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【6・首都ドルボック】


「サンクリス村の地下に古代魔導文明の遺跡があるとの報告を受けたのはドボック歴295年……今から52年前になります。

 遺跡を調査することに反対は出ませんでしたが、それをドボック議会に伝えるかで意見が分かれました。

 既に遺跡が魔導巨兵の製造にかかるものらしいと言うことは見当がついていました。遺跡のことを告げ、国家や魔導師連盟の協力を得られれば大規模な調査も可能になるというのが賛成派の言い分です。公表反対派の多くは、国の上層部が遺跡を占拠、魔導巨兵の生産、自国の戦力増強、他国への進撃に使われる懸念を訴えました。

 議論の末、反対派の意見が通りました。私たちラウネ教会は遺跡を国に隠しつつ、調査を実行する。しかし長期間の調査となると、どうしてもその地での居住空間が必要です。

 そこで私たちは、増税、兵役義務から逃げ出したいという村を利用しました。彼らに遺跡の上の地に移住させ、隠れ村を作らせたのです。

 そうです。サンクリス村は、もともとあの地下遺跡を隠し、調査するために作られた村なのです。ですが、村の人々のほとんどはそんなことは知りません。遺跡のことを話したら、皆、村から逃げ出すでしょう。だから、あの地下遺跡のことを知る村人はエルティース家のもののうち数名だけです。

 そうしてサンクリス村は生まれ、ラウネ教会から派遣されたエルティース……ルーラ、君の曾祖父に当たる人です……は村人達を国から守る村長として、密かに地下遺跡を調査し、ラウネ教会にその結果を報告するという2つの顔で生きることになりました。

 もちろん、調査の進展は遅く、小さかった。国にその存在を知られないようにするだけでも苦労したし、何しろ表向きは村のない場所に連絡役を行き来させるのです。行動は慎重でなければならないし、連絡役も、自由商人の中から信用できる者を選びました。

 村から送られる報告書は、どんなわずかなものでも目を通したし、密かに魔導師連盟と連絡を取って必要な人材も派遣してもらいました。彼らは自由商人の使用人という形で村に入り、村にいる間だけ地下遺跡に潜り調査するという形を取りました。

 ドボックの中心にいる人達の中で、理解してくれそうな人と接触し、理解を求め便宜も図ってもらいました。私もそうして教会から声をかけられた1人です。

 それでも隠しきることは出来ませんでした。魔導師連盟で報告書を見たものが勝手に国に問い合わせることもあった。古代魔導文明の遺跡に興味を持った魔導師が、無断で村を訪れてきたこともありました。

 君の父親もそんな魔導師の1人でした。事情を知ってから魔導師を捨て、我らが神ラウネを信仰するようになったのです。

 知識を受け入れ、広めたいというラウネに取って、秘密裏に調査を進めることは相反する行為でもあります。それを長く続ければどうしても綻びが出来る。ついにドボックの好戦派に知られました。

 奴らは我々に遺跡の報告書全ての受け渡しを要求してきました。それに合わせて、村の占拠のために動き出した。もちろん我々は遺跡や村の存在を否定しましたが、時間稼ぎに過ぎません。

 もはや完全に村を隠すことは出来ないと判断した我々は、いかに犠牲を少なくするか考えました。奴らは村人達の命などなんとも思っていない。へたに争えば皆殺しにされるのは明らかです。

 魔導師連盟の中には、むしろ奴らに任せた方が遺跡研究が進むと歓迎する声も出たそうです。愚かなことです。奴らは遺跡の背景など興味はない。ただ、兵力増強のための魔導巨兵を作る場としか見ていない。そんなことが周辺諸国に知られたらどうなります? 魔導巨兵の実戦配備など、実現するまでどれだけの手間暇がかかるか。10年や20年では済まない。

 そうなる前に周辺国がドボックに攻め込み、100日と経たずに滅ぼしてしまいます。

 そして今度はその遺跡を巡って諸国が争い。この国はただの戦場と化す。

 今にして思えば、村を隠し村のままにせず、我らの身内だけで固めた村として良かったのかも知れない。例えラウネ教会や魔導師連盟の人達がやたらと訪れるのは変だと思われても……。

 後悔しても始まりません。私たちは様々な解決策を模索しました。だが、全てを良い方向に向ける解決法を我々は思いつかなかった。

 遺跡を完全に我らの手で破壊するという案も出ましたが、それは同時に我らも遺跡の知識を有する機会を放棄することになる。知識の放棄はラウネの教えに背を向けることに他ならない。それだけは出来ませんでした。

 私たちが選択したのは、まず村人達を守ること。今まで、遺跡を隠すために彼らを利用してきたのです。せめて彼らだけでも助けるべきだ。私たちは、村人達の命は奪わないということを条件に奴らの要求を呑みました。

 もちろん、エルティースから村人に全ての事情を話し、穏やかに村を明け渡すということも考えました。上手くいけばそれが最善になるはずです。しかし、村人が納得しなかったら。抵抗しないまでも、また村から逃げ出そうという選択をしたら。奴らにとって、村人達は国の勝利に協力しない連中です。無条件降伏以外認める可能性は低い。

 酷ではありますが、短時間で、犠牲の出ない完全勝利を奴らにさせるのがむしろ村の犠牲を最小に出来るやり方でした。

 奴らは既に村の位置を把握し、内部に協力者も作り出しました。そう、クリフソーとポラリスです。あの2人をどうやって仲間にしたかはわかりません。

 私たちからは連絡役の自由商人としてサークラー教会から推薦されたベルダネウスを出しました。

 それからは君も知っての通りです。彼は何度か村に足を運び、エルティースともつなぎをつけました。クリフソーと奴らの連絡役としても働き、襲撃の準備を整えたのです。

 決行は農作物の収穫を終えてから雪になり、村への出入りが困難になるまでの間。遺跡を手にしても、それを自分たちが生かせるようになるまでには時間がかかるし、よけいな外部からの干渉を避ける意味からもその時期が最適と判断しました。

