譲れ 道
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
こーちゃんは、ちゃんと自分の人生を歩んでいる自覚、ある?
奉公とか、献身とかさ。人に尽くすことを意味する、素敵な言葉は世にたくさんあるし、それが推奨されることも、ままある。
けれども、それは本当に自分が望んでやっていること? 流されているとか、強制されてしぶしぶやっているとか、やむない事情で従っている場合って、ない?
僕も演劇部に入って3年。その間、ずーっと裏方でさ。役者もやりたかったんだけど、この調子じゃ望み薄で……。何のために、部活に入ったんだろうなあって、ふつふつ思い出したんだ。裏方仕事がしたくって、3年間所属したわけじゃないんだけど。
傲慢、なのかな。こんな考え方って。自分の人生で、やりたいことをやれなかった時間に、どれだけの意味があるんだろう?
後で経験になるって諭されても、いまこの時、できなかったら価値ないじゃん。みんながみんな、主役になれたらいいのに。
――え? 全員が主役だと「脇役」がいないから、主役であって主役でなくなる?
むむ、難しいこというなあ、こーちゃん。そりゃRPGとかに出てくる人が、みんなみんな勇者だったら、店を営んだり、イベント誘導したりする人までいなくなって大変そうだけど。
……ああ、脇役ときいて思い出しちゃったよ。少し前に聞いた昔話。
あれもひょっとしたら、僕が主役にこだわる理由のひとつかもしれないな。
どうだい、聞いてみないかい?
むかしむかし。とある小さな村でそれは起こった。
夕暮れ時、あぜ道を歩いていた男がけがをしたんだ。悲鳴を聞いて駆けつけると、そこには両足のすねの側面を深々と切り裂かれて、うずくまる彼の姿があったんだ。
長い足袋ごしにつけられたその傷は、刃物によってつけられたように見えたが、傷口が少々いびつすぎる。ためらいキズか、それともよほど手入れが行き届いていない刃によるものか。
自分の足で立つことができない男に、村人たちは肩を貸す。止血でしばった手拭いは、すぐ真っ赤に染まってしまい、たどる道の上へ点々と血痕を残していった。
改めて治療を受けつつ、男はその時の状況を話すものの、いまひとつはっきりしない。
鍬を担いで、あぜ道を歩いていたら突然、両足を斬られた……それくらいのことしか分からなかった。強いていうなら、斬られる直前にあぜ道の周りの草がそよいだ、とのこと。
かまいたちにあったのではないか、と人々は口々にうわさをする。男が安静にしている間、得た情報から草のそよぎを警戒する村人たちだったが、すぐに原因はそればかりでないことを悟った。
老若男女を問わず、あぜ道を歩く多くの人の足が、被害に遭う。
草のそよぎ以外にも、じゃりの転がり、土のうごめき……あらゆる音と気配の後に、各々の足が狙われる。
怪我をする場所も一定じゃない。爪の先を斬られるだけで済む者もいれば、太ももに近い部分を裂かれて、失血死一歩手前まで追い込まれた者もいる。
時間も問わず、場所もこの村内であり、屋外であるならどこでも関係ないらしかった。
気配を察し、とっさに飛び上がったりしてかわせたのはわずかな人のみ。みんなはこれからの田畑の手入れや刈り入れのときを思い、憂鬱な空気を漂わせていたという。
初めての被害から、ふた月近い日が過ぎた。
得体のしれない被害におびえ、あまり手が入れられていない畑に、雑草の姿が目立ち始めるころ。
ひとりの旅人がこの村に差し掛かった。
被る笠、まとう衣は端がほつれ、穴がぽつぽつ開いている。錫杖をつきつつ、膝上からつま先にかけて裸足にぞうりといういで立ちは、目にした村人たちには危険極まりなく映る。
彼らは旅人に事情を話し、この村に立ち入らない方がよいこと。もし入るにしても、足に十分な防護を施してからでなければ、どうなるか分からないことを伝える。
しかしその旅人は事情を聞いて、軽く首をかしげたあと、「その『かまいたちとやらに』興味がある」といってその場に腰を下ろしてしまう。再三の注意もきかず、やがて村人たちの方が「これだけいったんだから、知ったこっちゃない」と離れていく始末。
男は座り込んだまま、錫杖の先を地面に立てて、じっとしている。
大半の村人は去ったが、何人かが遠巻きに男を観察していたところ、「来る」とつぶやいて、男が不意に立ち上がったんだ。
まもなく、風もないのにあぜ道の脇の草がそよぎ、ざわめきだした。何度も経験してきた村人たちは分かる。あの予兆だ。
男は立ち上がりざま、ひょいと脇へよけた。そばの田んぼに下りず、ぱっと半身を開きながら足の位置を変えたに過ぎないが、その素足にはいささかも傷がつくことはなかったんだ。
それから三日に渡り、男は村にとどまって各所を練り歩いた。
途中でいくつもの兆しが見えたが、そのことごとくを無傷でかわしていく。かえって慣れているはずの村人の方が、傷を負ってしまうこともしばしば。
どのようなからくりか。どのようにしのげばいいのか。
回避を実演し続ける男に、やがて村人たちが対策を乞い始める。すると彼は、「虫たちが主になろうとしている」と告げたそうだ。
「これまで皆の仕事により、住処や命を奪われ続けた小さきものたちが、腹を立てているのだ。
自分たちはずっと昔から、この地で命をつないできた。それが後からやってきたお前たちが、土地を荒らし、大々的に巣をつくり、あたかも土地の主のように振る舞い続けている。
その様子が気に入らぬと、抗議の声をあげているのだ。自分たちはこのように強いのだから、脇にどいていろ、という具合にね」
その都度かわし、彼らを立ててやれば問題ない、と男は告げる。
しかし、村人たち全員にそれを課すのは酷だ。人々が訴えると、「ならば」と男は再び村をめぐり出した。
先ほどまではとん、とんと間隔を置きながら、地面についていた錫杖。それを今度は引きずって、あまさず道の土を先端に集め始めた。その途上でも、幾度となく襲来があったが、男は同じようにかわしつつも、杖の先を土から離すようなことはしなかったとか。
そうして村を一周した男は、今度は引きずった杖の先を天に掲げ、同じように道を辿っていく。もちろん、杖の先からはわずかに土がこぼれていくのだが、大半は霧かかすみのように掲げた杖の高さに浮かび、とどまっていたらしい。
またも妨害を潜り抜け、男が一周を成し遂げた時には、空に浮かぶ土がすみの道ができあがっていたんだ。ちょうど、地上の道をなぞるような形で。
「虫たちの通る道を、空へと作った。
ここならばお互いの道がぶつかることはあるまい。合わせて、あやつらもここを通れば村も人を見渡せる。自分の方が上の立場であること、おのずと悟れよう。
これならば、腹を立てることもあるまいよ」
男が去った後、村ではこれまでのような被害が出ることはなくなった。
代わりに、人が通る道の上で頻繁に蚊柱を見かけるようになる。ときにそれは、縦ではなく横に広く伸び切って、羽音を立てながら空を川のごとく横切っていく姿が、しばしば見られたとか。