【2・結婚式前日】
エルティースはベルダネウスを執務室に迎えていた。ほぼ1年中、村から出ることのない彼にとってベルダネウスのような外から来た人達は大事な情報源でもある。
ベルダネウスもまた、外の情報を彼らに伝えることも仕事のひとつと考えていた。
「10日前にドボックをはじめとする戦東群国で休戦が宣言されました。毎年のことですが」
「出来ればこのまま終戦して欲しいが。どうせ春にはまた戦となるだろうな。毎年のことだ」
戦争状態と言っても、一年中、毎日のように戦いがあるわけではない。
戦いがあれば、小さなものでも兵は死ぬし怪我をする。兵を維持するための物資も常に一定水準を維持し続けなければならない。そんな消耗期間をずっと続けることなどできない。兵を休ませたり育てたりする期間が必要だし、食料などを確保するため、作物を育てたり収穫したりする人や時間も必要だ。
長い間戦い続けた結果、各国共通の、戦争をしたくないという時期が生まれた。農作物の収穫時期だ。
たださえ、長い戦いの中で専業兵士は少なくなっている。普段は農作業を行い、閑散期に兵として戦う。そんな人達が多くなっている。だからこそ、この時期は各国とも国境周辺の兵を最小限にとどめ、兵達はそれぞれ家に帰って作物の収穫を行う。
もちろん攻める側としては相手側の守りが薄くなるこの時期は、攻め込むチャンスである。が、もしも失敗した場合は自国の収穫を逃すことになる。それは戦力の低下に繋がり、冬になって今度は攻められる側になった時、持ちこたえられない。
様々な事情により、戦東群国ではこの時期、休戦となるのが習わしとなっていた。
当然、この時期は平民の間で動きが活発になり、ベルダネウスのような自由商人が動きやすい時期だ。あくまで他の時期に比べてという程度だが。どこの国でも、よその国に物資が運ばれていくのを快くは思わない。中には通行税と称して商品を横取りしたり、盗賊の襲われたことにして荷物をまるごと手に入れる役人、兵士もいる。
それを防ぐために、自由商人たちは複数の国に対して影響力を持つ教会の後ろ盾を必要とする。
自由商人達を支援し続ける交流神サークラー。兵の死をなだめ、未死者化などを防ぐ死の神バールド、そして戦いの歴史を記録し続ける知識神ラウネはその代表である。
サークラー教会の協力により、自国では手に入りにくい物資を手に入れられる。
バールド教会の協力により、戦いで生じた多くの死者を弔うことが出来るし、遺族の感情を和らげられる。
ラウネ教会の協力により、他国の情報も手に入れられる。
どの国も教会の力を必要としている。だからこれらの支援を受けることにより「こいつらにへたに手を出して教会全体を敵にしたら、却って自国に不利益をもたらす」と各国に思わせる。それが商人達の自衛手段なのである。
「休戦はもちろん、戦東群国が統一できればアクティブやスターカインにも負けぬ一大国家になるというのに」
「各国ともその意思はありますよ。条件付きですが」
言われてエルティースがうんざりするような力のない笑みを浮かべる。
「自国を中心とした統一か」
群国統一による一大国家の誕生。それは戦東群国すべての祈願でもある。にもかかわらず100年以上もそれができないのは、どの国も自分たちが中心となる統一国家を目指しているからだ。統一できても、自国が他国よりも下になるのでは意味がない。
一時的に複数の国が同盟を結んだことはあったが、そのうちのひとつが力を付けると、今度は自分たちが危ないという思いから同盟と同時に足の引っ張り合いも行われ、結局元に戻る。その繰り返しだ。
統一を防ぐため、わざとアクティブたちが手を回し、工作しているとも言われている。
ドボックは戦東群国でも北の外れに位置するため、積極的に狙われることは少ないが、それは裏を返せば周辺国から舐められている。それほど脅威に思われていない証でもある。そのことに安堵するもの、屈辱に思うもの。ドボックでは2つの思いがせめぎ合っている。
「どうも最近、町で不穏な空気を感じます。最近、こちらから攻めようという強硬派が力をつけています」
「攻め込むだけの戦力がこの国にあるのか?」
