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穴掘り王子

 次の日。離宮に呼ばれたマリエットは、敷地内で利用される馬車を使わずに目的地まで歩いた。

 馬車係には美しい庭園を散策したいと言ったのだが、そもそも馬車で十分程度の距離を移動するのに、何故自分の足を使わないのかがわからない。


「貴族の考えることって、庶民とはかけ離れてるんだわ」


 少し強くなってきた春の陽射しを遮るためにつばの広い帽子をかぶり、マリエットは美しい湖畔を歩いた。


 立ち止まって空を仰ぎ、見上げた木立からの木漏れ日に目を細める。

 こんな美しい景色は見たことがない。


 その若葉の色は、昨日近くで見たノイッシュ王子の瞳を思い起こさせた。

 きらきら光る木漏れ日は彼の髪の色のよう。

 マリエットを見る目はまっすぐで、翠玉の瞳の中にはひとつの醜い陰りもないように見えた。


 このような美しい場所できれいなものばかりを見て育ったなら、あのようにくもりない、清爽な佇まいを持てるのだろうか。


「あたしとは正反対ね」


 下生えの草を踏みながらマリエットはつぶやいた。そして顔を上げる。


 自分の恵まれなかった出自を嘆いたりはしない。

 自分はいつだって、未来を掴むために精一杯のことをしてきたのだから。

 生きていたくて、歌っていたくて、そのために。


 迎賓館を出て十五分ほど歩くと、木々の向こうに小さな邸が見えた。


「……あれが離宮?」


 地図でも確かめたし、馬車係にもしっかり場所を聞いて来た。湖の向こうには、ノイッシュ王子とフリーデ妃が住まう離宮しかないと。

 だからあれは確かに、マリエットが目指している建物なのだろうが、思ったよりも随分小さな邸だった。


 けれど近づいてゆくほどに、確かに広さこそないが、上質の建材で丁寧に作られていることがわかった。


 離宮のすぐそばまでたどり着いたマリエットは、二人の警備兵が見張りをしている正門へは行かず、木立の中を歩いて離宮の裏へと向かった。まだ約束の時間には早い。


 裏手に回ると人の気配は全くなく、王子と妃が居住している邸の筈なのに随分と警備が甘い。

 おそらくはそれも、正妃と第二王子に遠慮してのことなのだろう。


 オルゴールであるマリエットは耳がいい。目を閉じて耳を澄まし、辺りの気配を伺う。


 邸内で動いている足音は三つ。その足音の鳴り方でどのような動作をしているかもわかる。それはリアンドールとしてたたき込まれた技だった。


 二つは家事をしている足音。ひとりは掃除、もうひとりは炊事。

 そして自由に動いている足音がひとつ、それは第一王子ノイッシュのものだ。

 昨日の夜会で、彼の足音のパターンは記憶している。


「警備はふたり、使用人も随分少ないのね」


 窓から中が見られればもう少し詳しく様子を覗えるかと、マリエットは手近な木に手を掛けた。

 小柄ゆえの身軽さで、このくらいの木はすぐに登れる。

 路上で暮らしていた幼い頃は、壁をよじ登って他人の家に忍び込み、食料を調達したりもしていた。


 二階の窓と同じくらいの高さまで登り、手頃な枝に腰掛ける。窓にはカーテンが掛かっていた。

 さすがにそう簡単に中まで見ることはできないかと、諦めてマリエットはそこから辺りを見渡した。


 木の上にのぼると空が近くなったような気がする。

 マリエットは枝を掴んだまま、青い空を見あげた。そよぐ風が頬を撫で、ふわりと髪を持ち上げる。


 あまりの気持ちよさに自然と歌声がこぼれた。

 こうして好きなように歌っていると、何もかもを忘れられるような気がする。

 自分が置かれた状況も、しなければならないことも。


 任務で歌うのは、自分の歌ではあっても自分のものではない。


 これでも自分は最高峰と呼ばれるギルドのオルゴールだ。

 歌声を細部まで完璧にコントロールして、最高の音を奏でることは出来る。


 けれど、心が求めるままに自由な感情を音に乗せるだけの歌は、舞台の上では歌えない。


 否、ほんとうは、歌を自らが命を繋ぐための道具として使うことを決めたときに、もうそんな、ただのむき出しの魂が紡ぐだけの歌など歌えなくなってしまった。


 それでもやはり、こうして人に聴かせるのではなく、心の中からこぼれた感情を風に乗せるだけのために歌うのは楽しい。


 木々のそよぎを聞きながら、春の光を受けて、マリエットは歌った。風になったような気がする。そのとき木の下から、突然声が聞こえた。


「危ない!」


「え?」


 驚いてマリエットは下を見た。

 そのとき、ぱき、と音がして、マリエットの座っていた枝がしなり根元から折れた。


「きゃ……!」


 そのままなすすべもなく、折れた枝と共に木の上から落下する。

 地に落ちる衝撃を覚悟しながら受け身を取る余裕もなく、土の地面に叩きつけられると思っていたのに、落ちた瞬間に感じた衝撃は思ったほどではなく、ぶつかった地面はやわらかかった。


 一瞬どうなったのかわからず目を閉じていると、呻くような声が、ごく近くで聞こえた。


「痛てて……」


 なんとノイッシュ王子が、木から落ちたマリエットの下敷きになっていた。


「あ……えっ!?」


 慌てて地面へと身を移すと、王子は痛そうに顔をしかめながら起き上がり、それからマリエットに訊ねた。


「大丈夫か、どこか痛いところはない?」


「え、ええ……」


「中で君を待っていたら、外から歌が聞こえたから迎えに来たんだ。

 まさか落ちてくるとは思わなかったけど。怪我はない?」


「平気です、……って、あたしじゃなくて、あなたが!」


 慌てるマリエットに、王子が笑った。


「僕は大丈夫。ほら」


 そう言って王子は、腕をぶんぶん振って見せる。


「こう見えても結構鍛えているからね。

 剣の訓練もきちんと受けているし、何より僕の趣味は穴掘りだから」


 さらりとノイッシュはそう言った。その意味が一瞬理解出来なかった。

 聞き間違えかと思い、今耳にした気がする不思議な単語を、マリエットは繰り返した。


「……穴、掘り?」


「うん」


「穴掘りって……あたしが知っている穴掘りは、ショベルやスコップで土を掘る……」


 仮にも一国の王子が言うのだから、自分の知識にあるものとは違うのかも知れないとマリエットは思ったが、王子は平然と頷いた。


「そう、あとはノミやつるはしも使うよ。そして定規と秤と、頭もね。好きなんだ、穴掘るの。楽しいよ」


 予想外の受け答えに戸惑っていると、地面に座り込んだままのマリエットに、王子が手を差し出した。


「立てるかい?」


 目の前にすっと出された王子の手に、マリエットがおそるおそる自分の手を重ねた。

 とてもスコップを持ったりするとは思えないきれいな手が、見た目よりも案外強い力でマリエットの手を握る。


「ああ、そうだ。オルゴールの姫君。名前をまだ聞いていなかった。

 今更かも知れないけれど、僕は第一王子、ノイッシュ・ファレーナ」


 王子に手を引かれて立ち上がり、マリエットは答えた。


「マリエットです」


 生まれたときにつけられた名すら知らぬマリエットに、血筋を示す姓はない。

 それを何とも思う様子もなく、王子は笑みを浮かべた。


「じゃあマリエット。さっきの歌の続きを聴かせてくれないか? 今度は邸の中で」









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