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【3・結婚式の別れ】


 朝、太陽の光が拡がりきらないうちに、鶏が鳴くよりも早くサンクリス村は動き出す。

 とは言っても、田畑の収穫も終え、農閑期に入ろうというこの時期は以前ほどの動きはない。はずだが、今日は別だった。

 ラウネ教会の神官にして村長・エルティースの娘ソウラの結婚式がある。娯楽の少ない村にとって、結婚式は最大の祭りだ。わざわざ自由商人を通じて村では手に入らない酒や食材などを手に入れるぐらいだ。

 この日ばかりは、普段は節約している酒や食べ物が存分に振るまれ、皆が歌い、踊り、浮かれる。この時期の結婚式は年最後の大騒ぎだ。ここぞとばかりに皆が浮かれる。

 村の女性達が教会に集まり、前日までに下ごしらえをしていた食材の調理に入る。男達が飾り付けをはじめる。子供達が笛や太鼓の練習を始める。

 新郎新婦も大変だ。主役と同時に皆の見世物になり、からかわれる。どんな体力自慢でも結婚式が終わる頃にはぐったりして、新婚初夜を楽しむ余裕すらなくなる。

 新郎クリフソーも、新婦ソウラも早々に食事を済ませると、控え室で化粧やら着替えやらに入る。早ければこの時点で新郎新婦は周囲に囃され、おもちゃにされる。

 だが……

「今日は静かだな」

 控え室へと向かう2人を見送ったエルティースがつぶやいた。

「それはほら、代わりがいるからですよ」

 世話係の村人の説明に補足するように、外からベルダネウスの悲鳴が聞こえてきた。

「ぐえぃぁぁぁぁぁぁぁ。やめ……止めてください」

「うるせぇ。誰のことわりもなくポラリスさんを口説きやがって」

「彼女は、来年、俺と再婚するはずだったんだぞ」

「馬鹿言え、あいつの再婚相手は俺だ!」

 周りが言い合いを始めても、ベルダネウスに組み付き、締め上げる力は緩まない。

 ルーラによって朝日が昇るよりも早く村中に知らされたベルダネウスとポラリスの結婚。そして案の定、ポラリスを密かに村っていた村の男達の嫉妬をベルダネウスは一身に引き受けることになった。

「あ、あの……お手柔らかに」

 ポラリスが震えながら男達をなだめようとするが、一向に攻撃の手は緩まない。とうとう彼を担ぎ上げて「そーれ」と川に叩き込んでしまった。

「こんなもんか。これぐらいで勘弁してやる」

 笑いながら男達が去って行くのに合わせるかのように、ベルダネウスが川から這い上がる。

「大丈夫?!」

「着替えてきます」

 まだ冬に入ってはいないが水は冷たい。自分の体を抱きしめるようにして身を震わせながら、馬車の方に小走りで駆けていく。

「まったく、あの男共はしょうがないね」

「今まで手を出す度胸もなかったくせに。たまに来るだけの自由商人に取られてからぶつくさ言い出すなんて。だらしないんだから」

「それにしても、やっぱりというか」

 小太りの婦人がポラリスの腰回りをまじまじと見て

「昨日までと違って充実したお尻になっちゃって。昨夜はたっぷり可愛がってもらったんだろう」

 彼女のお尻を軽く叩いて笑う。

「ええ。ルーラにのぞかれているのも気がつかないぐらいに」

 彼女も軽く笑顔で返す。小さな村では男女関係は一番身近で手頃な娯楽だ。この程度の軽口は彼女も慣れている。

 着替えを終えて出てきた途端、ベルダネウスはレミィに捕まった。

「やっと見つけた。今、お呼びするところでしたの。娘の衣装をご覧なさってください」

 彼を引っ張って花嫁の控え室に連れて行く。

 そこには花嫁衣装のソウラがいた。

 ぽっちゃり体型のせいで、それは赤い、玉のような花に見えた。裾は波打ち、幾十もの花弁が絡み合い中心の彼女を包んでいる。彼女は村では珍しい色白のせいで、赤い紙に包まれた白い菓子にも見える。