 クリフソーとソウラの結婚式当日を選んだのは、村人のほぼ全てが集まるし、宴の酒にでも薬を仕込めば、一気に彼らを無力化できると考えたからです。

 奴らとの約束では、無力化した村人達をそのまま拘束。雪で閉じ込められている間、男達は遺跡への通路の整備など力仕事を、女達には占拠した兵士達の炊事等をさせる。子供達は言うことを聞かせるための人質。ということでした。これならば激しく抵抗して戦いにならない限り、犠牲者は最小限に抑えられると考えたのです。

 そして春になったら、さらなる兵の投入と入れ替わりに、村人達をラウネ教会が保護という形で引き受ける。今まで税逃れ、兵役逃れは不問、ということにして。真相を知った村人は怒るでしょうが、他に妙案はなかった。

 まさか、奴らが男と子供を皆殺しにするとは。これでは、残された女性達がどのような扱いをされているかも想像がつきます。

 ……すみませんでした。

 もうひとつ、どうかベルダネウスやポラリスを責めないで欲しい。結果は残念なことでしたが、彼らも何とか村人を助けようとしたのですから」


 ルーラの前で、男はゆっくりと頭を下げた。

 彼の名はフォジカル・ベイ・ラジィカル。ドボックを政治を担う4大臣の1人で、ラウネ教会の司祭でもある。51歳。ゆったりとした、服と言うより布を纏っているかのような黒の服、袖の膨らみが特徴的だ。

 真っ白になった髪に片眼鏡。顔の皺は、まるで全ての人の願いを刻み込みすぎたかのように深い。

 ここはドボック首都ドルボック。ラウネ教会の応接室のひとつである。彼らの横の窓からはドボックの王宮が見える。王宮としては小さいが、白い煉瓦で作られた建物は、ルーラから見ればまるで夢の建物のようなきらびやかさ、威厳さを持っていた。

 ベルダネウスたちに保護されたルーラは、そのまま彼の盛った薬で眠り続け、目が覚めたときは、全く知らない土地だった。

 村から出たことのない彼女にとって、町はそれ自体が未知の世界。見たことのない建物、店、行き交う人々。まるでどこか異世界に飛ばされてしまったような孤独感が、彼女の高ぶった心を諦めさせた。

 自分はどこにいるのかわからない。何が起きているのかわからない。その戸惑いはベルダネウスたちに対する怒りより大きかった。2人の始終申し訳なさそうな態度を見せ続けたことも怒りを少しずつ冷めさせた。

 すると、周りで行われている事への好奇心が少しずつ勝つようになった。

「あれは何?」「何をしているの?」「どうしてそんなことをするの?」

 彼女の疑問を、ベルダネウスとポラリスは丁寧に答えてくれた。2人とも、彼女の質問が嬉しそうだった。村の出来事が彼女の心を占める割合が少しずつ小さくなっていくのを喜んでいるようだった。

 そしてベルダネウスは彼女をラウネ教会へと連れてきた。

 教会の人達は彼らを出迎え、ルーラは身支度を調えられた上、応接室でラジィカルから説明を聞かされたのである。

「あの……」

 頭を下げたものの、一向に反応がないルーラにラジィカルは困ったように首を傾げた。彼女の前に置かれた紫茶はすっかり冷め、ケーキのクリームは乾いてしまっている。

 彼女自身は新しい服に着替え、風呂で髪や体を洗っている。初めて使った髪専用の石鹸で洗われた黒髪は鮮やかな光沢を見せている。肌が焼けているのをのぞけば、ちょっと良いところのお嬢様に見えないこともない。それだけに、覇気のない表情がよけい哀しげに見えた。

「難しすぎましたかな」

「……あいつらが村を襲った事情なんて、どうでもいいです……」

 力ない返事に、彼は困ったように肩をすくめた。

「それより、あいつらをいつ捕まえてくれるんですか? いつ縛り首にしてくれるんですか?」

 ラジィカルが固く口を閉ざす。

「あいつらは村を襲って、みんな殺したんです。抵抗もしてないのに。当然、人殺しとしてあいつらを捕まえてくれるんでしょう!」

 彼女の視線から逃げるように彼は背を向け

「奴らの行為が裁かれることはない。それどころか、今後の展開によってはドボックの英雄として讃えられるかもしれない」

「なんで!?」

「やり方はどうあれ、奴らの目的は隠された古代魔導文明の遺跡を手に入れ、我が国の戦力増強に使うというものです。そしてあの村は、国民の義務も果たさず、遺跡をずっと隠し続けた。

 わかりますか、あなたの村はドボックの民としての義務に背を向けた罪人の村なんです。いや、罪人は言いすぎかも知れませんが、国が保護するには値しない連中だという意見は出るでしょう。

 奴らはそういう人達から我が国の財産を取り戻したことになるのです。私たちが対立しているのは、奴らがその力を使って他の国に攻め入ろうと考えているからです。

 言い方を変えれば、奴らは他国と戦って勝利するための力を不埒者の村から取り戻したことになるのです」

「あたしたちは非国民の犯罪者の不埒者なんですか?! みんなあんな遺跡のことなんて知らなかった。みんなあの村が出来てから産まれた人で、法とか税とか、全然知らなかったんですよ」

「だから私たちも、それを理由に君たちを助けられるのではと考えたのです。遺跡の技術がどう使われるかは一旦置いて。

 つらいことですが、諦めることです。忘れることです。いくら君が訴えても、君の村が義務から逃げたものたちの村である以上、あの村が悪い、どの面下げて訴えると非難されるだけです」

