荊の毒薬
「オルゴールの馬車だ!」
子供の声が響いた。
森に囲まれたファレーナ城へと続く大通りの両脇を取り囲む見物人が、わあっとわいた。
「見て、花で飾られた馬車、きれい」
「手を振ってるよ、あの女の子がオルゴール?」
ちいさな子供が、手を繋いでいる初老の男を見あげて訊いた。
「オルゴールって何?」
「そうか、おまえはじめて見るんだったな。
オルゴールっていうのは、芸術ギルドが認めた、特別に才能がある一握りの歌うたいのことを言うんだ」
「じゃあ、歌がとても上手なの?」
「そうだよ。俺も生きてるうちに、一度でいいから、オルゴールの歌を聴いてみたいもんだなあ」
白馬が引く飾り馬車が、通りの中央をゆっくりと走って行く。
その窓から、鳶色の瞳をした闊達な印象の少女が、馬車を見ようと集まってきた人々に手を振っていた。
肩より長いまっすぐな栗色の髪が、風にさらさらとゆれている。
仕事を抜け出してきたと一目でわかる作業着姿の男が、通り過ぎる馬車を目で追いながら言った。
「オルゴールっていうからとんでもなく神秘的な美女かと思えば、ずいぶんと庶民的な、可愛らしいお嬢ちゃんだな」
「ったく、見てるのはそこかい」
これもまた労働者風の中年の女にからかわれ、男は頭を掻いて笑った。
「しかしまあ、祭りでもないのに、オルゴールが入城するってだけのことで、これだけの人が集まるってんだから、平和なもんだよ」
「いいじゃないの、三ヶ月後の式典にまつわることなら、すべてがめでたいんだよ。
大体本物のオルゴールを、あたしら庶民が目にする機会なんてそうありゃしないんだから。
そう言うあんただって、仕事ほっぽり出してオルゴールの入城を見に来てるじゃないか」
「今度のオルゴールは、まだ十六歳になりたてのお姫さんだって聞いたからね。
その若さでオルゴールって、一体どんなもんなんだって、一目見ておこうと思ったんだよ。
これが男ならわざわざ見に来るもんか」
そう男が答えると、女は声をあげて笑った。
「男はほんっとに若い女の子が好きだねえ。
――あ、門が開くよ」
鐘の音とともに、ファレーナ城の大きな門が開き、花を乗せた馬車が入ってゆく。
「ふう」
豪華な赤いビロウド張りの椅子に身を投げ出して、マリエットは息をついた。
「グレイも座ったら? 結構な長旅だったから疲れたでしょ」
「この程度では疲れない」
長身で黒髪のダークスーツの男が、温度のない黒曜石のような瞳をマリエットに向け、無表情に答えた。
「あらそう」
小柄な身体を受け止めるソファから勢いよく身を起こすと、マリエットははねるような足取りで歌いながら大きな窓に駆け寄った。
窓から見える外には木々が生い茂っていて、その向こうに、美しい白亜の宮殿が見える。
今回マリエットたちがやってきたファレーナ王国は、国土の七割を森林が占めるのだという。
それはファレーナ城の敷地内も変わらないようで、広大な敷地には深い緑を抱いた庭園が広がっていた。
その中央に建つフロイア宮殿には王族が居住し、さまざまな執務や催しが行われている。
マリエットたちは、宮殿にほど近い場所にある迎賓館へと案内された。
「きれいなところね」
外の景色にマリエットは目を細める。
自分が生まれ育った場所はその日暮らしの貧しい人間ばかりが集まる暗鬱な街だったし、今暮らしているのは石造りの建物がひしめき合う薄暗い町だ。
それと比べてここはなんと美しいのだろう。
「ねえ見て、あの薔薇! あんな色の花見たことがないわ」
木に巻き付いて咲いている蔓薔薇の、フリルのような大輪の花びらは青みがかった薄紫で、目を引かれずにはいられない美しさだった。
けれどはしゃぐマリエットに、グレイが淡々と、しかし有無をいわせぬ口調で言った。
「あの薔薇には近づくな」
グレイのその声の調子に、マリエットはきょとんとして振り返った。
「どうして?」
「おまえも聞いたことがあるだろう、ファレーナの『荊の毒薬』の話は」
「もちろん知ってるわ。
その毒を使うと、一見病死に見える死に方をするから、王族の後継者争いで使われたこともあるっていう、あの有名な毒薬でしょ?」
「そうだ。あの薔薇は荊の毒薬の原料だ。