「そこまではわかりません。今はまだ様子見派が多いですし」
「仮に強硬派が実権を握ったとしても、戦力がなければ動けまい」
「なければ集めようとするでしょう。特にこの村は気をつけた方が良いです」
ベルダネウスの忠告は、この村の始まりが関係している。
ここは、はじめは近くの村の隠し畑だった。ドボックに限らず、戦争をしている国は税の徴収が厳しい。農業をしている人は現金をあまり持たない代わり、収穫物の大半を税として納めさせられていた。
豊作の年はまだしも、あまり出来の良くない年はかなり厳しい。凶作の年だと、自分たちが食べる分すら残らない状況に、人々は国に見つからないよう、こっそり山奥に隠し田畑を作った。
元の畑を世話しながらだったのでたいした量も出来ず、野生動物たちに食い荒らされることも多かったが、実りを全部自分たちのものに出来たのは大きかった。
そのうちに戦争が激しくなり、村の若者が兵として取られることになった。働き手を失うことを恐れた村は、若者を死んだことにして隠し田畑に住まわせることにした。それにより隠し田畑の収穫量は大きくなる。
さらに、王が戦力増強を最重要視、全ての若者の兵役義務化を決定した。忙しい時期に若者を取られ、そのまま帰ってこないことも珍しくない。ついに村は決断した。自分たちの村を自ら焼き、この隠し田園に逃げ込んだのだ。
そのため、このサンクリス村は戸籍上は存在しない村である。ここを知っているのは、唯一の外とのつながりを持つラウネ教会だけとなる。そもそもこの村を焼いて身を隠すこと自体、ラウネ教会の提案とも言われている。
時は流れ、先述したような各国との暗黙の合意を経て戦局は安定、以前ほど行き詰まった状況はなくなった。そこでここの村長であり、ラウネ教会の司祭でもあるエルティース家はサークラー教会と接触、自由商人を招き、外の情報や物資を得るようになった。
もちろん、ラウネ教会への根回しはしたし、相手の自由商人は慎重に決められている。
それでも、人の出入りがある以上、完全に隠し通すことは難しい……。
「どんな理由があろうとも、彼らにとってこの村は税や兵役を逃れて隠れ住む人達の村。非国民の集団です。容赦しないでしょう」
「だが、我々もいつまでも隠れ続けるわけにはいかん。
……当時、ここに来た人達は覚悟をしてきただろう。だが、その子供や孫達をいつまでも村に縛り付けておく訳にはいかん。このままでは、この村が世界の全てになってしまう。そろそろ表に出る機会を伺わなければならん」
天を仰ぐエルティースの目は、見えないものを見ようとしているようだった。
「お心は解りますが、焦りは禁物です。実際、ここ10年ほどのあなたの動きはやり過ぎだと教会でも問題視されています。
毎年、何人かを私のような自由商人を通して外を経験させているのもそうですが、3年前に劇団を招いたことは特に彼らを怒らせています。隠し村に旅の劇団を招くなんて馬鹿かと。失礼ながら、私もそう思いました。
私の前にここを訪れていた自由商人も、村に来るのを辞めた理由に、遠からず村のことがバレる。巻き添えは嫌だと言っていました。
エルティースさん。あなたは知識を人の足場とするラウネの司祭です。人が高みを目指すのに知識は大事です。それ故に、ラウネの人達は、知識を得ることにこだわり、自らを縛ってしまう。知識欲によって滅びたラウネ信者がどれだけいたか」
「知識は人が高みに登るための土台であり、冠ではない。知識量を、人を測る尺度にしてはならない。
しかし、知識を持たないが故に適切な生き方、方法を見いだせず落ちた人間がどれほどいたか。
ベルダネウスさん。私は、こんな暮らしを私の代で終わりにしたいのですよ。はじめは私も今の姿を保つことが1番と考えていた。だが、現状維持といえば聞こえは良いが、それは前に進むことを放棄することです。
子供達には、外の知識も知ってもらいたい」
その言葉に、ベルダネウスは静かに頷いた。
「教会に話をつければ、村人達を何回に分けて村の外に連れ出すことは出来るでしょう。でも、それでは村は空っぽになります。それがどれほど危険なことかおわかりのはずです。村人達だって、今の生活を捨てて全然知らない街で暮らせと言っても迷うでしょう。