 衣装の赤は鮮やかでありながら、中心にいる彼女を色あせることはさせない。着ている人を引き立たせ、華やかでありながら決して主役の前には立たない名脇役のような赤。この世界で最高と呼ばれるイナセの紅染、その中でもかなりの上物の証だ。所々に混ざる白の生地がその魅力を更に引き立てている。

 世界では花嫁衣装は白を中心とする風潮が強く、八大神のひとつで、恋愛・婚姻関係を一身に引き受ける愛の神ラヴィも、白を基調とすることを奨励している。しかし、ここではそんなことはない。ラヴィ教会がないせいもあるが、花嫁を霞ませなければ衣装はどんな色でもかまわない。結婚式の中心は衣装ではなく婚姻する2人だからだ。

 実際、紅の花嫁姿の彼女は理屈などどうでも良いほど愛おしかった。

「素晴らしい。最高の目の保養ですよ」

 とベルダネウスはソウラの手を取り、その甲にキスをする。

「このような美しく作られ、あなたのような花嫁に纏われて生地も幸せでしょう」

「生地じゃなくお姉ちゃんのこと言ってよ」

 むくれるルーラが唇をとがらせる。レミィのお説教も、その後にお腹いっぱい食べた朝食と、姉の花嫁姿にすっかり霞んでしまったようだ。

「良いのよ。私のことばかり褒めたら、ご自身の花嫁がかわいそうだわ。あなたの結婚が次に来た時ならば、ポラリスさんの衣装も用意できたのに」

「急なのは私も彼女も承知の上です。仕事が落ち着いたら、ラヴィ教会で簡単に済ませますよ」

「なんてことを言うの。済ませるなんて、結婚はお仕事上の手続ではありません」

 レミィがしゃべりはじめたので、慌ててベルダネウスは退散した。


 晴天の中、昼前に式は始まった。ここが小さくても正規に国に認められた村ならば、ラヴィ教会から神父が招かれ、式を行うのだろうが、ここではエルティースが神父役を務める。

 皆に祝福され、子供達の歌う中、紅の衣装を身につけたクリフソーとソウラが姿を現す。男女の違いなのかクリフソーの衣装はソウラほど似合ってはいなかったが、控えめな華やかさは祭りの中心となるに相応しいものだった。

 婚姻の宣誓が周囲の人達に向けられて行われる。ここでは、結婚式は神への誓いの儀式ではなく、自分たちを囲む人達への報告と宣言という意味合いが強い。

「結婚式と言うより、近所へのお披露目ですね」

 そうつぶやいたベルダネウスにも

「結婚を見守るのは神ではなく周りの人達というのがここの考えですから」

 とポラリスが答えた。

 一通り挨拶が終わり、村で一番上等の椅子が用意される。

 離髪の儀式である。

 皆が見守る中、花嫁が椅子に座り、髪を背もたれ越しに垂らす。その背中に花婿が立ち、神父であるエルティースから銀の鋏を受け取る。これまで何十人もの花嫁の髪を切ってきた専用の鋏だ。

 さすがに皆もおしゃべりをやめ、聞こえるのは風に揺らぐ葉と、鳥や虫の鳴き声だけ。

 花婿は花嫁の髪を取り、うなじにかかるぐらいの長さを目で測る。

 静かに目を閉じ、花嫁はじっと座っている。

 鋏が入る。小さな音なのに、会場中に響くような気がした。

 生まれてから17年。一度も切られることのなかったソウラの髪が、夫・クリフソーによって独り身の呪縛から切り離された。

 拍手と歓声が一斉に膨れあがり、村中に拡がっていった。驚いた鳥や虫、動物たちが慌てて離れていく。

 大きな一仕事を終えたクリフソーが大きく息をついた。花嫁の髪を切る。単純に言えばそれだけなのだが、それに全てが集約されている。

 皆の祝福の中、切った髪を持った彼とソウラが教会に入っていく。髪を切るのは花婿だが、やはり素人。儀式の後、理髪師によって切り口を整えるのだ。切った髪をどうするかは花嫁の判断に委ねられる。埋める人もいれば川に流す人、ずっと持ち続ける人もいる。

