかな?」
すっぱりと言い切られて、デイヴィットは不承不承うなずく。
その様子をまったく無視し、スミスはふと天井を見上げた。
「重機が入ったようだな。どうやら上は、完全に崩れた、というところか」
その言葉の通りだった。
コンクリートの天井を通して、わずかな振動が伝わってくる。
静かだった地下空間に、耳障りな重低音が響き始めた。
瓦礫の山を取り除いての行方不明者捜索が、本格的に始まったのだろう。
「とりあえず、片付けを優先してくれ。捜索隊がここに入った時、我々がいた形跡があっては得策ではないな」
「……じゃあ、移動するんですか? それじゃ、本当に自分達は行方不明になってしまいますよ?」
「君の希望を叶えるとなるとするならば、そうするほうが都合が良いだろう?」
その言葉の意味を計りかねて、デイヴィットは一瞬唖然とした表情でスミスを見つめる。
果たしてその顔には、いつもの毒を含んだ笑みではなくて、冒険を楽しむような少年のようなそれが浮かんでいた。
やはりこの人は分析不能だ。
軽く頭をゆらしてから、デイヴィットは中断していた片付けを再開した。
一方のスミスは、鞄から取り出した端末機を開き何やら操作を開始していた。
その様子に、デイヴィットは絶句した。
小さな液晶パネルに写し出されているのは、周辺の地図。
それを見つめながら、スミスはキーボードを叩いている。
問題は、そのスピードだった。
少なくとも、それは自分よりも早い。
言われずともデイヴィットはそれを理解した。
驚きを隠せずにいるデイヴィットに、スミスは画面を注視したまま告げた。
「この近郊に、当局が確保した身を隠せる場所がある。一旦上の客人をやり過ごし、そちらに移動するとしよう」
「り、了解しました」
もう元には戻れない。
神妙な面もちでうなずくことしか、デイヴィットにはできなかった。