「本当に、あいつらを捕まえて懲らしめることは出来ないんですか?」

「奴らが村人をただ殺したという証拠がありません」

「あたしが見ていました」

「君がそう言っているだけです。しかも君はあの村の人間。訴え出ても、義務も果たさない奴が偉そうに被害者ヅラして何を言うと、白い目で見られるだけです。

 奴らが遺跡の力で王室に反逆を企てているのならともかく、単純に国力増強のためである以上は……。

 村を救えなかったのは私たちの力が足りなかったからです。せめて君だけでも助けたいが、ドボックにいたままではいろいろと大変です。

 君は精霊使いと聞きました。アクティブの教会に精霊使いを招きたいという友人がいます。話を付けますので、君はそこで新たな人生を歩むのです。そのための援助はします。生活に不自由はさせないと約束します。

 今は心を静かにしてください。ほら、お茶を飲み、お菓子を食べなさい」

「え……」

 ルーラは目の前の皿に盛られたケーキを見て

「これ、食べ物だったんですか。テーブルの飾りだとばかり思ってました」

 手を伸ばし、直接ケーキをつかむ。と、指がクリームにめり込み、潰れるように形が崩れた。村にもお菓子はあったが、つまんで食べる焼き菓子ばかりだった。柔らかなケーキは、彼女にとって初めてだった。

 困惑しつつも指についたクリームを口にして

「甘い」

 笑みを浮かべる様子に、ラジィカルは無念そうに仰いだ。


「瞳に傷はないので視力に問題はありません。しかし、この傷は残るでしょう。途中、治癒魔導をかけてもらえれば良かったのですが」

 ラウネ教会の医務室で、ベルダネウスの左目の傷を見た医者はそう言った。

「時間が惜しくて。何しろ、治癒魔導をかけられると傷がある程度癒えるまで眠ってしまいますから」

 治癒魔導は、灯火魔導と共に魔導師連盟が全魔導師に習得を義務化している魔導で、その生き物の持つ治癒能力に魔力を注ぎ込み一時的に強化する。病気などには使えないが、外傷などには効果を発揮する。ただ、かけられた人は治癒に身体機能を集中するため、ある程度癒えるまで眠ってしまうか、ほとんど行動できないという欠点もある。

「使った軟膏が良かったのでしょう。傷自体はもう治りかけています。余裕があればこまめに薬や治癒魔導を使ってください。傷跡を完全に消すのは無理でしょうが、小さく、薄くすることは出来ると思います」

「わかりました。ありがとうございます」

 肩をすくめて答える。ベルダネウスの左目部分は、先日ルーラが付けた傷が瞳を縦に切るように残っている。

 彼の後ろに控えていたポラリスも頭を下げた。彼女は教会が用意した新しい服に着替えている。髪も綺麗に洗っており、肌も、胸元まで伸びた髪も村にいたときよりもずっと光沢があり、柔らかに見える。

「お嬢ちゃんは?」

「まだ戻って……きたわ」

 教会の人に連れられて、ルーラがうなだれ、歩いてくるのが見えた。彼女の長い髪を体に巻いている姿はいやでも目立ち、周囲の視線を浴びている。

「元気ないわね」

「ラジィカル様の説明に納得してないんだろうな」

 2人は彼女とともに用意された部屋に戻り、ルーラから話を聞いた。

「忘れろ……か」

 ベルダネウスの呟きにルーラが嗚咽が答えた。

「ひどいよ。村のみんなが殺されたのに、殺したのは悪くないなんて」

「スラフスティックたちが掲げる『国のため』というのは最強の大義名分だ。これをやられたら反対する方が間違っているように思える」

「国の政治に携わる人はみんなそう。自分たちに従えというとイメージが悪いから、国に従えと言い換えているだけ。あいつらは国のお面をかぶった平民よ」

 半ば諦めたポラリスの言い方がおかしかったのか、ベルダネウスが苦笑いする。

「それでどうする? ここで愚痴ばかり言っても何にもならない」

 改めてルーラに向き直り

「ラジィカルの言う通り、アクティブに行きますか? 行けば狙われる心配もなく、安全な生活が送れます。お嬢ちゃんが生きていたことを知れば、あいつらは不愉快だろうが、わざわざ刺客を送って消そうとまではしないでしょう」

 ルーラは答えず、ただ天井を見ていた。答えに迷っていると言うより、何も考えられないようだ。

「すぐに答えを出す必要はありません。ちょっと町に出ますか。気晴らしになるし、行くとしたら、町に慣れておいた方が良いですよ」

 首を横に振るルーラに

「駄目です。何もしないと気持ちを腐らせます。それに、お嬢ちゃんは町のことを知識としてしか知らないでしょう。お嬢ちゃん、お金を使ったことはありますか?」

「……ないわ。お金って言うものがあるのは知っているけど」

 彼女の返事でポラリスも合点がいった。どこにしろ、町で生きるには彼女には「町で生きる常識」がないのだ。少しずつでもそれを教えると同時に、それで頭を刺激して気分転換させようというのだろう。

「そうね。私も町に出るのは何年ぶりかしら。せっかくだから村にないところを回って、お買い物もいっぱいして、食事もしましょう。高いところで」

「賛成だ」

 笑いながらベルダネウスは扉に歩み寄り、素早く開けた。

「代金はラウネ教会で出してくれるんでしょうね」

 外にはラジィカルが供を連れて立っていた。気まずそうに咳払いし、

「……仕方ありませんね。代金は全て教会から受け取るよう店に伝えてください」

「今の話を聞いていたんでしょう。私たちはルーラに買い物を経験させ、お金のやり取りを覚えさせたいんです。現金払いでなければ意味がない。ちょっとした贅沢できるぐらい欲しいですね」

