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王子を殺せ

 拍手が鳴り止まぬ大広間を出て、マリエットは廊下を歩いていた。


 自分の正体と罪科とが明るみに出た今、即座に連行されるかと思えば、何故か未だ自分は自由の身で。

 それでもそう長く見逃してもらえるはずはない。


 もう覚悟はできている。今更逃げも隠れもしない。

 広間の中でオルゴールが捕らえられることとなれば、騒ぎになるのは避けられない。

 それゆえ、歌が終わり広間を出た自分がひとりになる時を見計らっているのかも知れない。ならば控え室にでもいればいいのだろうか。


 そんなことを考えながら歩いていたマリエットは、ノイッシュ、という言葉が聞こえたような気がして立ち止まった。


 マリエットは足を止め耳を澄ませた。声はすぐ横のドアの向こうから聞こえてくる。

 普通の人間なら聞こえはしない程度に声はひそめられていたが、訓練されているマリエットの耳は、そのかすかな音も洩らさず拾う。


 部屋の中で話しているのはグレイだった。

 そして相手はおそらくギルドの者。


 普通の人間が話しているのであれば、どれほど気をつけてちいさな声で話そうとも聞き取れる自信があったが、さすがにギルドの者はその辺にぬかりはなく、グレイの声も相手の声も、マリエットの耳でさえかすかにしか聞き取れない。

