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【9・サンクリス村へ】


 翌朝。ベルダネウス達の出発する間、ポラリスは自室で彼からもらった財産受け取りの委任状を見つめていた。彼女がこれから生きて行くのに、是非とも欲しいお金のはずだった。しかし、彼女にはそこに書かれた数字に何の魅力も感じなかった。

 村にいたときは、お金がないことは気にならなかった。お金がないのが当たり前の村だから。

 しかし、町で暮らすとなれば話は別だ。お金がないためにどれほど不本意な生き方をしなければならなかったか、娼婦だった頃、嫌というほど知らされた。それなのにこのお金を手にすることに喜びも安心もない。

 それから目をそらすように、先ほどもらってきた新聞に目を向ける。自分の知らない間に全てが終わり、気がつけばもうどうしようもなくなってしまってほしかった。そうすれば、何もしなくて済む。

 書かれている記事は、単なる報告書のようなものだった。国境付近の軍の動き。この時期の休戦に伴う兵の配置転換、軍とは関係なさそうな記事といえば、各地の農作物の収穫具合ぐらいだ。

 別の新聞では、あからさまに戦いを煽る内容。今は力を蓄え、春の戦いに備えよるドボックの勇ましさと、周辺国の浅ましさがわざとらしいぐらい大げさに書かれている。

 別の新聞では、この気に周辺国と親密な関係を気付き、戦争の心配自体をなくすべきだと書かれている。先ほどの新聞と合わせて読むと、何が事実だかわからなくなってくる。

 どの新聞にもサンクリス村のことは書かれていなかった。村の出来事など、最初から存在していないかのように。

 ポラリス自身、村が本当に存在しているのかが急に自信がなくなってきた。

 彼女は教会の人にお願いして掃除用具を借りると、一心不乱に自室の掃除をはじめた。何でも良かった。とにかく何かをしていたかった。何もしないでいると、心がおかしくなってしまいそうだった。

