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第一話 出会いはデコを打ちつけるところから

 4月。


 春の光のうららかな頃。


 春の風物詩である桜が人々を浮かれさせる頃。


 そんな暖かな日差しのとある日。


 ネット上で「妄想」を綴って僅かばかりの収入を得ていた柳小路幸広は、大学の入学式以来一度も着たことの無い、父親から受け継いだ有名ブランドのスーツに身を包んでいた。


 鏡の前に立ち、それっぽく姿勢を取る。


 似合ってない。どうしてもスーツに着られているという感じになってしまう。もっと恰好をつければどうにかなるかと、ポケットに手を突っ込むけれど、それでも逃げ続けた男の醸し出す負のオーラを隠すことは出来ない。


 ――中学2年。あのとき、彼女が僕を受け入れてくれていたら。


 人生を語る上でタラレバほど無意味な事は無いと分かっているけれど、未だに忘れることが出来ない。僕の人生唯一の特異点だった。

 

 妄想癖のある少年の戯れ言。しかし、それを受け止めるには同い年の少女ではあまりにも幼すぎた。クラスの人気者の彼女も、その頃は毎日楽しく生きる事だけで精一杯だった。

 

 そう、そうなんだ。


 僕は、あのまま一人で妄想するだけにしておけば良かったんだ。それを彼女の世界に持ち込んでしまったから、狂ってしまった。


 だから、僕はこんな情けない人間になってしまった。


 中学2年の時に僕は、あれだけのことで心を病んで不登校になった。クラスの皆は心配してくれたみたいだったし、僕が「妄想」を打ち明けたクラス委員の子はいつもプリントを家に届けてくれた。


 でも、僕はそれを裏切って、両親の好意に甘えて転校した。


 あの時、一回だけでも学校の誰かに会っておけば何か変わっていたのかもしれない。


 けど、僕は、あまりにも弱すぎた。僕は人と出会ってしまう怖さのために怯えてしまって逃げた。


 そこで、全てが変わった。


 何とか高校に進み、幽霊みたいに3年間を過ごした。


 そして、嫌々ながらも担任の勧めを受けて進んだ大学は途中で辞めた。


 そして今の自分がある。


 2年間を無駄に過ごした自分。


 高いスーツに着られている僕。


 逃げ続けた僕。


 砕けたハートを7年がかりで元通りにした自分。


 でも、どんな僕も僕であって、他の誰かでは無い。


 今まで生きてきた22年間で僕は何回も変わってきた。途中、物凄い数の失敗をしてしまった。


 けど、もう負けるわけにはいかない。


 自分は今から社会人なのだ。


 逃げ続けた僕だけど、弱い僕だけど、大学も辞めちゃった僕だけど。


 そんな僕を受け入れてくれた会社がある。今までとは比べものにならない責任がある。学校の係じゃない、ミスしたら僕が全ての責任を背負うことになる。


 しかも、会社にも迷惑が掛かる。それでも、そのリスクを背負ってでも僕を採用してくれた。


 その期待だけは裏切るわけにはいかない。絶対に。


 青臭い考えかも知れないけど、それでいい。無いよりは良い。




 ※




 時刻は朝8時になった。


 家を出るには少し早いけれど、何があるか分からない以上早めに出といて悪いことはない。まぁ、最初だけだと思うけど。


 今日は早起きしたからか、清々しい気分だ。こんな感覚いつ以来だろう? 


 早起きは三文の得とはよく言ったもだなぁとか思いながら、玄関を思いっきり開ける。僕はゴスッという鈍い音とともに、玄関の扉を開いた。



 そして僕は大いなる一歩を踏み出した。新たな思いを胸に!


 そしてふと玄関を開けた時の鈍い音が気になった…………………ゴスッとは一体なにか?


 嫌な予感がしたこともあって、ギリギリと首だけを動かし、後ろを振り返る。


 玄関戸の横で倒れていたのは小さな女の子だった。


 真っ黒な髪をツインテールに結んでいる中学生のぐらいの女の子だった。


 肩からはベージュのショルダータイプのバックを提げており、服装は白のシャツに黒のジャケット、下は同じく黒いスカートで黒のタイツを履いている。


 モノトーンの姿は、社会人のそれだったが玄関前で倒れている少女が着ているせいか、小学生が背伸びしている感じで、とても可愛らしい。



「…あの、大丈夫?」



 おずおずと少女に声を掛ける。


 大丈夫だろうか? かなり思いっきりドア開いてしまったことを申し訳なく思う。


 少女はしばらくの間、おでこを押さえてうずくまっていたが、やがて立ち上がって「申し訳ありません」と甲高い、子供の感の残る声でそう答えた。


 にしても、しっかりした子だが、何の用事があって僕の家の前で待ち伏せていたのだろうか?



「あの、すいません。柳小路幸広さんはいらっしゃいますか?」



 僕が考え事をしていると少女はそう尋ねてきた。スカートに付いた砂埃を払っている姿もどこか動物が自分の毛並みを整える仕草のようで可愛らしい。


 髪に優れず劣れずの深黒の瞳、それに対してカッターシャツからのぞく首元は小学生だったら多少の日焼けをしていそうだけど、そんな事は無く真っ白だ。四肢も力を込めたら折れてしまいそうな程ほっそりとしている。


 けれど、全体を捉えてみるとやっぱり見た目は中学生いや、もしかしたら成長の遅い高校生かも知れないけど、ともかく、幼い女の子だった。



「柳小路幸広は僕だけど。お嬢ちゃんがなんの用事かな?」


「お嬢、ちゃん?」



 僕がそう答えると、少女は「お嬢ちゃん? このわたしが?」とか何とか、わずかに聞こえるぐらいの小声でぶつぶつと言い始めた。


 その時僕の脳内を一瞬のひらめきが駆け巡った。


 もしかしたら、この少女は幼く見られるのが嫌なのかも知れないというひらめきである。


 よくよく考えてみればそういうことはよくあったような気がする。小さいときというのは大人にみられたいものだし、大人になれば幼く見られたいものだ。しかも中学生ぐらいの女の子が大人びた格好をする理由と言ったら、それしか無いじゃないか。


 とすれば、僕はしくじったという事になる。


 少女をちらと見ると、肩を震わせなんだか怒りをこらえているようだった。


 やっぱりそうだ。


 この少女は持ち物が家の庭に入ってしまったとか何とかで、家の敷地内に入る許可を取ろうとしていたのだろう。そこを運悪く僕が思いっきりドアを開いてしまったのに違いない。


 なるほど、これで辻褄が合う。


 筋の通った説明を立てることの出来た僕は、少女の機嫌を損ねぬ様にできる限り優しい声で話しかけた。



「ごめんね。おでこ痛くないかい?」


「……大丈夫です。」


「なら良かった。でも、僕は今からお仕事だから急がないといけないんだ。だから、ドアでおでこぶつけちゃってごめんなさいだけどもう行っても良いかな?」


「…。」表情から察するに少女は、黙って僕の話を聞いてくれているようだった。やはり読みは当たってたんだと確信する。そう思い、最後に一言付け加えた。



「そのお洋服大人っぽくて似合ってるね!」



 刹那、眼前に20センチ代前半であろう靴底が眼前に迫っていた。



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