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【5・裏切りの怒り】


 虫の声が聞こえる。水の音がした。

 静かに目を開けると、うす暗い天井にランプが灯り、虫が舞っているのが見えた。

 ルーラは力なく目だけで見回した。部屋にしては狭い。見覚えのある場所だった。

(ここ……どこ……)

 すぐ横に木箱があった。反対側の床には見覚えのある容器が並んでいた。彼女がベルダネウスに上げた披露宴の料理を詰めた容器だ。

 頭の方から、聞き覚えのある、懐かしい馬の声が聞こえた。首を逸らして上を見ようとしたが、自分の髪が塊になっておかれているため見えなかった。

(グラッシェの声……そうか、おじさんの馬車だ)

 頭がモヤモヤしてハッキリしない。それでも、自分が馬車の床に敷かれた毛布に寝かされているのはわかった。髪が湿っている。

 暖かい空気が頭の方から感じる。木箱に灰を詰め、燃える炭を入れた簡易ストーブがあった。

 手を毛布からだそうとして、空気の冷たさを感じ

「!」

 一瞬で目が覚めた。

 裸だ。素っ裸に毛布を掛けられているだけだ。起こした体の隙間から流れ込んだ空気の冷たさがハッキリわかる。

 恥ずかしさで震えていると、馬車の後ろの幕がめくられ、ポラリスが顔を出した。

「目が覚めたのね。大丈夫? 自分の名前は言える?」

 村を出て行ったときの格好で、乾いた下着を持っている。

「ポラリスさん」

「恥ずかしいでしょうけど、もう少し待ってね。今、うちの人があなたの服を乾かしているから」

 幕をめくって外を見せる。

 煉瓦で作った即席の竃に火が燃えている。上には大きなやかんがのせられ、湯気を立てていた。その前、ルーラたちに背を向ける形で、ベルダネウスは彼女の服の袖に棒を通し、広げるようにして火にかざしていた。

「下着が乾いたから、まずこれを着て。話はそれからよ」

 受け取った下着を身につけると少し安心した。

「あたし……どうして?」

「川に流れていたのをグラッシェが見つけたの。驚いたわよ。最初は死んじゃっているのかとも思ったわ。お腹空いてない? あなたからもらったものだけど、すぐに暖めるから」

 料理の容器をいくつか持って馬車を降りる。

 彼女を元気づけるようなグラッシェのいななきにやっと心が落ち着いてきた。しかし、そんな彼女の頭にクリフソーの言葉が甦った。

《ベルダネウスは俺達の手のものだよ》

《ポラリスもそうだ》

 ルーラは大きく頭を振って否定する。

「そんなはずない。嘘に決まっている」

 そこへ乾いた服を持ってポラリスが戻ってきた。

 服を着て馬車を降りる。頭上には月が浮かんでいた。

「話は後です。まずは腹ごしらえしましょう」

 軽く温めただけの料理。何とはなしにスプーンを手にして口に運ぶ。食欲はなかったが、やはり体が食べ物を欲していたのだろう。食べ始めると、休むことなくスプーンを動かし続け、あっという間に3皿たいらげてしまった。

 その様子にベルダネウスとポラリスの表情も少し和らいだ。

 やっと周囲に気を向ける余裕が出たのか、見回しながらルーラが聞く。

「ここは、どこ?」

「村から半日ほどの距離にある、センメイ川のほとりですよ。ほら、川の音が聞こえるでしょう」

 ベルダネウスに言われてルーラは耳を澄ます。確かに川の流れが聞こえる。

「センメイ川って?」

「村を流れていた川です。村の人たちはただ、川と呼んでいましたが、あれはセンメイ川という名前があるんです。村から見てずっと下流ですよ」

「村の近くなの?」

「直線距離としてはそれほど離れてはいません。しかし、村へは曲がりくねった山道を行くのでかなり距離があります。お嬢ちゃんはあの音……聞こえますか?」

 ベルダネウスに言われてルーラは耳を澄ます。川の流れ、虫の声に交じって水が激しく流れ落ちる音がした。

「もしかして、滝?」

「ええ、この上流に滝があるんです。あそこで一気に水量が増えるので、おそらく地下に水脈があって合流するんだと思います」

 それで彼女も納得した。古代魔導文明の地下遺跡。あそこを流れていた川はあの滝で外に出るのだ。彼女はそこから外に出されたのだろう。それでも、こうして無事に生きているのはほとんど奇跡に等しい。

「あなた、詳しいことは後でも良いでしょう。今夜はゆっくり休ませましょう」

 言葉だけだと彼女をいたわるようなポラリスの言葉だが、口調はそうではなかった。なんだか、嫌なことから逃げるような感じた。

「ああ……」

 言いつつポラリスの肩を抱きいたわるように額に口づけするベルダネウス。2人の姿にルーラの心が和んでいく。あんな急ぎで結婚して、逃げるように村を出たはずなのに、2人の空気はすっかり夫婦のそれになっている。