 きれいになった部屋を見回しても、彼女に満足感など無かった。

「私……何をしているんだろう……」

 昼を示す鐘が鳴った。ベルダネウス達はとっくに出発している。

 やることもないまま、彼女は教会の食堂に行った。1歩ごとに、自分が腐っていくように感じた。

 人が半分ほど入った食堂で、パンとスープ、ひとかけらのチーズを乗せたトレイを前にしても、彼女はそれ手にする気になれなかった。

「どうした。1人留守番は寂しいか?」

 顔をあげると、食事のトレイを前にしたカーンとガインが正面に座っていた。

「ベル公から話は聞いておる。2、3日のんびりしておけ」

 カーンが小声になり

「……ここを出るのは、多分逃げ出す形になりそうじゃからな」

 そう言う彼はどこか楽しげだった。

「あの……あの人とは知り合って長いんですか?」

「ベル公のことか。わしとあいつは知り合いでも何でも無い。ただの友達じゃよ。あいつが娼館で散々悪さをしていた頃からじゃから、10年ぐらいになるかの」

「俺が知り合ったときは、あいつはもう自由商人だったな」

 出会った頃を思い出したのか、2人の顔がほころぶ。

「あの……おふたりは、あの人が村に戻る目的を知っているんですか?」

「言っとらんのか。ま、すすんでペラペラしゃべるもんでもないしの。だったら、わしらも言うわけにはいかんの」

 視線を流すように周囲に向ける。何人かが慌てて目をそらした。

「ルーラの敵討ちを手伝う他に、何かあるような気がするんですが」

 それを聞いて、ガインが楽しげに自分の頭を叩いた。それが彼女には肯定しているものに見えた。

「あの人にとって、ルーラの敵討ちは他人事じゃなかったんですね……」

 黙りこくった彼女を前に、カーンたちは食事を平らげる。ガインはおかわりをもらいに行って断られた。

「さてと」

 カーンがカップに紫茶を注ぎ一息つくと。

「ポラリスさん。ベル公はあくまでも自分でこの件のケリをつけるつもりじゃ。だからこそ、わしらに後始末を任せても、手伝えと言わんかった。

 じゃが……ベル公が村に持っていった力玉はわしが仕込んだものじゃ。やはりどうなったかを見届けたい」

「俺だって、ルーラは一応俺の教え子だ。どうなったか見届けておきたいところだ」

 ガインも言う。

「じゃが、見届けようにもわしらはサンクリス村の場所を知らん」

「隠れ村だからな。知ったところで堂々と乗り込むわけにもいかねえ。どこかに身を隠すにしろ、そんな場所は知らねえ」

 2人に笑顔を向けられ、ポラリスはその意味を理解した。自分に道案内をさせようとしているのだ。

 身を固くする彼女を2人は静かに見つめる。

 彼女自身わかる。これが本当に最後の機会だと。彼女は静かに拳を固め

「すぐに支度をしてきます」

 立ち上がり、小走りで部屋へと向かう。

 1つ間違えば自分は殺される。そんな予感が頭を離れない。だからこそ、ベルダネウスは彼女を連れて行かなかったのかも知れない。

 それでも「行かずにはいられない」気持ちが彼女の中で膨れあがり、自分でも止められない。


 ベルダネウスとルーラを乗せた馬車がサンクリス村へと進む。

 彼らの馬車の後に、バーガン達の馬車が三台続く。軍が運搬に使われるもので大きさ、頑丈さ、どれもベルダネウスの馬車とは違う。村に残る兵士達が越冬するための物資や遺跡調査のために必要な道具が積まれている。ただ一台だけは居住性を重視した指揮官用で、これにはバーガンが乗っている。

 ベルダネウスの馬車にも積み込まれて、まだ重い荷物に不慣れなグラッシェはしんどそうだ。

「向こうには夕暮れ近くに付くようにする。私の用事はすぐに終わるが、安全のために一晩泊まって、翌朝帰るという形にする。だから、クリフソーを仕留めるとしたらその一晩しか時間は無いぞ」

 御者台で手綱を握りながら、ベルダネウスは隣に座るルーラと打合せをしていた。バーガン達は全員後続の馬車に乗っているため、話を聞かれる心配はない。

「それと、風の精霊は人を抱えた状態のお前を飛ばせるか?」

「ただ飛ぶだけだったら」

「クリフソーを仕留めたら、奴の死体を抱えて飛んで、どこか遠くに捨ててこい。姿が見えないだけならば時間を稼げる。その間に村を出る」

「あいつを殺すところを誰かに見られたら?」

「昨夜言った通りだ。お前はそのままドルボックまで行って、ポラリスたちと逃げろ。私のことは心配するな。村人ほどではないが、私もこの辺の地は知っているつもりだ」

 聞きながらルーラは精霊の槍を握りしめる。彼は何とか逃げると言っているが、彼女にとっては、それは彼を見捨てると言うことだ。

(ザンを守って)

 昨夜、精霊の槍を手にしたときに感じた前の持ち主……ファルーラの声が甦る。

「……いや。逃げるときは一緒」

「私は、村人達をあんな目にあわせた奴らを手伝った男だぞ」

「あんなことにならないよう頑張ったんでしょ。おじさんに責任はないわ」

「責任というのはな、自分が考えていたのとは別の結果になったときに生じるんだ」

 ベルダネウスが眉をひそめた。

 後ろの馬車から男が1人降りて走ってくる。

「おい、サンクリス村まであとどれぐらいだ?」

「早くても日が傾く前にはつきますよ。もうしばらくしたら開けた場所があります。川も近いですし、そこで休憩して食事にしましょう。食事抜きで進めば昼過ぎには着きますが、どうします?」

 バーガンに聞いてくると男が戻ると

「オーレリィ。休みに入ったら村まで飛んでいき、例のことを大地の精霊に聞いてこい」

「わかった」

 バーガンは休むことを選んだ。ベルダネウスの言う開けた場所は、ルーラにも見覚えがある。遺跡から流れ出た彼女が彼らに拾われ、休んでいたところだった。

 馬車を止めると、彼女は言われたとおり風邪の精霊にお願いして空を飛ぶ。村を出たことのない彼女だが、道沿いに飛んでいけば間違いない。

 少々遠回りになったが、すぐに見覚えのある場所に出る。ほんの数日だけなのに、ものすごい久しぶりに思える。冬を告げる空気の冷たさも懐かしい。

 念のため、村まで続く道を上空から見るが、特に異常はない。

 山沿いの道から隠された枝道に視線を動かすとサンクリス村が見えた。


 いつもの年ならば、村人総出で冬に備えた準備をしているはずだ。家の壊れた部分を直し、山に入って薪を拾い、実を集め、炭を作り、芋や柿を干すなど保存食を作ったりした。

 しかし、今、そんなことをしている村人はいない。いや、村人の姿自体見えなかった。見えるのは兵服を着た男達ばかり。

 数日前の記憶が一気に甦った。容赦なく村人達に剣を向けた兵たち。結婚式当日に自分の妻の首を切り落としたクリフソー。そいつらを指揮したスラフスティックたち。

 彼女の中で憎しみが膨れ上がる。自分に対してやったのと同じぐらいひどい目に遭わせなければ気が済まない。

 みんな、みんな生き埋めにしてやる!