人にとって、不満のない生活は捨てづらいものです」
「わかっています。ラウネ神は、もしかして私たちを試しているのかも知れません。これまで得た知識を下に、未来に通じる道を作る知恵を出せと」
「うまい方法を考えないと。ラウネ教会でもいくつかの案が候補になっています。決して早まったりしないように」
「うむ」
エルティースは漆黒のがっしりした机に歩み寄り、引出から茶色の紙袋を取り出した。
「記録だ。また教会まで届けてくれ」
それをベルダネウスが受け取るのに合わせたかのように、ドアがノックされた。
「どうぞ」
ドアを開けて少し太めの中年女性が顔を出した。ラウネの紋章を象った髪飾りを付けた短い髪の彼女は、エルティースの妻レミィ・マルム・エルティースだ。
「あなた、子供達がベルダネウスさんはまだかとうるさくて。ポラリスが相手をしているんですけど、とにかくうるさくて。元々うるさいのに、それが3倍ぐらいになって」
早口で言うのをエルティースが片手を上げて制する。妻の早くて多い口には彼も慣れっこだ。
「わかりました。すぐにまいります」
ベルダネウスは立ち上がるとエルティースと握手する。
「ソウラも呼びたいところだが、今、最後の衣装合わせでな。申し訳ない」
「本当、残念ですわ。あなたが持ってきてくださった紅染の生地。あれのおかげで素晴らしい花嫁衣装になりましたのに」
「美しい花嫁は明日の式当日までお預けと言うことで。そのほうが期待が大きくなります」
「出発は式の日が開けてからで?」
「いえ、私も次の仕事があります。式は拝見させていただきますが、日が傾く前には出発します。明日の夕方にはドルボックに着きたいので」
ドルボックはこの国の首都である。
「ですから、今日の内に子供達の相手をたっぷりしておきますよ」
紙袋を手に執務室を出ると、レミィの案内で教会隅の大部屋に向かう。この部屋がこの村唯一の学校であり、子供達が読み書き計算を習っている。
教室に入ると、ポラリスと一緒に歌っていた子供達が一斉に歌をやめ、歓声を上げる。車座になっている彼らの中心には、あまり美味いとは言えない手書きの地図が置かれていた。ドボックだけではない。戦東群国はもちろん、周囲の大国を含んだ子供達3人分はあろうかという大きな地図だ。
「静かになさい。ベルダネウスさんが来ましたよ。そんなに大きな声をだしてはお話ししづらいでしょう。静かにしなさい。ザーザ、食べるのはやめなさい。キィテルも地図に落書きしない。余計なおしゃべりはやめて」
「レミィ様が一番しゃべってる」
子供に言われて、彼女が気まずそうに咳をした。助け船を出すようにベルダネウスが言葉を引き継ぎ
「さて。今日はどこの話をしようか?」
「海の町が良い!」
「美味しいものがいっぱいあるところ」
「王様のいる町」
異口同音に聞きたいところをあげる子供達。彼らにとって、村の外に出て、いろいろな町を行き来する自由商人は、正に何でも知っているもの知り人なのだ。
「そうだな。それじゃあ、今日は海辺で美味しいものが多い街の話をしよう。スターカイン国の南にピニミという町があって……」
知らない町の話を聞く子供達は皆目を輝かせている。その中にはルーラの姿もあった。
ベルダネウスが持ってくる外の情報を欲しがるのは大人達だけではない。子供達にとって、彼は外の世界で様々な「冒険」をしてきた勇者のような存在だった。自分たちにはお話の中にしか存在しない世界を生きてきた人だ。
彼もまた、そんな子供達の思いにできるだけ応えようとしていた。もともと自由商人として、様々な人と話す機会が多い、というかおしゃべりは彼らに必須の技術である。
「けれどもきれいなもの、美味しいものの多いところは人がたくさん集まる。中には悪い人もいる。ピニミの南の海にはたくさんの海賊がいるんだ」
「海賊?!」
子供達の目の輝きとは逆に、外はすっかり暗くなっている
「みんな、お話はこの辺でお終い。もう暗くなりますよ。おうちに帰りましょう」
暗くなった外を心配そうに見るポラリスの手打ちが彼の話を終わらせた。
「そうだな。それじゃあ、海賊の話は今度にしよう」
不満の声を上げる子供達も、外が暗くなり始めているのを見て少しずつ諦めはじめた。