「わかりました。出かける前に経理に寄ってください。お金を用意させましょう。ですが、彼女が生き延びたことはやはり内密にしておきたい。あまり目立つことは困りますよ」

「わかってますよ」

 言いつつベルダネウスはラジィカルに耳に口を寄せ

「議会で攻める際、ルーラはスラフスティックたちの非道さを追求するのに大事な証人ですからね」

 と囁いた。

 目の前で扉が閉められ、ラジィカルは険しい顔で経理に向かう。

「……ずるい男だ」

 と呟きながら。


 人、人、人。前には人だらけ、後ろも人だらけ、右も左も人だらけ。

「なんでこんなに人がいるの?」

 ルーラは必死でポラリスの腕にしがみつき、あたりを見回す。ドボックの繁華街。周辺国との休戦が常になるこの時期、人々は兵役で取られた子供達が交代で戻ってくるのを、せめてものごちそうで出迎えようと買い出しに出てくる。売る方もそういう人達を目当てに、作物や古着などを売りに出す。

「ここだけ見ていると、とても戦争中の国とは思えないわね」

 見回しながらポラリスが言った。彼女もまた村に嫁いでからは一度も町に出たことがない。この人混みは懐かしい反面、どこか受け入れにくいものがあった。

「どんな国も、首都は豊かなものだ。それに戦争中と言っても毎日戦っているわけじゃない。この程度で驚いていたら、戦東群国の外には行けないぞ」

 他国の繁華街との違いはもうひとつあった。売買ばかりで、劇場はもちろん、人々を楽しませる大道芸人の類いが全くいない。楽しみの余裕がないのだ。

 さすがのルーラも町の空気、人混みの空気になれていない。人混みから離れたがるのを、ベルダネウスは半ば強引に引っ張っていく。彼の目的は、人混みの圧倒さで彼女の不安をもみくちゃにすること。それをわかっているから、ポラリスも彼の邪魔をしなかった。

 それに、村では交換はしても売買などしたことがない。ルーラにお金の使い方を覚えさせたかった。

「最初に覚えさせようとするのがお金の使い方っていうのが、商人らしいわね」

 夕食時、食堂で隅のテーブルに落ち着くと、ポラリスが言った。ドルボックの中でも良い店で、祝い事など、ちょっとした贅沢をしたい人達がよく利用するという。実際、内装を見ても他の店とはちょいと違う雰囲気があった。

「実際、大切なことだぞ」

 空いた壁際の席に、脱いだマントを置いてベルダネウスが笑う。実際、彼らはこれまでの買物は最初の1店をのぞいて全てルーラに代金を支払わせた。お金を支払うという行為自体はすぐに覚えたが、どうして払わなければいけないのかが、なかなかわからないようだ。同じ商品でも、店によって支払うお金が違うのにも戸惑いを見せた。

 今もメニューを見ては横の数字と見比べている。そもそも書かれた料理がどういうものなのかわからないが、今は数字の方が気になっていた。

「わかりますか?」

「これを食べるのには、料理の名前の横に書いてある数字の分だけお金を払わなきゃ行けないのよね」

「そうです」

「わかるけど、どうしてお金を払うの? 食べるものがたくさんあるんだったら、みんなで食べれば良いのに」

 実際、サンクリス村ではお腹が空いたら近くの家に行って食べ物を分けてもらった。そして分けてくれた人が困っていたら助ける。それでお互い腹を満たしていた。お金なんて払ったことがない。

「それについては、お金とは何なのかを考えないと」

 彼は懐から革袋を取り出し、数枚の硬貨を出した。

「村では欲しいものがあるときはお互いそれを交換しました。しかし、お互い相手の欲しいものを持っているとは限らない。村のような限られたところでは、後で相手の欲しいものが手に入ったら渡すと言うことも出来ましたが、大きな町では、次、いつ会えるかわからない。

 そこで、もらうものとあげるものの間にそれらに変わるものをとりあえず渡す。という仕組みを作りました。

 その商品に変わるものがお金です。

 お金を間に挟むことによって、物のやりとりをする幅が一気に拡がったんです。相手の欲しいものを持っていなくても、お金があればそれと交換出来るわけですから。なのでいざ欲しいものが出来たときに備えて、常にある程度お金を持っているようにする。

 直接、物を交換するよりも、とりあえずお金に換えるほうがいろいろ都合が良くなった。だからみんなお金を介するようになった。

 今は全ての町で交換はお金を介するものになったと言って良い。サンクリス村は例外なんです。

 なのでお嬢ちゃんには、まずお金を使ったやりとりを覚えてほしいんです。

 そうそう、お金には物の価値を計る意味もあります。簡単に言えばみんなが欲しがる物、なかなか手に入らない物はたくさんのお金と交換します。あまり欲しがらない物、簡単に手に入る物は少しのお金としか交換出来ません。これはちょっと入り組んでいるので、納得できないところもあるでしょう。こればかりはお金を介した交換に慣れて、感覚として身につけてもらうしかありません。

 この店の料理に付けている値段も、みんな食べたがるもの、簡単に作れるものなどの事情が入り組んで付けられています。この値段に納得の上、食べたいのならば注文するし、そうでなければ注文しません。

 そうそう、大事なことを忘れていました。

 欲しいものがあるけど代わりに交換するものがない。欲しいものと引き換えにお金を渡す。品物を渡す側はこれを『売る』と言い、金を渡す側は『買う』と言います。

 私たちはこの売る、買うという言葉を普通に使います。これらを聞いたら、お金とものを交換することだと思ってください。まぁ、ときどき別の意味に使うこともありますが……」

「わかるような……わかんないような」

 メニューを見ながら首を傾げるルーラ。

「さっきも言ったように、こればかりは自然に慣れて、自分なりの感覚を身につけるしかありません。まずはお金に慣れることです」

 店員に注文を終えると、

「慣れると言えば、もうひとつ。お金には大きく2種類あります」

 彼はいくつか色違いの革袋を取り出した。その1つから薄汚れた貨幣をいくつか取り出した。素人目にもあまり質が良くないとわかる。

「ひとつは国がつくったお金。今日、私たちが支払に使ったのはこのドボックが発行しているお金でバッツと言います。それぞれの国は自国内で使うことを条件としたお金を作っています。アクティブ、スターカイン、ワークレイ、そして戦東群国の国々、みんな自分でお金を作っています。

