9.襲来
信じられない。あれは間違いなく悪魔だ。
誰もが口を揃えて言うであろう。
全身が真っ黒で腕には大きな爪がある。そして何よりも特徴的だったのは、その大きな翼であった。コウモリのように薄いが、とても大きく、邪悪な色をしている。
よく見ると、僕が朝夢で見たのとはちょっと違っていた。
朝見たのは、男の人の背中に翼が付いてるだけだった。でも、今いるのは人外の化け物だ。
月の光が、黒い身を不気味に照らし出していた。
しばらくすると、赤と白を基調とした服を着たブレイバーが何人か、下に降りて行った。
話は聞いたことがある。彼らは『炎天砲部隊』だ。
『炎天砲』とは、炎の魔術だ。熱エネルギーを作り出し、複数人でまとめて放出する。兵器と言ったほうが良いだろうか。とても広範囲に爆発をもたらし、対象を焼き払うのだそうだ。
しかし、非常に強力な分凶悪な威力なので、大きな被害を招く恐れがある。そのため、この部隊はほとんど出動したことがない。
彼らが動き出すということは、今が非常事態中の非常事態であることを指しているのだ。
「総員!構えっ!」隊員の一人がそう言うと、他の隊員たちは両手を前に掲げ、力を溜めているようだった。すると、見る見るうちに手から煙のような物が出始め、ついには火の玉程度燃え上がった。
この光景を目の当たりにしても、あの黒い生物は全く動じない。全くおびえていない。一体、どういうつもりなのだろうか。
「魔術用意!」
今度はその掛け声と共に、隊員たちは手を真ん中の隊員に集中させた。火の玉はどんどん大きくなっていき、ついには人間ひとり入る位のサイズにまでなった。こちらまで熱気がきそうだ。
「炎天砲!」
その叫び声とともに、巨大な火球が悪魔たちめがけて物凄い速さで飛んでいき、爆音と共に、巨大な炎が舞い上がった。窓から見ていた僕にまで爆風が来そうな迫力だった。
でも、結果はよくなかった。
爆発が治まり、様子をそっと確認する。確かに爆発はあった。証拠として、床に大きな焦げ目が付いている。
それなのに、結果はこれである。黒い生き物…悪魔には、全く応えていなかった。これでは、いままで僕たちがやってきたこどが台無しだ。
「ヴォアアア……ゼッタイ……シハイ……」
何かつぶやいているようだが、よく聞こえなかった。とにかく、呟けるほどの余裕がある。恐ろしい。
このことに気づいた炎天砲部隊員は、
「う、うわぁぁあぁぁあっ!どうして…どうして生きていられる!伝えと違うではないかあぁぁぁぁっ!」
と、腰を抜かしていた。さっきまでカッコいいと思ったのに、台無しな気もした。
他の隊員も同じく、腰を抜かし、そのまま後ずさりして逃げよう…撤退しようとした。
だが、ここまで来たら悪魔は黙っていなかった。
「ヴォアアアアアァァァーッ!」
その大きな腕を使って、まとめて殴り飛ばした。
おそらく、数メートルはすっ飛んだだろう。すごい威力だ。体を地面に強く叩きつけられ、起き上がる者は果たしていなかった。
この様を見て、僕は驚きもせず、恐れもしなかった。ただ、何も考えられなかった。
おそらく、僕の顔は唖然としていたんだろう。
でも、我に返って、「やばい」という気持ちがよみがえってきた。
とりあえず、二人を起こすことにした。
「ねぇ、エクセル、ワイヤー!起きて!警報鳴ってる!」
二人の肩を揺さぶるけど、まったく反応がない。
何度やってもだめだった。全然起きない。ただすっ転んだだけなのに、この脆さは何なんだよ。
そのとき、アナウンスが聞こえた。
『総員に告ぐ。集団で悪魔らしき生命体が現れた』
そんなことは分かっている。直ちに倒さなくては、町が危ない――
『直ちに……避難せよ』
「避難……今避難って言ったか?」
『我々の目的は悪魔を撃退することだ。しかし、これは初めての事態である。攻撃を与えて刺激を与えるより先に、町民の安全を図ることが先決である。早急に避難し、町民の安全を図れ』
落ち着かない様子でアナウンスはブチっと切れた。
大勢の隊員は廊下を走って行った。
ふざけるな。
目の前に敵がいるのに、どうして逃げ腰なんだよ。放って置いていいわけが無いだろう。
手を尽くして、逃げるっていうのか?そんなの、間違っている!
「ふざけるな!」
叫んだのは、僕ではなかった。
僕より先に、他の部屋の隊員が、そう言ったのだ。正義感にあふれた、新米ブレイバーが。
同じ気持ちを持つものがいて良かった。
その声が聞こえた瞬間、新米の隊員達がぞろぞろと廊下を走り抜け、窓の外から見える景色は、一気に人で埋め尽くされた。
僕はエクセルとワイヤーを放置して、紛れて下に降りることにした。新米隊員となれば、僕も戦わなくては、と思ったからだ。
僕が下に着いた時には、ずらりと隊員が並んでいた。
「炎天砲部様! 大丈夫ですか!」1人の新米が、倒れている隊員に声をかけた。しかし、全然反応がない。
他の隊員は、すでに戦いの構えに入っていた。
5体ほどいる黒い生物らに向かって、剣なり槍なり突きつけ、けん制している。
驚くべきことに、有志の彼らは、足どころか体全体ほとんどブレていない。決意の様子が見えた。
僕は外で様子をうかがうことにした。
新米の1人がこう言う。
「悪魔よ!ついに出たな!早速俺たちの実戦だ!勝負!」
決意のある声で、美しい剣を構える。
前かがみに持ち、突進するような形で向かっていった。
結果論で言うと駄目だった。
悪魔は全く動じていない。ただその大きな腕で、新米の剣先を握り締めていた。
「う……あ……」
動揺を隠せていない。完全に、悪魔の放つ畏怖に躍らされている。
そして硬直したまま、悪魔に蹴り飛ばされてしまった。
蹴り飛ばされた体は、後方の人ごみにぶつかる。
「あ……っ」
何もしゃべらない。己の非力さを嘆いているのか、悪魔の恐怖におびえているのか。
「に、逃げよう! やっぱり無理だぁっ!」
ほかの新米がそう言う。
その言葉とおりにしたほうが身のためと悟った彼らは、やられた新米を抱えて本部の建物に引き返してきた。
残った新米は、僕だけになってしまった。
『クケケケケ……』
悪魔たちは不気味な笑いを浮かべ、黒い翼をばたばたさせている。余裕が生まれている。明らかに馬鹿にされている。
『支配スル……コノ世界ヲ』
そして何か呟きながら、僕の元へ近づいてきた。そのスピードはだんだん速くなっていき、僕を狙っている悪魔の数も増えていった。
『ヴォアアアアァァァァーーッ!』
叫び声をあげながら、全速力で僕に向かっていった。
僕は、もう何も考えていなかった。死を覚悟した。
自分の判断ミスを嘆いた。何故戦おうと思ったのだろうか。僕、バカだなぁ。
そこで、僕の頭の中は真っ白になった。