ポラリスが龕灯を手に子供達を送っていくと、ベルダネウスはレミィが入れてくれた紫茶で一息ついた。
「お疲れ様です。話し疲れたでしょう」
「いえ、話すことも勉強になります。その町について話して、いろいろ聞かれる度に、自分はたいしてその町について知っていないことを痛感しますよ」
「それは仕方ありませんわ。自分に直接関わりのないことを知る機会など滅多にありませんから。すぐにお食事の支度が出来ますから、それまで休んでいてください」
この村には宿がない。だからここに来た自由商人達はエルティース家に泊めてもらうことになっている。荷物の売買が済めば、彼らはお客様なのだ。
ベルダネウスは書庫へと向かった。ラウネは知識の神の通称通り、多彩な記録を複製、保管している。こんな末端の教会でも、大規模な書店以上の資料が揃っている。時間つぶしと知識の吸収にはもってこいだった。
「しかし……」
書庫に並んだ書物を見る度、彼は首を傾げた。小さな辺境の村にしては魔導関連の書物が充実している。数千年前に滅びたと言われる古代魔導文明の研究書まで数冊ある。しかも、どれも手垢でひどく汚れ、かなり読み込まれているのがわかる。この村には魔導師はいないのに。今はいないが、かつてはここにも魔導師がいて、その人が持っていたのを、死後、寄贈という形で残されたのかも知れない。
彼が目当てにしているのは、この辺一帯の動植物記録だった。現地の動植物、風俗文化などを記録することはラウネ教会が各地に教会を作る目的のひとつだからだ。もともと彼らが現地の人達に無償で読み書き計算を教えるのは、記録作りをスムーズに行うためでもあった。
これらの記録はラウネ教会の各本部に持ち込まれ、「百科事典」としてまとめられている。これは国の公立図書館や研究機関、魔導師連盟はもちろん、神の間の境界を越え、他の宗派の教会にも「人が手に入れられるものでもっとも信頼できる知識の書」として認められているほどだ。
もちろんその知識量は膨大で、最近では整理のための人員不足に陥り、
「残す記録とそうでないものとを選別すべきだ」
「その基準は誰が、どうやって決めるのだ。選別者に価値観に沿った記録ばかりが残されることになりかねない」
と議論を呼んでいる。
「やっぱりここにいた」
手頃な書物を指で追っていると、ルーラが食事に呼びに来た。
「遅くなって申し訳ない」
暖炉とランプの明かりの中、出迎えたエルティースが軽く頭を下げた。魔導灯のないこの町では夜の灯りと言えばランプと暖炉の炎しかないし、ランプの油は貴重である。村人達は用事のほぼ全てを日が沈む前に終え、暗くなるのに合わせて眠る。食事が灯りを必要とする時間に行われるのは珍しい。
「ちょっと待ってね」
ルーラが胸の精霊石に手を当てると、食堂が昼間のように明るくなる。しかしどこにも光源は見当たらない。彼女が光の精霊に頼んで明るくしてもらったのだ。
テーブルの料理も照らされる。木の実入りの平パンに自家製のジャム。茸と山菜の炒め物に川魚の焼き物、山菜のスープに柿のパイなどが並ぶ。どれも大皿に盛られ、各自が自分の分を取るというやり方だ。
「おじさんが来るとごちそうだからいいな」
さっそくルーラが焼き物、炒め物を小皿に取り、「はい」とベルダネウスの前に置く。
「明日はもっと美味しいものが出るから。おじさんの好きな川蛇焼きも貝スープもあるよ」
「それは楽しみです」
「本当に便利だな。精霊の力を使えるって言うのは」
感心したようにエルティースの隣に座っている男が見回し、隣の女性がからかうように微笑んだ。
この女性がルーラの姉であり、明日の花嫁ソウラである。ルーラよりも少し背が低く、よく言えばふくよか、ぽっちゃり型でコロコロ笑う顔は愛嬌がある。まだ結婚式前なので足下まである髪はフリルの着いた髪紐でまとめ上げられ、ルーラ同様、簡単に体に巻き付けてある。
そして隣の男が花婿のニート・クリフソーである。24才の若者で言葉遣いは少々がさつだが、物腰、立ち振る舞いからは育ちの良さが感じられる。
彼は村の人ではない。村では10年ほど前から村の外を知った方が良いというエルティースの考えから、出入りの自由商人に頼んで、1年前後を目安に交代で若者を手伝いに雇ってもらっている。