 その国の中で生活する分にはそのお金だけで問題ありません。

 しかし、私のようないくつもの国を回って商売をしていると、それでは困ることになります。別の国ではそのお金は使えないからです。このバッツだって、ドボックを出たら使えません。違う国と商売するには、国に縛られないお金が必要です。

 そんなお金を作れるのはどこか。複数の国にあり、そのいずれの国でもそれなり力を持ち、お金の価値に責任を持てる。その国が自国内でそこが発行した貨幣が使われても、黙認するしかない。

 そんな存在はひとつしかありません。教会です。

 8大神の教会は、みんな独自のお金を発行しています。その国のお金を教会のお金に換え、別の国に行ったらその国のお金に戻す。私を含め、自由商人達はそうやって複数の国で仕事をしています。最初からその教会のお金ばかり扱えれば楽ですけれど、そうもいきません。その国で生きる人達は、ほとんどが自国の貨幣でやりとりしていますから、私たちが教会のお金を求めても、相手は自国のお金で払ってきます。

 お嬢ちゃんの家が属しているラウネ教会もお金を作っています。単位はデータ」

 別の袋を取り出し、数枚テーブルに置く。ラウネの紋章が刻印された銅貨で、500の数字が刻まれている。500データ硬貨だ。

「複数の国にまたがって使われる1番大きなものは、やはりサークラー教会が発行するお金でしょう。単位はディル」

 また別の硬貨を出す。サークラーの紋章と100の数字が刻まれた100ディル硬貨だ。


 (作者注)これまで本シリーズでは常にお金をディルの単位で表現していますが、これは複数の単位が入り交じるのを避けるためで、正確には「ディルに換算していくら」です。実際には、ベルダネウスたちはほとんどその国の硬貨で売買しています。


「なんだかよくわからない」

 並べられた複数の硬貨を前に、ルーラがテーブルに突っ伏した。

「何度も言いますが、こればかりは実際、生活に取り込んで徐々に慣れていくしかありません。

 ただ、これだけは言っておきます。世の中には、少数ですがお金があれば何でも出来ると考えている人がいます。

 しかしお金は欲しいものを手に入れるため用意するというものです。お金は私たちを目的に近づけることはできても、目的そのものを達成させることは出来ません。何かを成し遂げたい、手に入れたいなら、最後のひとつは自分自身で行わなければなりません。お金それ自体は、食べることも着ることも、住むことも出来ないのですから。

 お金の最大の力は、様々な人達を結びつけることです。お金があれば出来ることなんてほんのわずかです。しかし、お金なしで出来ることもわずかなんです」

「ごめんなさい。やっぱりよくわからない」

「今は解らなくても良いです。これから先、町で生きていくならどうしてもお金がらみの悩みにぶつかることになります。その時にひょいと思い出してくれれば」

 ちょうどそこへ注文した料理が運ばれてきた。山国であるドボックの料理はその地ごとの違いがあまりない。並ぶ料理も先日の結婚式の宴に並んだ物と大差ない。あえて違いを見つけるならば、虫系の食材が少ないぐらいだ。

 大皿から3人がそれぞれ自分の分を取り分けていると、店に10人以上の男達が入ってきた。村を襲撃した兵と同じ服を着ているが、こちらはかなり薄汚れている。みな疲れた顔をしており、どうやら国境線から引き上げてきた兵士らしい。

 ルーラの表情が固まった。

「大丈夫、あの人達は乱暴はしないわ」

 いたわるようにポラリスが言った途端

「お前ら店を開けろ、ここは我々が貸し切る」

 先頭に立つ厳つい顔の兵が店内に響くよう叫んだ。制服の肩に飾りがついているので、彼が隊長らしい。

「他のお客様が怯えます。どうかお静かに。席は個室をご用意致します」

「我々は戦地から戻ってきたばかりだぞ。国を守ろうと体を張ってきた我々に対し、あまりにも無礼である!」

 兵達が中央の客達を椅子から引きずり下ろし、テーブルの料理をぶちまけた。

 空いたテーブルを集めて、自分たちの席を作り始める。

「主、酒と食事を持ってこい。この店で1番上等なやつをな」

 客達を追い出す兵士達を前に、ルーラは真っ青になって震えている。

「出た方が良い。何があったか知らないが、そうとう苛立っている」

 ベルダネウスが荷物を手に2人を促す。それを見た兵の1人が

「そこの女、隊長殿の相手をしろ」

 ポラリスを指さした。

 その間にベルダネウスが割り込む。まだ生々しい左目の傷に兵はたじろぎかけるが

「こちらは私の妻で店のものではありません。どうかご勘弁を」

 軽く頭を下げる姿に、威勢を取り戻した。

「誰だお前は?」

「一介の自由商人でございます。戦いにおいて皆様がお疲れなのはわかりますが、この国を守る兵ならば尚更、平時は落ち着いてお休みください。声を荒げては民がまた戦かと怯えてしまいます」

「自由商人風情が、我ら国のために命を捧げて戦う兵に説教する気か?」

 兵達がベルダネウスたちを取り囲むように壁際に追い詰める。中には剣の柄に手をやるものもいる。

 ルーラが目を見開き、息を切らしながらベルダネウスの背中に隠れた。それを見て

「私でよろしければお相手致します。どうか主人の無礼をお許しください」

 ポラリスが哀願するように前に出ると、膝をついて哀願する。

 だがその様子に兵達はせせら笑い

「駄目だ。自由商人と言えば、息をするように嘘をつく。いい加減なものを高値で売り歩くクズ共だ。このドボックでどれだけ儲けたんだ。出してみろ」

「いえ、私は決してあくどい商売をしてはおりません。この度はラウネ教会の仕事で訪れたものです」

 ラウネ教会という言葉に、兵達が一瞬戸惑った。だが、隊長は

「教会を出せば我々がひるむと思ったか。ラウネなど、ただ知識をひけらかすだけの役立たず。理屈屋で実践には何の役にも立たぬクズ共だ。お前もどうせ、口先だけでいざとなったら真っ先に逃げ出すのだろう……ん?」

