30.接触
今夜は雨が降ってて、なんだかすごいどよーんとした雰囲気だった。
僕とレックスさんは、上官の方の車に乗せられて、ミッチェル社のビルにたどり着いた。
こうして改めて見ると、やはり大きなビルだなぁと思った。
緊張のあまり、別のことを考えていたら、いつのまにかエレベーターに乗っていた。
前には大きな剣と白い隊員服、そして黒い髪が見える。
「あ、あのー……」
何か話しかけちゃいけない雰囲気だったが、やっぱり気になることだし、聞いておこう。
「あ? 何だ?」
すごい面倒くさそうに返事された。
「僕は一体、何に招待されたんでしょうか……講演会か何かですか?それともまさか……パーティだったりして?」
「パーティ? 何をバカなことをぬかしてんだ」
ですよねぇ。僕みたいな人が、そんなことに呼ばれる筋合いなんて無いんだから。
「招待されたも何も、あいつはお前個人に用があるそうだ」
「そうですよね、そんな大人数じゃあれですもんね……って、え?」
「ミッチェル社長さまが直々に、お前に何か、聞きたいことがあるそうだぜ」
「……え? え?」
信じられなかった。
世界で活躍する企業、ミッチェル社。並みの人なら、社長との面会はおろか、直接見ることすら難しいのだ。
それなのに今、僕はそんな社長と面会する…というのか?ありえない。嘘に決まっている。僕みたいなヘタレとは、絶対に縁が無い人だ。
「う、嘘ですよね?」
「何故俺が嘘をつくんだ」
やっぱり、嘘ではない……らしい。
「ええ~!? うわーっ! こんなカッコじゃだめだだめだだめだ、レックスさん、僕服破れてません? 汚れてません?」
「それは大丈夫、だと思うぞ?」
「あ、お化粧すんの忘れてた!」
「女か! お前は!」
そして、エレベーターは最上階にまで到達した。
扉が開く。そこには、スーツ姿の女性が立っていた。
「こんばんは、お忙しいところようこそお越しいただきました。秘書のエイプリルと申します」
「ん? あいつに秘書なんていたのか?初めて会うな」
レックスさんは、過去にここに来たことがあるのだろうか? そういえば、社長さんのことも『あいつ』とか、なれなれしい感じで呼んでいたような……
「もちろんですとも。私以外にも、多くの秘書が勤めております」
「……なるほど」
レックスさんは、何か納得した様子だった。僕にはよく分からなかった。
「こ、こんばんは!」
僕も挨拶をした。
「はい、こんばんは。スタン・ハーライト様ですね?」
「! は、はい!」
企業の人に名前を覚えられる感じが、とても新鮮で、嬉しかった。
「我が社の社長が、貴方様をお待ちしております。さ、こちらへ」
秘書さんは、部屋まで案内してくれた。
僕の足は、震えが止まらなかった。
「ミッチェル、連れてきたぞ」
レックスさんは僕を掴んで、前に押し出した。
床が綺麗。窓が大きい。部屋が広い。社長室、とやらはそんな部屋だった。
そしてそこには、社長さんがいるはずだったのだけれど、僕は緊張で、正面を見ることができなかった。
「こんばんは、スタン・ハーライト。わざわざ足を運んでくれてありがとう」
社長さんは、僕に優しく言った。けど僕は顔を中々上げられなかった。
「あら、緊張してる? ふふ、そんな必要はないのよ。私だってただの一人の人間。普通に接すればいいのよ。さ、顔を上げて」
そう言われて、こうやって下を向いている方が恥ずかしいと悟り、僕はゆっくりと顔を上げた。
僕のなんかより、ずっと綺麗な金髪で、くるくるっと両端が巻いてあった。
そしてテレビで見るより、ずっと美しい顔で、にっこりと笑っていた。
このとき僕は、一体どんな顔をしていたのだろうか。社長さんは、僕をみてくすくす笑っていた。
「私はミッチェル。同名の会社の代表取締役を勤めさせていただいております」
「は、はい…」
少しの間意識が飛んでいたようだ。僕と社長さんは、ソファーに向かい合って座っていた。僕の足は自然と内股になっている。
「何か、我が社の商品で、利用していただいているものはありますか?」
「え、えーっと…」
なんでだろう。この時僕の中で、何かが目覚めた。
「……あ、あ、あの! 僕ブレイバーで働いてて、階級はマイノリティなんです! そのブレイバーになる前に、朝ごはんはいつも、食パンを毎日欠かさず、食べていました!」
一気にしゃべってしまった。しかもなんか、余計なことまでしゃべったような…後悔先に立たず。
「あら? まぁ、なんて良い答えなのかしら! 当社は数多くの商品を展開しておりますが、この質問をして食品をお答えになったのは貴方が初めてです。お目が高いですね。あのパンは高級な麦と高級なイースト菌と高級なミルクを使用しておりまして、味には手を抜くこと無く良質な商品を販売しております。お安い価格で提供できるのも、我が社が大手になったからこそ、できることなんですよ」
社長さんは手を合わせて、嬉しそうに話した。
「今度レーズン入りのを新しく出そうと思いますので、機会があれば是非」
「あ、は、はい!かならず!」
何をしてるんだ、僕は。
そういえばレックスさんはどこにいったのだろうと周囲を見渡そうとしたが、後ろから『強い人オーラ』を感じたのでやめた。
「ところで……」
「は、はい?」
突然、社長さんの顔が真面目になった。
「私がなぜ、貴方を呼んだのか……ですが」
「はい……」
「貴方は、数日前のシュテンハイムで起きた事件に関わっていた」
事件というと、おそらくは悪魔が現れた、あれのことだろうか。
「そしてあの時、貴方が一人で『奴ら』を倒した…と解釈しても、よろしいですね?」
「はい。確かにあの時、僕は現場に居合わせておりました。そして、ブレイバーの義務に基づいて、撃退いたしました」
「そうですか。では、そのときに関して、質問したいのですが……」
「質問……?」
「あの時、意識ははっきり、していましたか?」
「……え?」
どういうことだろう。僕は渾身の力を込めて、やっつけたはずだ。そのこともしっかりと覚えている。
「その時のことに関しては、鮮明に記憶にありますか?」
「……え、ええ。確かにこの手で、撃退いたしました。今でも頭の中には記憶はしっかりあります」
「そうですか。分かりました」
社長さんは少し考えていた様子だった。
「スタン、そろそろ時間だ」
レックスさんが、後ろから言った。
「え!? でもまだ……」
「こいつも俺も忙しい身だ。だから、もう切り上げたほうがいい」
「……そうですか」
まだ話したいことがあったんだけど、残念だなぁ。
「あら、もうこんな時間ですか。わかりました。スタン君、今日はどうもありがとうございました」
そして、社長さんは僕に手を差し伸べた。
「え、え……あ、はい!」
握手できるなんて、信じられなかった。僕はその手を、両手で握った。
「社長さん、これからも頑張ってください!」
「……! え、ええ。どうもありがとう」
社長さんが少し困っている顔をしていたのを見て、僕は握手をやめた。
この日は、僕の人生の中で、最高の思い出になるだろう。
これから先も、ずっと。