 結婚式最大の行事を終えた皆から一斉に力が抜けた。後はただ呑み、食い、騒ぐだけである。

 地酒とベルダネウスが持ってきた外の酒が振る舞われ、庭に並んだテーブルには昨夜から村の女達が作り上げた料理が並ぶ。花婿花嫁の挨拶が終わり、壇上では村人達の芸が始まった。

 結婚相手を探そうという男女には自分をアピールする良い機会だが、そんなものには目もくれず酒と料理に手を伸ばす者も多い。これが目当てで朝食を抜いた男も多い。

「おじさん、これ食べてよ。あたしが作ったんだ」

 ルーラが跳虫と木の実の炒め物を持ってきた。跳虫は大きな町では嫌がられるが、山奥の村ではよく食べられる。村人に言わせれば、

「こいつらは稲とか食うからな、冬の前には捕まえて俺達が食っておあいこだ」

 らしい。身は少ないが、炒るとパリパリして香ばしいし、冬には甘辛く煮て保存食にしている。

 ベルダネウスは他にも川蛇焼きや芋のポタージュなどで舌を楽しむと

「どれ、私も一芸など」

 と愛用の鞭を2本持って舞台に上がる。

「ルーラ嬢ちゃん、薪を4本ばかり持ってきてくれませんか」

 持ってきた薪を目の前に投げてもらうと、それを鞭で弾き上げる。そのまま2本、3本、4本と増やしてもらっては次々と弾き上げ、落ちてきた薪をまた同じように弾き上げる。

 鞭と薪を使ったジャグリングである。もともと鞭の修練としてはじめたことだが、今ではこうして芸として披露できるまでになった。こうした時にはなかなか役に立つ技術である。