 ベルダネウスの背中に隠れながらこちらを睨み付けているルーラに気がついた。

「なんだ、何か文句があるのか」

 ずいと前に出るのに、ベルダネウスが彼女をかばうように体をずらす。

「どうかお気になさらずに。この娘、戦で親を亡くしたばかり。兵隊に対し複雑な思いがあるのです」

「教育がなっていないな」

 さすがに小娘相手に怒るのも大人げないと思ったのか、それ以上は相手にせず、

「さ、相手をしてもらおうか」

 とポラリスの腕を取って立たせた。

「ポラリスさんを放せ!」

 ルーラが叫んだ。

「あんたらなんか出て行け。この人でなし! 人殺し!」

 この叫びは、さすがに兵達の気に障った。

「なんだこの娘は!」

 剣を手に前に出るのを

「どうかお許しください」

 ポラリスがしがみつくように止める。

「いいや許さん。子供だからこそ、しっかり教えてやらねば」

 突き飛ばされた彼女とルーラをかばうようにベルダネウスが立つ。

「さて、どうする。商人らしく金で解決するか?」

 隊長がふんぞり返ったまま言った。その手はしっかり剣の柄にかかっている。

 店内が兵達の嘲笑に満ちる中、ベルダネウスは自分たちの位置と入り口との距離を測り、さっと手をマントの中に差し込むと、内ポケットにある鞭をつかむ。

 残された客や、窓から中をのぞき込んでいる野次馬達の視線が集まる中

「おぅ、いたいた。やっぱりここにいたなベル公」

 ゆったりした灰色の服を着た老人が店に入ってきた。年は60前後だろうか、細身の杖を手にし、茶のバケットハットからこぼれた髪はすっかり真っ白になっている。背は低く、ベルダネウスの胸元ほどしかない。髭はないが、ところどころにそり残しが見られる。装飾といえば、首から親指の先ぐらいある白い石を無数につなげたかなり長いネックレスをしている。長すぎて何重にも巻いているほどだ。

「カーンさん」

 ベルダネウスの声に、老人は片手をあげて答える。

「ラウネ教会に行ったら町に出たと言っとったからの。お前のことだから美味い食い物の店にいると思って来たら案の定じゃ」

 状況が見えていないかのようなお気楽な老人に、きょとんとなった兵達だが、続いて入ってきた男に思わず皆が剣に手をかけた。

 大きな男だった。ベルダネウスの顔が彼の胸に来るぐらいで、この場にいる人達の中では一番大きかった。大きいだけではない。分厚い板金を貼り付けた革鎧を身につけ、手には長戦斧のように、先端に槍の穂先がついている大振りの手斧。ルーラがすっぽり入りそうな大きな袋を背負っていた。

 厳つい顔には毛が1本もない。髪はもちろん、髭もなければ眉もない。薄っぺらになりかねない顔だが、刻まれた皺が毛に変わるアクセントになっている。

 見た感じは40過ぎのこの男。見た目のごつさと違って、不思議と威圧感はほとんどない。むしろ愛嬌すら感じさせる。

「妙な傷をこしらえたな。それよりも、きれいどころを2人も連れて、羨ましい奴じゃ。紹介せんか」

 からかうようにカーンが肘で突いてくる。年の割はしっかりした声だ。

「あ、はい。私の妻の」

「妻!? ベル公、お前結婚したのか。いやぁ、良かった良かった。実に可愛い嫁さんじゃ」

 とルーラに微笑みかけた。

「妻はこっちです」

 ベルダネウスがポラリスを指さす。

「そうか? わしの勘も鈍ったかの」ポラリスを見て「やるのぉ。この嫁さん、脱いだらすごいって体じゃろう」

「すみません。今は取り込んでいる最中なので」

「うむ、知っておる。さっきから見ていたからな」

 唖然として様子を見ていた兵達だが、一瞥されて我を取り戻した。

「兵隊さんよ。戦場で心身疲れておるのはわかるが、それを自国の民で解消するのは良くないぞ。兵が戦時の国を守るなら、民は平時の国を支えているのじゃ。大切にせんといかん」

