わたしのせい
マリエットは湖畔に出かけた。ノイッシュに会うのに、そこ以外の場所が思いつかなくて。
けれどそこで必ず彼に会えると決まっているわけではない。もし会えなければ、何か別の手立てを考えねばならない。
とにかくまず、何をおいても早急に解毒剤を手に入れなければ。
一昨日までのように高熱に悩まされているわけではないが、荊の毒薬は着々とマリエットの体を蝕んでいて、今も少し歩いただけで、息が切れて目眩がする。
何度も足を止めて休みながら、漸く湖畔にたどり着くと、そこには先客がいた。
木漏れ日がその美しい金の髪に、まぶしい光を落とす。春の若葉の色の瞳が、マリエットを見つけて笑った。
「マリエット」
その声に名を呼ばれるだけで、鼓動が跳ねる。湖を渡るやさしい風がマリエットの頬を撫でた。
「数日会えなかったから、心配してた」
マリエットは彼を見て瞳を細めた。胸の奥が熱くなる。思わず涙ぐんだマリエットに、ノイッシュが慌てた。
「マリエット、どうしたんだ」
そんなノイッシュに、マリエットは涙を指先で拭って笑った。
「何でもないわ、目にごみが入っただけ」
いいわけとしてはあまりに稚拙だったが、それ以外になんと言っていいのかがもうわからなかった。
「とりあえず……座ろうか」
おろおろしながらそう言うノイッシュに、マリエットは頷いた。そしてふたりは、湖畔のベンチに並んで腰掛けた。
はじめてここで彼に出会った時とは違い、今日は風が吹いていて、湖面には細かなさざ波が立っていた。
「なんだか、久しぶりに会ったような気がするわ。
数日しか経っていないのに」
「僕もだよ。マリエットに会うまでは、退屈な日々を退屈だとも思わず淡々と過ごしてきたのに、君に会えなかったこの数日間は、まるで一年くらい経ったように長かった」
そんなノイッシュのひとことひとことが、マリエットの胸を疼かせる。
そんな気持ちを落ち着かせようと、マリエットは深く息をついた。こんなことではだめだ。もっと冷静にならなければ。
「体調を崩して寝込んでいたと聞いたけど。少し痩せた?」
心配そうに言うノイッシュの顔を見ないようにして、マリエットは答えた。
「どうかしら、自分ではわからないわ」
「もう大丈夫なのかい?」
マリエットは頷いた。
「たいしたことないのよ、ちょっと疲れが出ただけ」
「それならよかった」
ノイッシュが安堵のためいきをつく。それを聞きながらマリエットは、いたたまれなくなった。
とにかく早く目的を遂げて、こんなふうに胸を騒がせるような案件はさっさと終わらせてしまおう。
まずは解毒剤を手に入れる。その手がかりを得るためにも、もう一度彼が住む離宮へ行きたい。
そしてもし離宮で解毒剤を手に入れるための糸口をつかめなければ、ノイッシュを捕らえたその後に聞き出すしかない。
それを思うと気が重かった。
できることなら、彼の身柄をおさえて自分の任務を果たしたあとは、もう彼の顔など見ることなく、さっさとギルドに引き渡してしまいたい。
マリエットは、離宮を訪れるための理由を思いついた。
はじめて彼に招待されて離宮に行ったときと同じように、彼の母に歌を聴かせることを目的とすればいいと。
その際に、何気ないふりをして、荊の毒薬に関する話題を振ればいい。
その話を持ち出して、自分があの時の侵入者だと疑われないかということだけが心配だったが、例の毒薬はこの国の御伽噺にさえ出てくるほどに有名なものだ。
何かの話のついでに出てきても、不自然ではないはずだった。
「ノイッシュ王子」
マリエットが顔を上げると、ノイッシュはやさしい顔をマリエットに向けた。
「何だい?」
「お母様はどうしていらっしゃるの。
もしよかったら、またあたしの歌を聴いていただきたいわ」
そうマリエットが言うと、不意にノイッシュの表情が翳った。
ひとつためいきを落として、それから気を取り直したようにくちもとに微笑を取り戻すと、ノイッシュは言った。
「いろいろと事情があって、公表はしていなかったんだけど、マリエットが来てくれたあの直後、母は亡くなったんだ」
「え?」
思いも寄らぬことを聞き、マリエットは驚いた。
「あのあと?」
「そうなんだ。君が歌いに来てくれた日」
嫌な予感がした。
「どうして……」
「あの日の夜に、離宮が何者かの襲撃に遭った。
そのときに母は僕を助けるために無理をしたせいで、容態が悪化して、そのまま……」
「うそ」
マリエットは呆然とした。
「……驚いたかい? こんな話をしてごめん。そういう経緯があったから、母の死は公表されていない。今は式典の前だしね。
正妃だったらそうはいかなかっただろうけど。
……母が死んだのは僕の所為だ。
僕が、自分の身を護ることさえできなかったから」
そう言うノイッシュの声には、後悔が滲んでいた。
淡々と、冷静さを保ったまま話そうとしているノイッシュが、その内心で自分を責めているのだと、マリエットにはわかってしまった。
そしてその原因を作ったのは自分。
どうしたらいいのかわからなくなって、マリエットは思わず座っていたベンチから立ち上がった。
そして、それは貴方の所為ではない、と後先考えず言いかけたそのとき。
ぐにゃりと視界が歪み、そのあと唐突に暗転した。全身から力が抜ける。頽れようとする体を支えられない。
「マリエット!」
自分の名を呼ぶ、王子の声が遠ざかる。傷が痛む。体が熱い――――。