ソウラは3年前、出入りの自由商人の手伝いという名目で村の外に1年近く出た時、ドボックの首都ドルボックで出会ったのだ。
知られた軍の家系の息子である彼もまた兵となるはずだったが、彼は自分は兵隊に向いていない、そんな力はないとその自由商人に雇われる。用は体よく兵役から逃げたのだ。彼はそのままサンクリス村に着くとそのまま村に定住、ソウラと結婚することになったのだ。
「魔導師のいないこの村では貴重な力よ。ルーラのおかげでどれだけ村が助かったか」
褒められて悪い気のしないルーラだが
「あたしのおかげじゃなくて、精霊たちのおかげだから。ね」
と何もない空間に微笑んだ。他の者には見えないが、彼女には精霊たちの存在が見える、いや、感じられるのだろう。そのせいで他の人達からは気味悪がられて距離を取られることもある精霊使いだが、家族達はもう慣れっこというように素直に受け入れていた。ただ、クリフソーだけはどうしても慣れないのか、困ったようなぎこちない笑みを浮かべていた。
ここではこの家にいるひとたちがみんな集まって食事を取る。家長も使用人もない。
エルティース夫妻にソウラとルーラの姉妹。クリフソーとベルダネウス、そしてポラリスだけである。ポラリスは夫を亡くしてからこの家で暮らし、エルティースの助手や子供達に読み書きを教える先生みたいなことをしている。
「明日は忙しくなる。今日は早めにみんな休むと良い」
「どんな衣装ができあがったのか楽しみです。今日はいろいろあって拝見できませんでしたから」
ベルダネウスの言葉にソウラがはにかんだ。彼女が口を開くより早く、レミィが
「実に素晴らしい花嫁衣装になりましたわ。この村であんな良い生地が手に入るなんて。イナセの紅染ですか。アクティブやスターカインでも人気の生地とか。仕入れるのは大変だったでしょう。でも、苦労しても手に入れる価値がありますわ」
その早い口調に、ソウラが困ったような笑顔を浮かべる。
「幸いにもイナセに馴染がいましてね。そのつてで手に入ったんです」
ベルダネウスが遮るように答えた。黙っていたら、レミィは食事が終わるまで休むことなく言葉を発し続けるだろう。この口が娘に受け継がれなかったのは村で一番の幸福とまで言われている。
スープの貝を噛みしめ、身の甘さを堪能した後、
「そういえば、お持ちした食材に問題はありませんでしたか?」
「確かめた限りは問題ない。海のものは心配だったが、特に痛んではいない」
「それは良かった。この季節なら大丈夫とは思いましたが、お酒も?」
「そっちも大丈夫。久しぶりに良い酒が味わえそうだ」
クリフソーの返事にベルダネウスもホッとする。
「安心しました。私はお酒が駄目なので、酒の仕入には気を遣います」
「酒屋で銘柄を指定すれば良いだろう」
「こちらが酒の飲めない自由商人となると、馬鹿にしてわざと等級の低い酒を渡すところもあるんですよ。かつてそれで1度お客から訴えられたことがありまして」
「そいつは災難だ。でも、酒が駄目なら味見も出来ないだろう」
「ですからあちこちに酒にうるさい知り合いを作っています」
「おじさんはお姉ちゃんの結婚式、最後まで見ていくんでしょ」
「はい。と言いたいところですが、次の取引があるので昼過ぎには出発します。それまでは拝見させていただきます」
「だったら離髪の儀式は見られるね」
離髪の儀式とは、それまでずっと切らずにおいた花嫁の髪を、花婿の手により切り離される儀式である。この村の結婚式のメインである。
「いつかはルーラ嬢ちゃんも誰かに髪を切ってもらうのだろうな」
「そんな人、まだ想像できないけどね」
そこからだろうか、ベルダネウスの知る各地の結婚における珍しい風習、儀式に話が拡がっていく。
月が天に昇り、人の手による灯りが失われた時分、教会の灯りも消えた頃、ベルダネウスに用意された部屋だけ灯りがついていた。来客用の部屋で、簡素なベッドに机と椅子、クローゼットがあるだけの粗末な部屋である。ただ、広さだけはそこそこあり、彼が大の字になって横たわり、ゴロゴロ転がることが出来るぐらいある。