「何だと」

 詰め寄ろうとする兵達の前に、大男が割り込んだ。

 ベルダネウスたちは壁際まで下がる。これから起きるかも知れないことに巻き込まれないように。

「今なら間に合う。店にあやまっておけ」

 兵達に向けられた大男の声は低いが外見同様、どこか愛嬌があった。

「何だと」兵隊が一斉に身構えた「その格好、正規の兵士ではないな。傭兵か、名を名乗れ」

「名前か」

 大男が手にした手斧を軽く半回転させる。振るうとき、刃の部分ではなく背の部分で相手を叩くように。それが余計に兵達の気に障った。

「俺は」

 ぐいと胸を張り

「『たたかうおじさん』だ!」

 一瞬、兵達は目が点になったが

「ふざけるな!」

 剣を抜いて2人の兵士が同時に襲いかかった。

 大男、もとい、おじさんの右手が横に払った。重い空気の音と共に、2人の兵士が横に払われ、宙を飛んでテーブルに落下する。

 兵達がたじろいだ。斧頭部の一撃で大の兵士2人が吹っ飛ばされたのだ。

 1歩前に出たおじさんにたじろぎ、兵達が一歩下がる。

「ベル公、今のうちじゃ。逃げるぞ」

「逃がすな!」

 ベルダネウスたちを追いかけようとした兵士が先ほど同様、おじさんにぶっ飛ばされた。

 カーンに促されてベルダネウス達は食堂を出ると

「それっ!」

 とばかりに逃げ出した。カーンは「年寄りに走らせるな」とばかりにベルダネウスにおんぶされている。

 走りながらルーラが心配げに

「あのおじさんは大丈夫?!」

「大丈夫だ」

 いつの間にか隣を走っているおじさんにルーラが目を丸くした。彼女が全力で走っているのに、彼は息を切らすそぶりも見せずについていく。

「殺しとらんじゃろうな」

「手加減はした。あいつらの運までは知らん」

 繁華街を一目散に走る5人を、周囲の人達は唖然として見送っていた。


「紹介しよう。魔導師のスチャラ・カーンと、サークラー教会登録の戦士ゲルバー・ガイン」

 ガインが笑って

「遠慮はいらん。『たたかうおじさん』と呼んでくれ」

「却って呼びにくい気がしますけど」

 ベルダネウスが断りを入れる。

「ならばただのおじさんで良い」

 ラウネ教会の応接室の1つで、ベルダネウスは2人をポラリスとルーラに紹介した。その時にポラリスとの関係を説明する。村から離れるためにかりそめの夫婦となったことを聞いてルーラが驚いた。事情を知らない彼女は、今まで2人が本当に夫婦になったのだと信じていた。

「何じゃ、夫婦ごっこか。つまらん」

 言いながらも、カーンは何かを期待するようにポラリスを見た。

「先ほどはありがとうございました」

「ありがとうございました」

 ポラリスとルーラが揃って頭を下げて握手した。

「先ほどの騒ぎは報告しておきましたから、ラジィカルさんが何とかしてくれるでしょう。向こうだって戦地から戻った兵が騒ぎを起こしたあげく、流れの戦士1人にやられたなんて公にしたくないでしょうしね」

「兵隊って、みんなああなんですか?」

 沈んだ声でルーラが聞いた。ベルダネウスとポラリスが言葉に詰まるのを見て、カーンが少し前屈みになり

「ルーラちゃん、戦争で一番苦しいのは、一番前で戦う兵士なんじゃ。今日死ぬか明日死ぬか、今日は戦いはなかった生き延びた。でも明日はどうだろう。

 誰だって死にたくない。怖いけど逃げられない。逃げたら臆病者だの何だの言われて馬鹿にされる。だからみんな怖いのを必死で隠して、虚勢を張る。

 戦争をしているからこそ、弱いことがどれほど惨めなことかを知っておる。だからそれを隠そうとして、自分は強いぞ、偉いぞ、国は俺達が守っているんだ。そういうことにしたがる。

 ある意味かわいそうな奴らじゃ。腹も立つだろうが、許してやりなさい」

 聞いていて、ベルダネウスが右手で顔を多い天を仰ぐ。

「カーンさん、違うんです。ルーラの言っていることはそういうことじゃないんです」

「違う?」

 それから、ベルダネウスはこれまでの経緯を説明した。

「ひっでぇ話しだ。小利口な理屈なんざふっとぶぞ、爺さん」

 ガインの一言が全てに聞こえた。

「そうじゃな。済まなかったな。無神経なきれい事など言って」

 ルーラは静かに頷いた。

「そういうこととなると、ベル公、予定はどうするか?」

「予定?」

 ポラリスとルーラに顔を向けられ、ベルダネウスも困ったように頭を掻いたが、覚悟を決めるように2人の前に座り直した。

「私は、またサンクリス村に行く。奴らから注文されていた商品を届けるために」

 2人が息を呑む。

「儂はそいつを届けにここに来たんじゃ」

「届けることなんてないわ」ポラリスが声を荒げた。「彼らはあなたとの契約内容を踏みにじったのよ。抵抗しなければ村人の無事は保証するって。そうでしょう」

 黙ってうなずくベルダネウス。

「だが、金払いは良い。これだけ儲けの出る取引はめったにない」

 いきなりポラリスが立ち上がり、彼の頬を思いっきりひっぱたいた。

 乾いた音が響き、彼女はそのまま部屋を出て行く。ルーラが慌てて後を追った。

 残されたベルダネウスが、愛おしそうに叩かれた頬を撫でる。

「ベル公、お前、嘘がへたになったな」

「それは大変です。商売が出来ない」

「それじゃあ、商売の話をするか」

 3人はベルダネウスにあてがわれた部屋に移動した。応接室よりは狭いが、ちょっとしたホテルの一等室並みの広さがある。

「それではまず、約束のものを見てもらおうか」

 おじさんが背負っていた袋を下ろし、中から握りこぶしよりも一回り大きい漆黒の玉を6つ取り出しテーブルに置いた。

「あなたを信用しますよ。今まであなたが納めた商品で不良品はただの1つもない。それに、確かめようにも私に魔導品の鑑定は出来ません」

 目の前に置かれた漆黒の玉。ただの玉にしか見えないが、魔導師ならば一目見ただけで息をのむだろう。

 一般には玉の形をした魔導品はすべて「魔玉」と呼ばれているが、もちろんこれは総称で、用途によって様々な名がついている。

 目の前に置かれた魔玉は「力玉」と呼ばれる魔力を蓄積したものである。私たちの世界で言えば「バッテリー」が一番近いだろう。これを用いれば魔導師は自身の魔力を消費することなく魔導が使える。が、よほどの緊急時でなければそんなもったいないことはしない。

 通常、魔導師は魔力を消耗しても休息を取ることで回復する。だが、力玉に魔力を蓄えた場合、いくら休息を取っても回復しない。蓄えると言うことは、自身の魔力の上限をそのその分下げることになるのだ。

 どうしてそんなことになるのか? 魔導師連盟でも調査を続けているが未だ不明のままである。

 もちろん、その後に再び魔力の上限を高めることはできるが、人にもよるが、数年から数十年かけた高めた魔力である。それまでに魔力を高めるコツを学習しているとはいえ、元のレベルまで戻すのは大変である。