「だが、私はどうしても確かめなければならない」

 ベルダネウスは真顔でルーラに向き合い、入れたばかりの紫茶を渡す。

「嫌なら話さなくてもいい。しかし、できたら聞かせてほしい。どうしてお嬢ちゃんは川を流されてきたんです?」

「どうしてって……」

 時間を稼ぐように紫茶に口を付けるが、気が散っているせいか味がわからない。

 どう説明したらいいのかわからない。

「ルーラ」

 ベルダネウスがいたわるように言った。彼が彼女を名前で呼び捨てにするのはこれが初めてだった。

「ただ、お前が見たこと、聞いたことだけを話せ。それを前に、お前がどう思ったかは言わなくて良い」

 事務的な、命令的な口調。だが、今のルーラにはそれは口を開く抵抗を少なくした。

「私たちと別れたところからだ。馬車から降りて、村に向かって歩き出して、それからどうした」

「それから……村へ帰った。歩いて。ずっと歩いて……」

「村に着いたらどうだった?」

「静かだった。みんな寝てた。男の人達、子供達や女の人達は起きてて」

 それを聞いた途端、ベルダネウスの目が一瞬だけ険しくなったが、それにルーラは気がつかなかった。

「クリフソーが出てきて、あたしの精霊石を貸せって……」

 義兄を呼び捨てにしたことにポラリスが視線を逸らした。

 それから、ルーラは少しずつ話し始めた。兵隊達が突然現れて、男達をみんな殺しはじめたことを話すと、聞いていた2人の顔が青ざめ、ポラリスが口を手で塞いだ。

「そこのところを確認する。兵は眠っているだけの男達を殺したんだな。抵抗して、戦いになったわけでもないのに」

 ルーラが頷くと、ベルダネウスが静かに頷き返す。しかし彼の腕は自分の太ももに爪を立てていた。

 話が進むにつれ、彼女の言葉は流れを失った。言葉が震え、泣きじゃくり、鼻水をすすり、

「あいつ言ったの。おじさんもポラリスさんも俺達の仲間だって。あんな嘘までついて」

 言った途端、ポラリスが顔を伏せ、ベルダネウスの目に力が入った。

 そして最期に

「姉さんも殺された。あいつに首を切られて! 父さん言ったの。逃げろって。何が何だかわからない。いきなり体が痺れて、川に落ちて、苦しくて……気がついたら、ここにいたの」

 言い終わった途端、ルーラは大声で泣き出した。

 ベルダネウスもポラリスも、ただ泣き続けるルーラを前に黙っていた。

 ついにたまらず、ポラリスがルーラを抱きしめた。

「ごめんなさい。ごめんなさいね」

 泣きながら謝る姿に、ルーラ自身、ふと冷静になった。

(どうして謝るの?)

「あいつら、殺しはしないって言ったのに」

(……?)

「あなた、そうなんでしょう。抵抗しない限り絶対殺すことはしない。そういう約束だったんでしょう」

 静かにベルダネウスが頷くのをルーラは見た。

 ルーラは叫びながらポラリスを突き飛ばした。思わず立ち上がりかけたベルダネウスに飛びかかる。

 勢いで押し倒すと、いきなり固めた拳を彼の顔面に叩き込んだ。

 当惑した彼だが、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら憎悪の目を向ける彼女を顔を見た瞬間、自分が今しがた頷いたことの意味に気がついた。

「どうしたの、止めて」

 後ろからポラリスが彼女を止めようとするが、すごい力で振りほどかれる。だがその勢いで彼女自身もひっくり返った。思わずついた手が調理用のナイフに触った。それを手に、また彼に飛びかかる。

 雄叫びとともにルーラがナイフで斬りつけた。鮮血が飛び、ベルダネウスが倒れる。

「あなた!」

 ポラリスが彼を抱き起こして息を飲む。

 彼の左目を縦に切り裂くような傷がつき、顔中を血で染めていた。たまらず傷を押さえた指の間から血が流れ出る。

 ルーラはナイフを手に震えていた。手もナイフもベルダネウスの血で真っ赤に汚れている。この血が彼女の恐怖を変えた。

 自分たちを殺す手助けをした男への憎しみを、人を傷つけたという自分の行為への恐怖へと変えた。

 何か言おうとするが、口が動かない。彼女の中で、謝らなきゃという思いと、決して謝らない、悪いのはこいつだという思いが押し合いしあう。

 ベルダネウスが立ち上がった。手を放すと、彼の閉じた左目を両断するように傷がついていた。そこから血が流れ、彼の左顔半分を濡らしていく。

 ゆっくりとルーラに向かって歩き出す。許しを請う哀れな罪人のように右目を開けて。

 何の気迫もないのに、ルーラは後ずさった。彼が目の前にいること自体が怖かった。

「お嬢ちゃん」

 呼ばれて身がすくんだ。途端、彼が怪我人とは思えない動きで彼女の目の前まで来た。

「すまない」

 彼女のナイフを持つ手を取るとそのまま彼女の背後に回り、首に腕をかけた。力が込められると、途端にルーラの意識がなくなり倒れ込む。

「ポラリス、馬車から薬箱を持ってきてくれ」

 ゆっくりとルーラを横たえる。馬車まで歩くと、樽の水で目の傷を洗い、ポラリスが持ってきた薬で応急手当をする。痛みで彼の顔が歪む。

「大丈夫?」

「……お嬢ちゃんの心に比べたらかすり傷みたいなもんだ」

 涙の跡を残したまま横になっているルーラを見る。

「そのうち薬が効いて眠るはずだ」

「薬って?」

「村の宴の酒に入れた眠り薬だ。さっきお嬢ちゃんの紫茶に入れておいた。話しているうちに効き始めてくれたら良かったんだが。うまくいかないもんだ」

 ルーラが飲んでいた紫茶のカップを水でゆすぐ。

「ポラリス、馬車の扱いは出来るか?」

「簡単な扱いなら、村で習ったわ」

「朝まで待つのはやめだ。すぐに出発する。御者は任せた」

「そうですね。あなたの傷の手当てもしないといけないし、せめて魔導師がいる村まで行ければ、治癒魔導をかけてもらえるわ」

 言いながらポラリスは火の後始末をはじめる。

 ルーラを馬車に運び、毛布に横たえると、ベルダネウスは村の方を見た。月明かりはあるものの村が見えるはずもない。

「スラフスティック……」

 声に出さずつぶやく

「……契約違反の代償は払ってもらうぞ……自由商人を舐めるな」


(つづく)


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