毒薬の原料が香り高い薔薇である所為か、荊の毒薬に冒された者は、かすかに薔薇のような芳香を纏うようになるとも言われている」
「ふうん、ロマンティックね」
「そうでもない。花から特殊な方法で抽出した精油と、数種類の精製した薬品を配合して作られたこの毒は、遅効性だが非常に効き目が強い。
その毒が体内に入ると、周期的な高熱と呼吸困難に苦しめられながら、一月ほどかけてゆるやかに死に至る」
「やあだ、そうやってじわじわ殺すの、悪趣味! この毒薬を作った研究者って、ギルドの?」
「そうだ」
「やっぱりね」
そう言いながらマリエットは、窓の外に見える薔薇に目を戻した。
裏ギルドが、引き受けたさまざまな依頼の遂行を高い確率で成功させる理由のひとつに、知識と技術力の独占、というものがある。
ギルドは非常に優秀な研究者を擁しており、そこで得られた研究の結果や作られた道具、薬品等の知識や技術は決して外部に漏らされない。
このように作成に高度な技術を要する物を用いた事件は、大概ギルドの技術者が一枚噛んでいる。
「じゃあその王族の争いっていうのも、実はギルドが関わっていたんだ。ありがちね」
そう言いながら、マリエットはまだ薔薇の花を眺めていた。
咲き誇るその薔薇の佇まいは優美で華やかで、とてもそんな毒があるようには見えないのに。
「マリエット」
不意にグレイに名を呼ばれ、マリエットは振り返った。
「ここで上手く出来なければ――」
「わかってるわ」
マリエットは、グレイの言葉を遮った。
自信はある。社会を裏側から操る、その世界に自ら望んで身を投じた。
攫われるようにして、或いは売られて、ギルドに無理矢理連れてこられた子どもたちとは違う。
同じ年頃で、ギルドで技を教え込まれた者たちより、自分の方が努力をしたし、優れているという自負もある。
それに自分には歌がある。誰にも負けない歌が。
「……そうよ。歌が。命がかかってるんだから」
小さくつぶやき、マリエットは指先で自分の喉元にふれた。
それから、いつも肌身離さずつけている、片羽のレリーフに半球の石がはめ込まれた金のペンダントをそっと握る。
そんなマリエットに、グレイが青い小瓶を手渡した。
「次の薬は、任務を果たしてからだ」
マリエットはそれを無言で受け取り、蓋を開けて飲み干した。
喉の奥に苦さが残り、思わず顔をしかめる。
「任務に入る前に、聞いておいてやろう。ギルドの慣例だ」
「ん、なあに?」
「遺言を」
薬の苦さを流そうとコップの水を飲んでいたマリエットは、それを吹き出しそうになりむせた。
「ちょっとやめてよ! そういう縁起でもないこと言うの」
咳き込んで涙目になりながら、マリエットがグレイを睨むと、グレイは相変わらずの無表情で答えた。
「そういう仕事だ」
「……じゃあ、もしあたしがいなくなったら、家によく餌をもらいに来てた猫に、あたしの名前をつけて。
そしたらあたしがいなくなっても、グレイがあたしの名前を呼ぶでしょ……
って、こういうのって、口に出したらほんとになっちゃいそうでいや、考えたくないわ!」
そんなマリエットに、グレイが言う。
「十六の歳になったときに与えられた最初の任務を果たすことが出来れば、リアンドールとしてギルドに正式に迎え入れられるが、失敗すれば、不要な駒として処分される」
ギルドというのは、表向きは専門的知識を持つ者が集まる技術者集団だが、そのギルド内にも多くの組織がある。
手工業一般を扱うギルド、商業の知識を持つ者が集まるギルド、マリエットのような歌うたいや画家などを擁するギルド。更に情報を扱うギルドや、傭兵のような仕事を請け負うギルドもある。
そして、門外不出の特殊技術と知識を持ち、表には出せない厄介な依頼事を処理する裏のギルドの技術者を、リアンドールという。
建国百周年の式典に花を添えるために、ファレーナ王国に招聘されたオルゴールのマリエットと付き人のグレイの正体は、そのリアンドールだった。
「おまえを育てるのに、四年もの時間と金を掛けた。その手間を無駄にするな」
低い声で淡々とそう言うグレイに背を向けて、マリエットはきゅっと唇をかんだ。