 珍しい技に村人達が注目する。特に子供達は「すげぇ」と目を見張った。

 芸が終わり、大きな拍手の中彼が舞台から下りると、ポラリスが出迎えた。

 なんと彼女は赤いフリルの着いたポンチョを着、頭に白い花の冠をのせている。

「それは?」

「急ごしらえだけど、少しは花嫁っぽくなったでしょ」

 ルーラがイタズラっぽい笑みで2人を見上げた。

「せっかくだから離髪の儀式もやったら?」

「いえ、やめておきましょう。この村を出て行く私たちがしゃしゃり出て、ソウラ様とクリフソー様の幸せを霞ませる事は出来ません」

「ええ。私にはこれで充分」

 冠を直してポラリスが微笑んだ。

「髪だって、村を出ればこの長さでも問題ないわ」

 自身の髪を軽く撫でる。

「そろそろ出発しますか。彼らに絡まれる前に」

 そう言うベルダネウスの視線の先には、酒を飲んで騒いでいる男達の姿があった。

「そうね。荷物を取ってきます」

 ポラリスと分かれ、ベルダネウスは馬小屋へと向かう。

 すでに必要な荷物は積んである。もっとも、村が作るもので、いくらかは売れそうな、彼が仕入れても良いと思うものは髪留めや、堅い木の実をくりぬいた作った器ぐらいだ。

 小屋からグラッシェが出され、馬車を引く2頭の間につなぐ。

「これから頼むぞ」

 グラッシェが一声鳴いた。

 支度を終えたポラリスがエルティース達と共にやってきた。ポラリスの荷物は少し大きめの鞄がひとつだけだった。

「それだけですか?」

「ええ、着替えと身の回りのものがいくつかだけです」

 正に着の身着のままで嫁に行くのだ。その身軽さが、却って自由商人の嫁らしいとも言えた。

「おじさん。これ持っていって」

 ルーラが大きめの器をいくつか差しだした。中には結婚式の料理が詰まっている。彼女なりに考えたのだろう、どれも日持ちがしそうなものばかりだった。

「町までのお弁当にちょうど良い。ありがたくもらっていきますよ」

「次に来るのは春か。その時に必要なものをまとめておいた」

 エルティースからリストを受け取るベルダネウスに、

「その頃には彼女のお腹を大きくしておきなさい。冬の間に産衣をたくさん作っておきますから」

 レミィが微笑む。さすがの彼もこれには困った顔で

「こればっかりは予定通りに行くかは」

「夫婦には子供を作るのも仕事のうちです」

「レミィ、町まで長い。いつまでもお話しするわけにはいかない」

 このまま彼女が話すに任せておけば、出発する前に日が暮れかねない。エルティースが遮り、出発を促すと

「村を出るまで一緒に行っていい?」

 返事も聞かず、ルーラは馬車に乗り込んだ。

 ベルダネウスとポラリスはそろって肩をすくめると馬車に乗り込んだ。彼が手綱を握り、宴の邪魔にならないよう、エルティースたちに挨拶してそろりと出発する。

 気がついた村人の何人かが馬車に手を振る。

「村の外かぁ。来年おじさんが来た時は、あたしが一緒に行くね」

 エルティースは村長になってから、村人を交代で、出入りの自由商人の人足として手伝いながら村の外を見せることをしている。この時の村人がポラリスを嫁として連れてきたのは先にも記した。また、ごく希ではあるが、クリフソーのように外から村に来る人もいる。

 ベルダネウスも、次あたりに誰かを連れて行くようお願いされることは充分あり得た。

「村長が自分の娘を外にやりますか? それに、精霊使いはあまり土地を動かないものですよ」

「他の土地の精霊使いってどんな人なのかなぁ。本に書いてあったけど、精霊使いって、精霊石を槍にしているって本当?」

 御者台、ベルダネウスの横に座ると、そっと胸の精霊石を撫でる。村でただひとつの精霊石で、彼女は他のを見たことがない。

「本当ですよ。精霊の槍と呼ばれていて、私も何人か見たことがあります」

「精霊石を武器にするなんて考えられない」

「知らない土地に生きる知らない人達の生き様は知らないことばかりです。それを知ることを楽しめないと町を渡り歩くことは出来ません」

「そんなもん?」

「そんなもんです」

 馬車は村を出て、先日やってきた道を逆にたどっていく。

「お嬢ちゃんも来年辺りから嫁入りの話が出てくるんじゃないですか」

「でも、村にはこれと言った男がいないのよね。何年かしておじさんかまだ独り身だったら候補に挙がったかも知れないけど」

 イタズラっぽい笑顔で言う彼女の頭を、ベルダネウスは軽く小突く。

「ルーラ」

 振り返ると、ポラリスの真剣な顔があった。

「このまま、私たちと一緒に行かない?」

「無理だよ。そんなことしたら、おじさん達人さらいになっちゃうよ」

 その返事にポラリスの表情が微かに曇る。

 さすがにルーラも気まずく感じたのか

「ここで下りるね」

 と馬車を止めさせた。そこは、昨日、彼女がベルダネウスの馬車を出迎えた辺りだった。

 ルーラが下り、最後にグラッシェともう一度別れの挨拶をする。

「おじさんの言うこと、しっかり聞くのよ」

 馬車が動き出し、ルーラは手を振って見送る。荷台の後ろから、ポラリスが手を振り返した。

 道を曲がって馬車が見えなくなると、ルーラは村に戻り始めた。

 村に着く頃には馬鹿騒ぎもほとんど終わって後片付けに入っているだろう。明日からは冬の準備で忙しくなる。この辺は雪が多く、今歩いている道も雪で埋もれ、ほぼ通行不可能になる。

 冬のサンクリス村は、入るのも出るのも困難な雪の要塞と化す。村人の冬越しの準備は真剣勝負。山に入り食材を集め、保存用に加工する。薪を集め、炭を作る。山から動物が下りてきた時に備え、囲いも修繕、強化しなければならない。