風の音、虫の声に混じってペンが紙の上を走る音が重なる。ベルダネウスは1人薄汚れた寝間着代わりの服を着て、エルティースから受け取った報告書を書き写していた。
ペンもインクも紙も彼が自分で用意したものだ。小さな村とはいえラウネ教会にはそれらは十分用意されている。しかし、彼は教会のものを使うことなく、全てを自分で用意していた。
ランプの明かりの中、彼は書き写す。一字一句間違えないように。時折手を止めては、報告書を指でなぞりながらじっと目で読む。書かれている内容をすべて頭に入れようとしているかのように。
最後の一文を写し終えると
「まったく……困ったものだ」
目を押さえ天を仰ぐ。単に目が疲れただけとも、目の前のやっかいごとに対して思案しているようにも見える。
「よほどうまくやらないと、こっちが死ぬな」
その時、軽く扉がノックされた。
彼は書き写した紙などを急いで机の引き出しにしまい、机の脇にかけておいた愛用の鞭を手にした。それを入り口からは見えないように構え
「どちら様ですか?」
返事をした。
「ポラリスです。中に入れていただけますか」
遠慮しがちな声に、彼は鞭を戻した。
扉を開けると、質素な寝間着にガウンを羽織ったポラリスが立っていた。
彼は彼女を部屋に招き入れた。思わず警戒するように扉を閉める。廊下には他に人の姿はなかった。
「どうかしましたか? 女性が1人で男を訪ねるに良い時間とも思えませんが」
「でも、明日は結婚式で忙しいですし、あなたは式の途中で村を出て行くのでしょう。今夜しか時間がなくて」
ベッドに腰掛ける。彼を見上げる目はどことなく色気を感じさせた。
「よほど切羽詰まった事情のようですね。私が役に立てることでしょうか?」
「はい。あなたでなければ駄目なんです」
彼女はかすかに躊躇するが、意を決して
「私と結婚してください」
真剣な顔を向けた。
さすがに彼も返事が出なかった。
「えらく唐突ですね」
「それはわかっています。でも、今を逃したら次にあなたが来るのは早くても来年の春でしょう。それまで待てというのですか?」
「このことはエルティースさんはご存じなのですか?」
彼女はゆっくりと首を横に振った。
「いきなりでは困るでしょう。あなたはここの先生だ。それに、この村では結婚式は新郎新婦とその家族だけのものじゃない。大きな祭りです。明日の結婚式が村総出なのも、村長の娘の結婚式だからじゃない。数少ない娯楽だからだ。
私よりも村に詳しいあなたがそれを知らないはずがない。なのにどうして?」
「それは……」
言葉を濁し目を背ける姿に、ベルダネウスも気がついた。結婚はただの口実に過ぎない。
「村から出たいんですか?」
彼女は静かにうなずいた。
「どうしてですか? ここの話は外に漏らしません。エルティースさんにも黙っています。何か村に不満があるんですか?」
問われて、彼女はうつむいたまま答える。
「怖いんです」
「村が?」
「……エルティースさんです」
「何かあなたに無理を言ってくるんですか?」
ポラリスは未亡人だがまだ若く美しい。エルティースが何か良からぬ思いを抱き言い寄ってくるのではと彼は真っ先に思った。何しろ相手は村長、教会の司祭、そして学校の上司でもある。この村の最高権力者だ。とても撥ねつけることなど出来まい。
「いえ、エルティースさんはとてもよくしてくれています。けれど、何か大事なことを隠しているような気がしてたまらないんです」
途端、ベルダネウスの顔がこわばったが、うつむいたままの彼女は気がつかない。
「私にだけじゃありません。村の人たちにも大事なことを隠しているんです」
「どうしてそう思うんです」
「少し前、村が収穫で忙しかった頃です。
夜。ふと目を覚ましたら、エルティースさんが1人、ランプを持って歩くのが見えたんです。声をかけようかとも思ったんですが、周囲を伺うような感じなので、かけそびれて。
どうしたのかと思って見ていると、通路の奥、地下への階段を降りていきます。地下の倉庫に用事があるのかと思ったら……
倉庫には普段使わないものを入れる箪笥とかがあるんですけれど、そのひとつが動いて、大きな穴が出てきたんです。エルティースさんはその中に入っていって」