 何とかその話を聞き取ろうと、マリエットは扉に耳をつけた。


 そのとき、唐突にドアが内側に開いた。

 扉に半ば体を預けるような体勢になっていたマリエットは、バランスを崩して開いたドアと一緒に倒れ込んだ。

 その腕をぐいと引かれ部屋に引きずり込まれる。

 ばたんと音を立てて背後の扉が閉まった。


「マリエット」


 床に座り込んだマリエットの手首を掴んだまま、グレイが酷薄な目でマリエットを見下ろす。


「これが最後のチャンスだ。ノイッシュを殺せ」


「……え?」


 彼が言っていることがどういうことなのかがわからず、マリエットはグレイを見あげた。


「殺せって、どうして、あたしに課せられた任務は、王子の身柄をおさえてギルドに引き渡せっていう……」


 マリエットが言うと、グレイが首を振った。


「否。はじめから、王子を殺せというのが、ギルドから下った任務だった」


「うそ」


「嘘ではない。

 私がおまえにあのように伝えたのは、初めての仕事で、おまえにターゲットは殺せないと思っていたからだ。

 そのあとの始末は私がするつもりでいた」


 告げられた内容に衝撃を受け呆然とするマリエットに、グレイが珍しくその内心を表情に表した。マリエットを見据える真剣な目。


「これが最後だ。任務さえ果たせれば、解毒剤のことは私がギルドに掛け合ってやる。

 いいなマリエット、おまえが生き延びるために、ノイッシュを殺せ」


 マリエットとグレイのやりとりを見ていたギルドの連絡員の女が嘲笑した。

 そんなふたりの前で、跪いた膝を毛足の長い絨毯に沈み込ませたまま、マリエットは首を振った。ぼろぼろと涙がこぼれて落ちる。


「できないわ」


 そんなマリエットをつめたく見下ろして、グレイは言った。


「おまえがやらないのなら私がやる」


 そう言ってマリエットの手首を離し、グレイは扉を開けて出て行く。


「グレイ……!」


 扉の向こうに消えたグレイを追おうとしたマリエットの前で、扉がばたんと音を立てて閉まる。

 ギルドの女が、マリエットの背後で笑っていた。


「あんたのために、あの男がどれだけのことをしてるのか、知らないんでしょ」


 女はそういって哄笑する。耳障りな声に、マリエットは振り返った。


「知らないって、何を……」


 そのマリエットの言葉には答えず、女はただ笑いながら言った。


「あぁ可笑しい」


 マリエットは唇を噛んだ。そして立ち上がりドアを開ける。

 もうグレイの姿は見えなかった。


 この話を聞いたからには、何もせずに捕らえられてはだめだ。

 ノイッシュを助けなければ。

 最後に別れたのは広間のバルコニーだった。まだそこに彼はいるだろうか。


 動きにくいドレスの長い裾をさばきながら、マリエットは廊下を走った。

 その先に、ちょうど控え室から出てきたファナの姿があった。マリエットは叫んだ。


「ファナ姫!」


「マリエットさま?」


 ファナが目を丸くして、マリエットを見た。


「どうか……手を、貸して下さい」


 ファナの元へ駆け寄り、息を切らしながらマリエットは言った。


 けれどそこで我に返る。彼女は自分の正体を知っている。

 なのにどうして、今更マリエットの言葉を信用するだろうかと。

 その事実に気づき、絶望的な気分になる。誰にも縋れない。


 けれどファナは、ノイッシュを、そして彼女自身をも騙していたマリエットに対して、疑いを顕わにし拒絶することはなく、まるで友人に語りかけるように言った。


「マリエットさま。何があったのですか?」


 そのやさしい声に、涙が出そうになる。


「ファナ姫……」


「さあ、落ち着いて下さいませ」


「え、ええ」


 マリエットは気を落ち着かせようと、一瞬だけ目を閉じ、息を吐いた。それから口を開く。


「ノイッシュ王子が危ないんです」


「王子が?」


 驚くファナに、マリエットはこくりと頷いた。


「グレイ……あたしの同行者が、ノイッシュ王子を殺そうとしているの、彼にそれを知らせないと」


「……兄が申しておりました。

 マリエットさまの正体は、ギルドのリアンドールではないかと。

 そうなのですか?」


 ファナに問われ、マリエットは頷くことしかできなかった。


「わたくしが兄に言われて、あなたにあの砂糖菓子を渡しました。

 もしもマリエットさまが荊の毒薬に身を冒されているのなら、解毒剤の原料がごく少量含まれている砂糖菓子を口にすれば、即座に効き目が現れ、数時間程度毒の作用が抑えられ、症状が和らぐ。それで判断できると」


「そうだったの……」


「ノイッシュさまも勿論それをご存知です。

 ……けれどわたくしは、貴女の歌を聴いて思いました。

 あんな歌をうたう人が、誰かを裏切り騙すことなんてできないと」


 いつもの穏やかなやわらかな声で、それでもきっぱりと、ファナが言う。


「それに、以前貴女が言ったのです。

 同じような歌を聞けばわたくしにもわかる筈だと。

 マリエットさまはノイッシュさまを、愛してらっしゃるのですね」


 ファナの言葉に、胸の奥がつかえて、何も言葉にできずにマリエットはただ目を潤ませた。


「さあ、おっしゃって下さいませ。ノイッシュさまと貴女を助けるために、わたくしは何をすればよろしいのか。時間はないのでしょう?」


 ファナの言う通りだった。時間がない。


「グレイが彼を探しているわ……。

 城内にいては危険です。とにかくここから連れ出して、安全な場所へ彼を逃がさなければ」


「けれどノイッシュさまはファレーナ王家の第一王子、この国では、成人していない王族は自由に外へ出ることがゆるされておりません。

 おそらくは城門で止められてしまいます」


「ノイッシュ王子が言っていました。城内の地下通路から、外へ繋がる道を掘ったと」


 ファナが目を丸くする。


「道を、掘った?」


「ええ。今詳しく説明している時間はありませんが、貴女の兄君はそのことをご存じです。

 とにかく、地下通路を伝って外へ出られる筈」


「わかりました。

 ではわたくしは、兄に頼み、その出口に馬車を待たせておきます。

 そこまでノイッシュさまを連れてきて下さい」


 そう言われて、マリエットは思わず目を伏せた。


「……その役目は、ファナ姫にお願い出来ないでしょうか。

 あたしの言葉なんてもう、きっと、彼は聞いてくれない」


 けれどファナは首を振り、やわらかく笑った。


「わたくしは兄に事の顛末を話し、マリエットさまを信じるよう説得せねばなりません。

 だからノイッシュさまを連れ出すのはマリエットさまのお役目です。

 ノイッシュさまは先刻から、ずっと広間のバルコニーにいらっしゃいますわ」


「ファナ姫……」


「さあ、マリエットさま。ノイッシュさまを、救いたいのでしょう?」


 マリエットは頷いた。









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