 今日、みんなが浮かれて騒ぐのも、これからの大変さを実感しているからだ。

 山の動物たちもこれから冬に備え食べまくる。冬ごもりをするものもしないものも、今のうちに食べられるだけ食べておく。山の温泉のような、動物たちが不思議と争いをしない場でも、訪れる動物たちは少なくなる。あそこにいる間は争わなくても、離れたところ、訪れるところを狙っての争いは起こる。

 彼女が山道を1人で歩いて平気なのは、動物たちもこの「道」は人間の縄張りだとわかっているからだ。動物たちは自分たちの縄張りに勝手に他の動物が踏み込むのを嫌う代わり、自分たちも滅多に他の動物の縄張りには踏み込まない。

 曲がりくねった道を歩き、村へと近づいていく。

「……何だろう」

 つい口に出た。何かおかしいと感じた。具体的に何かとは言えないが、いつもと違うものを周囲から感じる。山から動物が下りてきたのも違う。

 道を抜け、村に入ると「あれ」と首を傾げた。

 静かなのだ。結婚式の騒ぎがまったく聞こえない。みんなの騒ぎ声も、歌も音楽も聞こえない。

「もう終わりにしちゃったのかな」

 しかし日はまだ高い。今までならば、日が沈む寸前まで馬鹿騒ぎは続いていた。

「ルーラ」

 彼女を見つけた子供達が駆け寄ってきた。

「どうしたの? もうお終い?」

「みんな寝てる」

 不安げな返事が返ってきた。

「寝てる? みんな?」

 急に不安になって駆けだした。庭の結婚式会場に入ると

「うそ?!」

 大人達がみんなテーブルに突っ伏し、椅子にもたれて眠っていた。中には地面に横になって鼾をかいている者もいる。

 子供達の何人かが大人達を揺り起こそうとしているが、誰も目を覚まさない。

「ルーラ、良かった。あんたは起きていたの」

 奥から何人かの女性が出てきた。起きている大人の姿に少しホッとする。

「みんなどうしたの?」

「あたしたちが聞きたいよ。最初は何人か寝ているだけだったんだけど、そのうちにあっちこっちでバタバタと」

「酒の飲み過ぎで寝る人はいつもいるけれど、こんなになんて」

 教会からクリフソーとソウラが駆けだしてきた。2人ともすでに衣装を脱ぎ、普段着に戻っている。

「父さんも母さんも寝たまま。どうなっているの」

 今にも泣きそうなソウラの肩をクリフソーが抱いた。

 ルーラも急に不安になってくる。酒の飲み過ぎで寝ている大人なんて珍しくない。だが、村人の多くが、一斉に眠っているのが気味悪かった。

 そのままクリフソーがふと気がついたように

「そうだ、ルーラ、精霊石をちょっと貸してくれないか?」

「いいけど、何に使うの?」

 ルーラが精霊石のベルトを外し、彼に渡す。

 途端、彼が駆けだした。

「ちょっと、どこに行くの?」

 慌ててルーラが後に続く。2人は教会を飛び出し、畑の脇を走り抜け、村の出入り口近くまで来る。

 足を止めたクリフソーが懐から丸めた生地を取り出した。花嫁衣装を作った残りで、鮮やかな紅が目立つ。

 それを広げると、まるで旗を振るように大きく左右に振っていく。

「何しているの?」

「合図さ」

 振り向きざま、彼がルーラを突き飛ばした!