 そのため、魔導師が力玉に魔力を蓄える時は、ほぼ全員が魔導師を引退するときだ。後世の魔導師たちの研究に使うようにと魔力を寄付するわけだ。

 当然、無償ではない。魔導師連盟で一定以上の地位に就いたものは、引退時に全魔力を寄付することが義務づけられているが、その代わり、ちょっとした贅沢な生活ならできる額の年金が死ぬまで支給され続ける。そこまでいかなくても、魔導師の道を諦めた者が、踏ん切りをつけるため、これからの生活のために自分の魔力を「売る」こともある。

 その背景は様々だが、力玉は魔導師連盟が厳しく管理しており、有名な魔導品のひとつでありながら流通量は極端に少ない。手に入れるには、魔導師連盟に直接掛け合うか、ベルダネウスのような商人に頼んで「闇市場」から手に入れるしかない。

「今回の分です」

 ベルダネウスがカーンに渡したのは、エルティースから受け取った報告書の写しである。結婚式前夜、彼が1人で書き写していたものだ。

「どれどれ」

 玉を前に写しに目を通しながら満足げに頷いたり、舌打ちしたりするカーンを彼らはじっと見ていた。

「生きているうちにこやつと話をしたかったな」

 読み終えて小さく息をついた。

「殺したか……もったいないことを」

「カーンさん、それについてですが。あなたに1つお願いがあります」

 真剣な顔でベルダネウスが目の前の力玉をなでた。

「なんじゃ?」

「……」

 彼のお願いを聞いて、ガインが豪快に笑い始めた。

「お前にしちゃ、思い切ったな。バレたら間違いなくその場で殺されるぞ」

「ベル公らしくないの。自由商人としての誇りはどうした」

「誇りがあるから、許せないんです。出来ますか?」

 真っ直ぐ見据えられ、カーンは無精髭の残る顎を思案するように撫でた。

「やってみるが、保証はできん」

 カーンはネックレスを外すと、あやとりのように指に絡ませ目を閉じた。

 軽く空いた唇が微かに震える。すると、ネックレスの石のひとつひとつが7色の光沢を見せ始める。光沢はさざ波のように他の石に拡がり、やがてネックレス全ての石が光り始めた。

 この石、ひとつひとつが魔玉なのだ。魔玉は精霊石同様、ある程度の大きさがないとその役目を果たせない。この程度の大きさの石を魔玉として使えることは、それだけ彼の魔力、集中力が優れていることを示す。

 誰も触っていないのに、テーブルの上の力玉が動いた。ひとつがカーンの目の前まで転がり、止まる。

 それに光る魔玉のネックレスを絡めるように下ろす。まるで料理人が極上のステーキにソースをかけるように。

 ネックレスを下ろし、手を放す。すると、魔玉の光が玉の中へと染みこんでいく。

 3人は無言でその様子を見つめていた。


 ポラリスに用意された部屋。ベッドに腰掛け、絡ませた掌を額に当ててじっとしたままの彼女を、ルーラは前の椅子に座ったまま心配そうに見ていた。

「おじさんが村に戻るって、やっぱり、何かあるんだよ。どうしても行かなきゃならない理由が」

「わかってる」

 ポラリスは動きもせず答えた。

「だったら話し合おうよ。それで喧嘩になってもいいじゃない。一人で考えて何もしないよりずっといいよ」

 ポラリスの手を取るルーラの口は止まらない。

「喧嘩しない夫婦なんていないもん。バスクスさんなんて、毎日のように喧嘩してたじゃない。思いっきり喧嘩すればいいよ。

 形だけの夫婦とかいっても、おじさんだって嫌いな人と結婚しないし、子供を作ろうともしないよ」

 真剣な顔を向けられ、ポラリスは思わず噴き出した。

 ひとしきり笑った後、思っていたのとは違う反応にきょとんとなるルーラを抱きしめ

「そうね。あの人と話してみる」

「頑張って」

 拳を固めて励ますと、あとは2人の問題とばかりに自分の部屋へと戻る。だが、その歩みは次第に重くなり、表情もしぼんでいく。

 誰もいない自分の部屋に入ると、ベッドに倒れ込み、大の字になって天井を見上げる。その顔にはもう、先ほどの元気は微塵もなかった。

(……村に戻る……)

 連れ出されるように町に出てから、いろいろなことがあって忘れかけていた。しかし、1人になるとあの時の記憶が這い上がって来る。

 村の人達の最期。母の最期。首をその日結婚した相手に首を切り落とされた姉。そして父の叫び。

 奴らの行為が裁かれることはない。ラジィカルはそう言った。彼らの行為は英雄とされるかもしれないとも。

「やだ……やだ、やだ、やだ」

 ルーラは小さく、何度もつぶやく。

 言いながら頭に浮かぶ顔は、皆を騙し、姉を弄んだ上にその首をはねた男。クリフソー。

 スラフスティックや魔導師リゼ、刃輪使いのセクシャルも憎いが、彼女にとって彼らは兵士として全員ひとまとめだ。

 裏切りというなら、ポラリスやベルダネウスもそうだ。が、今の彼女に2人への憎しみはすっかり薄れていた。むしろ幸せになって欲しいとすら思う。

 自分はどうだろうか?

 ラジィカルはルーラにアクティブに行くよう促した。必要なものは全て揃えると。

 でも、彼らは裁かれずに終わる。この国は彼らを裁かない。

 国も法も、神も正義も彼らを裁かないなら……。

 ルーラの顔が厳しくなっていく。拳を固め、震え始める。

 ベッドから跳び起きると、部屋を飛びだし、向かった先はベルダネウスの部屋。

「おじさん!」

 ノックもせずドアを開けると、涙目でベルダネウスの胸ぐらをつかんでいたポラリスが慌てて離れた。

「どうした? 勢い込んで」

 その勢いのまま、ルーラは彼を見据えて詰め寄っていく

「おじさん。やっぱり村に戻るの?」

「そのつもりだが」

「だったらあたしも連れてって。あいつら……あたしがやっつける!」

 ポラリスが真っ青になった。


(つづく)


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