 地下の遺跡もみんな壊してやる!

 まだ殺されずにいるかもしれない村の女性たちのことなど、すっぽり頭から抜け落ちていた。

 ルーラは村を見下ろせる場所に降りると、憎しみを込めて精霊の槍を地面に突き刺した。

 精霊の驚きが心に返ってきた。それにもかまわず、彼女は憎悪と殺意を大地に流し込む。

「みんな滅ぼして!」

 大地の精霊に願った。大地を揺らせ、地震を起こせ。村をそこにいる人達もろとも崩し、地下遺跡を埋めてしまえ!

 彼女の表情は死を望み、他の生き物の破滅を喜んでいる。

 周囲の空気が震えた。大地が、風が戸惑った。親しい友人の知らない、汚れた一面をいきなり見せつけられたかのように。

 穏やかな風が彼女を通り過ぎた。

「……どうして?……」

 彼女の頼みは拒否された。

 彼女はもう一度精霊石に心を向けた。村を落として。あそこにいる憎い人達もろとも。あの人達を埋め尽くして。

 しかし精霊たちは答える。

 大地を沈めることは、そこに生きるものたちを沈めること。大地に根付く草木も、土の上で、中で生きる虫や動物をみんな殺してしまうこと。

 山を覆う木々を根こそぎ倒せというのか。鳥たちの巣を、羽を休める枝を倒すのか。山に住む猿や熊、鹿達の住処を壊せというのか。土に生きるアリやもぐら、ミミズたちをみんな生き埋めろというのか。

 確かに精霊たちにとって、ルーラは十何年も心を通わせてきた友達だ。

 しかし、友達だからと言って他の生き物たちを殺して、家を壊してという願いを受け入れることは出来ない。精霊たちにとってルーラは友達だ。そして山の動物たちや森の木々、地中の虫たちも同じく大事な友達なのだ。