 たまらず彼女はそばの畑に転げ落ちる。

「ちょっと、お義兄さん。何するのよ」

「のこのこ着いてくるからさ。教会で待ってりゃ良かったのに。こいつがなければお前はただのガキだ」

 精霊石を手に、口を歪ませる。その顔は彼女が知っている彼のものではなかった。

「でなけりゃ、他の連中みたいに薬入りの酒を飲んで寝てりゃよかった。もっとも、その年じゃまだ酒は早いか」

 ルーラは畑から立ち上がるのも忘れて呆然としていた。目の前にいるのは、彼女の知っているクリフソーではない。彼女の知っている彼は控えめで穏健派。不必要に相手を挑発するような言動はしない男だ。

 状況が飲み込めない。

 唸りが聞こえた。

 村の出入り口である道から何人もの男達が現れた。皆薄汚れてはいるが、黒っぽい緑と焦げ茶の制服。剣や弓で武装し、中には先端に玉をつけた杖を手にしている物もいる。彼女が初めて見る魔導師の証である魔玉の杖だ。

「見るのは初めてだろう。ドボックの兵士達さ」

 兵達は全部で30人前後はいるだろう。そのうちの数人が近づいてくる。中央にいる男だけが他とは違う服を着ていた。着ているスーツはどう見ても文民のものだが、胸につけている勲章は剣が刻まれており、どう見ても軍功を示すものだ。

 年はエルティースよりも少し年上に見えた。黒々とした髭は綺麗に手入れされ、常に背筋を伸ばし、威風堂々と歩いてくる。

「スラフスティック様」

 クリフソーが男の前に片膝をつき、頭を垂れる。

「まだ数人、眠っていないものがおります。ご処置を」

「うむ」

 スラフスティックが右手を挙げると、左右の男女が頷いた。

 男の肌は村人達に負けないほど日に焼けていたが、体つきはほっそりとしていた。軍人にしては目に覇気がない。全てを傍観し、諦めたような目だった。その腕には剣ではなく、大きな輪があった。幅が拳から肘まであり、中央の穴には握るための棒がついている。腰のバッグからは、予備らしき輪がいくつか見えていた。

 女は手に魔玉の杖を持っていた。魔導師だ。男と対照的に肌は、動物の冬毛のように白い。それだけに右目の赤い眼帯が目立つ。左目は右目の分もと力んでいるかのようにギラギラと澱んでいた。

「いけ」

 右手を前に降るように下ろすと、それを合図に周囲の兵士達が一斉に教会に突撃した。

 教会で事態が飲み込めず、事の成り行きを見守っていた女子供達の顔が引きつり、一斉に逃げ出した。

 その背中に放たれた矢が突き刺さる。

 ルーラの悲鳴が拡がった。


「この仕事をしていて一番つらいのは移動なんだ。もちろん、盗賊とか狼や熊に襲われる可能性だってある。しかし、動物たちは自分の縄張りに勝手に入っていかない限り、めったに襲っては来ない。道沿いに進めばほぼ安全。馬車ならば音もするからいきなり出くわす事もない。

 盗賊だって比較的大きな通りを昼間移動するならば、それほど危険はない。襲われるとしたら、周りに人がいない時に、ちょうど盗賊が見張って仲間が揃っているところを通りかかった時ぐらいなんだ。

 むしろ怖いのはたちの悪い役人だ。連中は禁制品の疑いがあるから没収だの、通行税だのといろいろ理由を付けては商品をくすねていく。正面から逆らえないだけに盗賊より始末が悪い」

 山道をベルダネウスの馬車が進む。

 ルーラと別れてから小一時間。山を大きく迂回して進むため、時間の割りにはサンクリス村から離れていない。

「だから、アクティブのような大きな国のそれなりに大きい町を移動する時は、護衛を雇わないこともある。もっとも、それではサークラー教会に登録している護衛担当の戦士や魔導師が仕事にならない。

 教会では危ない、盗賊が多く出没していると一生懸命、危機を煽っているんだ。商人の方も、やむなく給金の安い、あまり強くない護衛を雇うことになる」

 サークラー教会は「人は他者との交流で幸せになれる」という教えを基本とする八大神のひとつで、交流神とも呼ばれている。その教えから商人たち、それもベルダネウスのような小さな村を回る自由商人たちを支援する元締めのような存在である。彼らの支援を受けるため、自由商人のほとんどはサークラーの信者となっている。支援目当ての「とりあえず信者」というやつだ。