「隠し扉か」
ベルダネウスが身を乗り出し
「あなたも中に?」
「いいえ。なんだかいけないものを見てしまったようでそのまま戻ったんです。朝になって調べてみたんですけれど、箪笥は重くてとても動きません」
「隠し扉だったら当然でしょうね。エルティースさんに直接聞いてみましたか?」
「いえ、怖くて。私の考え過ぎなら良いんですけれど、そうでなかったら……。もしかして、私は見てはいけないものを見てしまったのかも知れない。
それ以来、ここに居続けるのが怖いんです。必死に何でもないふりをして、エルティースさんに私が気がついたことを悟られないようにして。
でも、村から出ようにも、行くところはありません」
「元の家には? あなたは確か村の外から嫁としてきたはずです」
「私の家はワークレイです」
「なるほど。1人、女の足で行くには遠すぎますね。それで私を利用しようとした。中途半端な理由ではさっきの私みたいにダメ出しされる。それで私と結婚するという形にしようとした。
村から出られて、生活の糧も得られる案というわけですか」
その言い方はさすがにちょっとキツいところがあった。彼女も申し訳なさそうにうなだれ
「すみません。でも、まるっきりの嘘でもありません」
ガウンを脱ぎ、寝間着のボタンを外し始める。
「あなたとならというのは本当です」
前をはだけると、下には何も着ていなかった。まだ張りのある健康的な胸の膨らみを隠すこともせず、上を脱ごうとする手を彼が捕まえて止めた。
「あなたは私を村に来たときの姿しか知らない。いわば、客を前にした商人としての姿しか知らない。それでも良いんですか? 」
「あなたも、村に来たときにしか私を知りません。お互い、知りながら進むのも良いと思います。前の夫とも、結婚の後で知ったことがいくつもありましたけど、それはそれで楽しかったです」
「そうですね……それも良いかもしれない」
その言葉で、彼自身の力が抜けた。
再び彼女が脱ぎ始めるのを、再び彼の手が止める。
「ポラリスさん……。私も男です。脱いでもらうより、自分の手で脱がせたいんですよ」
彼女の目が一瞬きょとんとなり、ついで軽く噴き出した。
「それでは私からも。その言い回し、妻に対する言葉遣いじゃありません。私の前では、商人であることを止めてください」
「そうだな」
いきなりポラリスを抱き寄せ、唇を重ねてきた。
「あれ? おじさん、まだ起きているのかな?」
毛布にくるまっていたルーラが足を止めた。
明日にはお別れなので、彼女は今夜、グラッシェの小屋で一晩過ごすことにしたのだ。そして夜、ふと用足しに目を覚ました彼女は、戻る途中、部屋のひとつに明かりがついているのを見つけた。ベルダネウスの部屋だ。
なんとなくそこまで歩いた彼女が窓から中をのぞくと
「⁉」
一発で目が覚めた。
ランプの明かりの中、ベッドでベルダネウスとポラリスがしていること。13歳の彼女に経験はないが知識はある。
「おじさんとポラリスさん……やっぱり……」
衝撃よりも、お似合いだと思っていた2人が、そういう関係になっていることに喜びがわいてきた。
音を立てないよう注意して彼女はその場を離れると、馬小屋に戻っていった。
「グラッシェ。明日、お前と一緒に行く人が1人増えたよ」
嬉しそうに立ったまま眠る馬に声をかけると、その前で毛布にくるまって横になる。
なかなか寝付けそうになかった。
朝日が昇る少し前、まだ暗い中、ポラリスはベッドの中で目が覚めた。村にいると、夜明け前に目が覚めるのが当たり前になっている。
まだベルダネウスのぬくもりが残る体を起こす。
彼は机で何やら熱心に書き物をしていた。昨夜の写しの続きだ。
「おはよう」
ペンを置いて挨拶する。ちょうど終わったところらしく、吸い取り紙で紙を押さえると紙の束を紙袋に入れる。
「こんな時間から仕事?」
「今日は忙しくなりそうだからな」
その口調にもう他人行儀さはない。彼は彼女に朝のキスをすると、
「さて。まずはエルティースさんに私たちのことを話して、あなたを連れ出す許しを得ないと」
「もし許されなかったら?」
「私が人さらいになるだけだ。そうならないように説得しないと。任せてくれ。相手の説得は商売人の仕事のうちだ」