 生き物たちはお互いを殺し、食べ合う。しかし、その行為を悪とは呼ばない。そこに憎悪はない。

 だが、今、彼女が願ったものには紛れもない憎悪があった。

 精霊たちにとって、憎悪は相容れない、受け入れられないものだった。

 ルーラは立てた槍にしがみつくように身動きしなかった。

 小さな鳥が一羽、心配そうに彼女の肩に止まる。途端、彼女は膝を折り、鳥が慌てて離れる。

「ごめんね」

 涙が出てきた。自分がどんな無茶なお願いをしたのかわかった。兵達への憎しみのあまり、他の生き物たちのことをすっかり忘れていた。

 憎い奴らをひどい目にあわせるために、他の生き物たちをそれ以上にひどい目にあわせようと願った。しかも、それを自分がするのではなく、精霊という友達にさせようとした。

「ごめん……ごめんね……ひどいことさせようとして……ごめんね」

 涙が地面に落ちた。離れた木々から何事かと猿たちが彼女を見ていた。葉の陰から虫や蜘蛛が見ていた。地面からミミズが顔を出して彼女を見上げた。

 彼女は唇を固く結び立ち上がる。袖でぐいと涙を拭いた。その目にもう迷いはない。

「あたしが自分でやる。あたしの力じゃ全員は無理だけど、村を売っておきながらおじさん達のように悔いもせず、お姉ちゃんを殺したあいつだけは絶対に殺してやる」

 彼女は眼下の村を睨み付けた。自分の家の前でたむろしている兵達を睨み付けた。


 馬車を止め、ベルダネウスたちが食事の支度をしている。そこは、かつて彼とポラリスが流れてきたルーラを保護した場所だった。

 地面の小石に黒ずんだ血の跡を見つけてベルダネウスが苦笑いし、そっと左目の傷を撫でた。

 食材などを下ろす男達を手伝おうと、バーガンの馬車に行くと、木箱が1つ蓋がズレて、小さな種子がいっぱい詰まっているのが見える。彼は思わずその1つを取り出した。

「勝手に触るな」

 バーガンに言われて、つまんだ種子を戻す。

「失礼……ケジの種子ですね」

 ケジとは、寒冷の山岳地帯に生息する植物だが、生態よりもコカネと並ぶ麻薬の原料となることで知られている。

 麻薬の他に痛みを緩和する治療薬も作れるが、その効果はコカネよりも劣る。しかし生命力はコカネより強く、簡単に栽培できる。そのため戦東群国では、ほぼ全ての国で栽培されており、アクティブやスターカインで流通している麻薬の7割は戦東群国産と言われている。

 麻薬は戦東群国にとって外貨を稼ぐ産業の1つだが、中毒に陥る民も多く、どの国もバランスに頭を悩ませている。

「お前だって自由商人ならば麻薬ぐらい扱っているだろう」

「あいにくと扱ったことはありません。麻薬は儲けも大きいですが、組織の後ろ盾のないものが扱うには危険が大きすぎます。これだけの種子を持っていくと言うことは、やはりサンクリス村に」

「ああ。あそこはいいケジの栽培場になるだろう」

 ケジの箱の蓋を閉め

「後ろ盾のないものが扱うには危険といったが、お前がその気になれば、私らが後ろ盾になっても良いぞ」

「私のような一介の自由商人に声をかけるのですか」

「ただの自由商人が、スラフスティックと取引できるわけなかろう。麻薬は扱ってなくても、それ以外の、あまり表沙汰には出来ないものは扱っているんじゃないか。盗品や禁制品とか」

 2人は揃ってうすらな笑みを浮かべ合う。お互い、お前のことは調べているぞという無言の主張だ。

「商人ならば、でかい儲け話に乗るものだ」

「儲けは大きいほど身動きできなくなりますから。私は自由商人なので、身軽でいたいんですよ」

 そこへルーラが空から下りてきた。

「どうだった?」

「……道に異常はなかった」

 静かに、小さく答える。村に着いたらほぼ無言で過ごさなければならない。それだけに無愛想と思わせるためにできるだけ少ない言葉で話すよう事前に決めていた。しかし、今、小声なのはそのせいではなかった。

「そうか。ならば休んだらそのまま一気に村まで行っても問題ないでしょう」

 バーガンに今後の予定を確認すると、そのまま馬車の陰まで連れ、周囲に人のいないことを確かめ

「ダメだったか」

 そっと彼女につぶやいた。

「うん……精霊に叱られた」

 とルーラは先ほどのことを簡単に話す。

「そうか。気にするな。友達だからこそ、断ったんだ」

「精霊たち、あたしのこと嫌いになったかな」

「大丈夫だ。1度や2度、気に入らないことを言ったからって背を向ける友達はいない」

「だといいけど……」

 ちょっと引きつり気味の笑顔のまま、彼女は自分の頭を叩いた。

 その態度にベルダネウスは足下に視線を向け

(ありがとう……)

 そっと大地の精霊に感謝した。


 彼らは気がつかなかったが、その時、頭上を大八車が飛んでいった。冗談や比喩ではない。町で荷物を載せ、人や馬が引っ張って運ぶあの大八車である。それにはカーンとガイン、そしてポラリスが乗っていた。カーンが魔玉のネックレスを大八車に絡め、台座代わりに3人を乗せたまま魔導で飛んでいるのだ。

 大八車には綱が巻き付けられ、荷物を固定したり、3人がつかむ手すりになったりしている。

 普通、飛行魔導は魔導師本人だけが飛ぶものである。3人の大人(うち1人は2人分の体格)を乗せた大八車を安定した速度で飛ばせるとは、普通の魔導師に出来るものではない。

「おい、ベルダネウスたちを追い越すぞ」

「最初からそのつもりじゃ。ベル公たちより早く村について動かんとな。ポラリスさん、村へはこの方向でいいのか?」

 彼女の返事は無い。毛布にくるまり、落ちまいとガインの腕にしがみついたまま震えている。

「なんじゃ、空を飛ぶのは初めてか?」

「初めてです! 早いし寒いし怖いし、早く下ろして!」

 彼女の叫びは、風にかき消されて眼下のベルダネウスたちには聞こえなかった。


 そして舞台は、再びサンクリス村へと移る。


(つづく)


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