 ベルダネウスも例外ではなく、彼の馬車には、互いに握りあった手が輪となっているサークラーの紋章が掲げられている。

 その馬車で、彼だけが口を動かしていた。

 荷車にいるポラリスは、先ほどからずっと黙ってサンクリス村の方角を見ている。まるで彼の言葉が聞こえていないかのように。微かに息が荒く、真っ直ぐ見えない村を見ている。

 そんな彼女の表情に気づいているのかいないのか、彼は静かに話し続けている。

「けれど、護衛を雇っているのは教会への義理だけじゃない。商人にとって一番つらいのは、ずっと1人で移動することなんだ。

 商人は相手としゃべるのも仕事の内、いえ、むしろしゃべりの力で売上が変わると言ってもいい。それだけに、大半を占める移動の間、誰とも話せないというのはとてもつらい。

 だから護衛も、自分の身を守ってもらう以上に話し相手になって欲しいというのが本音なんだ。実際、護衛の人気は剣や魔導の腕ではなく、どれだけ話していて楽しいかで決まると言って良い。

 それに、誰だって自分の知らないことを知っていたり、経験したりしている。話しながらそれらを聞くのは結構楽しい。だから、君が一緒にいてくれるのは……」

 そこまで言って、彼は静かに息をついた。

 ちらと後ろを見ると、相変わらずポラリスは村の方を見ている。村へ嫁に来て数年、夫を亡くし、出て行く決心をしたとは言えいろいろ思い出もあるのだろうと彼ははじめは思ったが、それにしては彼女の顔色が悪い。真っ青だ。まるで見たくはないが見なければいけないものを見ているかのように。

 休息にちょうど良い、出っ張ったように少し開けた場所がある。そこへ馬車を止めると、ようやく彼女は振り返った。

「どうしたの?」

「それはこちらが言いたい。結婚が村を出るための手段だとは言え、もう少し話し相手になってほしいな」

「ああ、ごめんなさい」

 言われて初めてずっと黙ったままなのに気がついたのか、ポラリスは申し訳なさそうに頭を下げた。

「そんなに村が気になるか?」

 彼は御者台を下り、馬車の中に入ってきた。

「え、まぁ……自分から出て行くことにしたのに、本当に出るとなんだか」

「大丈夫だ」

 彼は唇を噛みしめ、静かに開いた。

「村の人達が強く抵抗しない限り、殺されることはない。ほとんどの人は眠っているはずだから抵抗のしようがない」

 彼女の体がビクッと震えた。むき出しの神経に一撃をくらったかのように。

「な、何を言っているんですか?」

「あなたは、今、村で何が起きているかを知っている。村を出たい一番の理由も、今日、この時に村にいるのが怖かったからだ」

「わ、私は……」

「そしてもうひとつ。なぜ、私がこのことを知っていると思う? なぜ、結婚式というおめでたい場から途中で逃げ出すように出て行ったのか?」

 それを聞いた彼女の戸惑いが驚愕へと変わる。その変化に彼は頷き、

「私も知っている。今、あの村で何が起こっているのかを」

 逃げるように彼女が後ずさる。その様子に、彼はあきらめ顔を横に振る。

「……否定して欲しかった。何を言っているのかわからないと答えて欲しかった」

「あなたも……」

「大丈夫だ。さっきも言ったとおり、激しく抵抗しない限り、村人達が殺されることはない。そういう契約になっている」

 その言葉は、彼女にと言うより、自分に言い聞かせているように聞こえた。

「村から離れよう。今なら間に合うと思えるような場所にいたら、どんどん心を追い詰める。自分から手遅れにするのもひとつの手段だ。格好良い方法じゃないが」

 御者台に戻ろうとする彼の背中に、ポラリスがしがみついた。

 この不安から逃れる方法がもうひとつあるのを彼女は知っていた。

 ベルダネウスはそれを受け入れるかのように、じっと彼女を抱きしめ続けた。

 全てが終わるであろう時間が過ぎるまで。


(つづく)


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