「ごめんなさい。私のわがままで」
「幸せになるためにすることをわがままとは言わない。努力と言うんだ」
窓から朝日が差し込み、2人を照らし始めた。
着替えを終えた2人が部屋を出、広間に入ると、そこにはエルティース家の家族が全員そろっていた。
その中心で大きく手を広げていたルーラが振り返り
「おはよう。2人の結婚、認めてくれるって。今日、おじさんと一緒に村も出て行っていいんだよ」
とポラリスに駆け寄る。
その言葉にベルダネウスとポラリスはそろって唖然とした。
「なんでそれを?」
「2人ともなんて照れくさい。愛し合っているのならどうしてもっと早く私たちに告げてくれなかったの」
レミィが歩み寄り、2人の手を取る。
「まさか反対されるなんて思っていたんじゃないわよね。とんでもない。誰が反対なんてするものですか。そりゃあ、ポラリスさんが村を出て行ったら子供達は悲しむかも知れないわ。でも、幸せになるために出て行くんだもの。きっと子供達もわかってくれるわ。みんなよい子達ですもの」
相変わらず動き出したら止まらない口に、2人とも挟む機会がつかめない。
「本当に、どうして今まで黙っていたの? 前から言ってくれれば、今日の結婚式だってソアラと二組一緒に出来たのに。結婚式が二組同時なんて、考えるだけでわくわくするわ。それなのに黙っているばかりか、式も挙げさせてもくれず村を出るなんて。なんて水くさい。
そうそう、あなたが初めて村に来たときも」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってください」
ベルダネウスは叫ぶようにレミィの言葉を遮った。このままではソアラの式が始まるまでしゃべり続けるだろう。
「あの、私たちのことをいったい誰から聞いたのですか?」
「ええ。結婚を決めたのは昨夜で、まだ誰にも言っていなんですけれど」
レミィは意外そうに
「あら、朝早くにルーラが教えてくれたんですよ」
「ルーラが?」
見回すがルーラの姿は部屋にない。
「ただいまーっ」
そこへ当のルーラが帰ってきた。ベルダネウスとポラリスの姿を認めると
「よかった。安心して。村中に2人の結婚のこと教えてきたから」
どうやら、村中回って2人の結婚のことを教えて回ったらしい。
「ルーラ嬢ちゃん、どうして私たちのことを知ったんです」
少し責めた感じの口調に、彼女もちょっとばかり「まずい」空気を感じ取ったらしい。少し困ったような笑みを浮かべ
「その……あたし。見ちゃったから」
「何を?」
「だから、おじさんとポラリスさんが……その……子供作っているところ」
たまらずベルダネウスが噴き出した。ポラリスが真っ赤になって顔を覆う。
「はは……別にのぞく気はなかったんだけど。たまたま昨夜眠れなくて。おじさんの部屋に灯りがついていたから何だろうと思って窓から見ると。2人がその……裸になってベッドで」
「言わなくて良いです!」
慌ててベルダネウスが彼女の口を塞いだ。
「確かに夫婦では当たり前のようにすることですけれど……あまりおおっぴらに話して回ることじゃないです」
ベルダネウスもポラリスも、美味い言葉が思い浮かばず、困った顔で周りをチラ見する。
クリフソーが呆れ、ソアラが真っ赤になり、エルティースも美味い言葉はないかとベルダネウスと同じ顔をする。
レミィが怒ったように
「ルーラ」
彼女の両の耳を引っ張り上げた。
「痛い痛い痛い……お母さん、痛い!」
「私はてっきり、お2人から結婚のことを直接聞いたものとばかり思っていました。そのようなこと、私は初めて聞きましたよ。嫁入り前の娘がそのようなのぞきなど。恥を知りなさい!
こちらに来なさい。この村を治める村長の娘としての、ラウネ司祭の娘としての心構え、生きようについてじっくりと教えてあげます」
「せめてごはん食べてから」
「これが終わったらです!」
引っ張られるように母から連れ出されていくルーラの姿に、ベルダネウスたちも呆気にとられる。
「ああ……何というか……」
エルティースが気恥ずかしそうに咳払いし、ベルダネウスとポラリスに向き合い
「おめでとう」
と言った。
(つづく)