36.革新―ワイヤー
「はぁーっ」
ため息を漏らしていたのは、エクセルだけではなかった。
ブレイバー本部、屋上。ワイヤーはそこで一人座り、静かに時を待っていた。
「僕には、なにもできない――」
エクセルに付き添いっぱなしだった。ただ、下の奴を馬鹿にし続けただけだった。でも実際は、上には上がいる。たくさん自分より上の存在などいる。そんな自分の無力さを恨む。
「僕には一体できることがあるのだろうか――」
「どうしたの、こんなところで?」
「え? だ、誰ですか?」
屋上まで登ってきた女の名前は、シルク・ホワイタビーであった。
「見たところ落ち込んでるようだけど、何かあったの?」
シルクはワイヤーの隣に座った。
「いえ……なんでもありません」
「調子が悪いの? おなかでも痛いの? …あ、熱でもあるんじゃないの?」
「いや違いますって!」
シルクがワイヤーの額に手を乗せようとしたので、彼はそれを振り払った。
「……僕には、一体何ができるんでしょうか」
「え?」
「入隊試験ではほとんどビリで入って、それから何もできるようになっていません。エクセルも、スタンも、あぁやって頑張っているのに、僕はまだ……」
「なぁんだ、そんなことで悩んでたの?」
「貴方みたいなエリートには分からないんですよ。僕みたいな底辺の気持ちなんて……」
ワイヤーは終始、ふてくされている。
「なに言ってんのさ。私にだってそれくらい分かるわ」
「そんな、口だけで……」
「口だけじゃないわよ、失礼しちゃう。私は“心”を読み取るプロなのよ?」
「プロ……ですか」
「私もねぇ、全く出来ない時期あったわよ? 魔術が」
「え……?」
うつむいていたワイヤーが、シルクの顔の方を向いた。
「私がまだ、医者でない頃の話よ。……当時、この国の治安は不安定で、多くの戦いが起こっていたの」
シルクは空を見上げる。
「戦争ですか」
「ええ」
シルクはうなずき、そして話を続けた。
「傷ついてる人々の為になりたい。そう思って本を読みあさり、医学を学んだ。内科、外科、精神科応急処置と、多くのことを覚えたわ。でも、私には、どうしてもひとつだけできないことがあった」
「それが……」
「そう、『心』を介した治療だった」
彼女の表情が少し曇った。
「私は悩んだ。周りのみんなはできるのに、どうして自分だけできないのか。そう悩んでいた矢先、私は医療の場から排斥された」
「排斥ですって……!?」
目を開き、シルクの方を見る。彼女の目から、辛い過去の重みをワイヤーは感じた。
「何もさせてくれなかった。私は自分を非難した。才能が無いからいけないんだ、何をしても無駄なんだ……と」
「……」
それを聞いて、ワイヤーはうつむいた。
「そんな時に、レックスに出会った」
「レックス様に……ですか?」
「彼はとても傷付いていた、体だけでなく心も。それなのに、彼は戦い続けた。そして多くの人を殺した……あの大きな剣で」
ワイヤーは依然、黙っている。
「私は孤立し、浮浪していた。そんな私が彼に出会ったとき、彼の疲れは限界に達していた。目の前で倒れたの。私はすぐに、持っていた物で最低限の治療を施した。彼は拒んでいたけど、私はやめなかった。なんでか分かる?」
「……救いたい気持ちがあったから、じゃないんですか?」
ワイヤーは一考してから、そう答えた。
「いいえ、理由はそれだけじゃなかった」
「では、一体……」
「私が今できることを、やりたかっただけ。排斥された私にできることを」
「……」
「私には能力がない、周りにはもっとできる人がいる。だからといって、こんな私でも、できることはある。それをやりたかった。そして気が付いたの」
「何に、ですか?」
「『悩んでいたってしょうがない、自分にできることを見つける努力をしよう』と、ね。そう気づいてからすぐ、私は『心』の動かし方を掴んだ――そして、ブレイバーに入った。町の人々を、『心』で救うべく」
そう言った後シルクは、屋上から見える街の景色を眺めた。
中央には、ミッチェル社のビルが大きくたたずみ、その周りもまた、背の高い建築物で囲まれていた。
「すべては、人間が悪いの」
「……人間が?」
「人間が悪いのよ。こうして、私たちが住んでいるこの平和な街。でもそれは、本当に平和なのかな?」
「どういう、ことですか?」
ワイヤーは首をかしげた。
「確かに私たちは多くの建物……住処を作っていった。でも、そこにはかつて、木々が生い茂っていた場所かもしれないし、広大な海が広がっていたのかもしれない。そこにいた生き物たちにとってこれは平和でも何でもない。むしろ破壊。どうしてこうも自分勝手なのかしら。私たち人間は、単なる生き物でしかないのに」
「……」
ワイヤーもまた、ピース街の景色を見た。
「そして、人間は欲を持ってしまった。自分たちだけが快適に暮らしたいが為に争い、血を流し、滅ぼす……ほんとうに、自分勝手」
シルクはため息をついた。
「確かに、そうかもしれません」
「そうでしょ? しかもこの歴史は、繰り返されている……この歴史を、人間は変えなくてはならない」
「……でも、そんなこと、どうやってやるのですか? 僕たちに、そんなことをできる能力はあるのでしょうか?」
「やれやれ、分かってないわね。あなたは少し解釈を間違っている」
シルクはあきれたように言った。
「え?」
「いい?能力というものは、自分で身につけるもの。『初めてやったからできなくてもしょうがない』だとか言ってそのままやめたりしちゃだめなの。『自分にできることがあるのだろうか』と思っているようじゃぁ、ずーっとこの先同じよ」
「! シルク様……」
「『できない』んじゃなくて、『やってない』だけ。努力は裏切らないわ」
シルクは話を続ける。
「ワイヤー君、私……あなたを"矯正"したくなってきたわ」
「え?矯正って……」
目を皿のようにするワイヤーを見て、シルクはくすりと笑った。
「うふふ、決めたわ」
「な、何をですか?」
「マイノリティ大会まで、私と一緒に『努力』してみない?」
一瞬戸惑いながらも、ワイヤーはゆっくりとうなずいた。