たまには聴いてくれたって
「調子がいいな」
歌い終えたマリエットが舞台から降り、グレイの待つテーブルに戻ると、珍しくそのようなことを言われた。
「そうかしら」
昼間約束したとおり、マリエットが歌っている間、ずっとノイッシュは、一番舞台に近いテーブルで歌を聴いてくれていた。
そのテーブルに彼とずっと一緒にいたのは、セレスタン公爵家のまだ年若い当主。
マリエットは舞踏会のざわめきの中に紛れる程度の小声でグレイに訊ねた。
「セレスタン公爵とノイッシュ王子は、親交が深いのかしら」
はじめてマリエットがここで歌ったときも、王子はセレスタン公爵と同じテーブルにいた。
「そのようだ。正妃イングリットの権力を怖れ、第一王子ノイッシュを遠巻きにしている貴族が多い中、セレスタン公爵家だけは、ずっとノイッシュの後見についている。
現公爵エーベル・セレスタンが爵位を継いだのはほんの半年前とのことだが、ノイッシュとは幼なじみと言っていい間柄にある」
「ふうん」
友達いるんじゃない、とマリエットは思った。
マリエットが下りた舞台では、そのセレスタン公爵の妹、ファナが歌っている。控えめな印象の、おとなしそうなお姫様。
この国で一番と謳われる歌い手なのだと聞いている。
「……悪くないわね」
その歌を聞きながら、マリエットは言った。
甘く初々しい恋の気持ちを歌い上げるファナの、視線と、その歌とで、マリエットは彼女の思い人が誰であるのかがわかってしまった。
「あのお姫様、ノイッシュ王子が好きなんだわ」
「何故解る」
「歌を聴いてればわかるわ。あたしはオルゴールよ?」
胸に抱く想いをどう伝えればいいのかわからないまま歌に籠める。
そのやり方はマリエットと同じなのに、内包された思いは全然違うから、歌も違う。
歌い終えたファナが一礼する。そして顔を上げたところでマリエットと目が合った。
マリエットがにっこり微笑むと、ファナがかすかに顔を赤くしてうつむき、そそくさと舞台を下りると広間を出て行ってしまった。
その様子を見て、マリエットはくすくす笑った。
「なにあれ、まるで恋する女の子みたい。赤くなっちゃって、実はあたしのこと好きなのかしら?」
そんなマリエットに、グレイが呆れた口調で言った。
「なに馬鹿なことを言ってる」
「ふふっ。……まあね、きっとノイッシュ王子と親しくしているように見えるあたしに、いろいろ思うところがあるのよきっと。
だけど育ちがよすぎて、それをどうしていいのかわからないんじゃないかしら?」
先刻舞台の上でマリエットが歌っていた時、何度もノイッシュと目が合った。
彼はじっと、ステージの上のマリエットを見つめていて、そんなノイッシュにマリエットは幾度かほほえみかけた。
ファナがその様子に気づいていたのを、マリエットは知っている。気が気ではないという様子で、ノイッシュの横顔を見ていた。
それでも彼女は、恋敵と思える自分に対してあからさまな敵愾心を燃やす様子もなく、嫉妬を顕わにもしない。争い事を好まぬ穏やかな性質なのだろう。
それを映し出すように、彼女はやさしくきれいな歌をうたう。
「そういえば、さっき湖畔で待ち伏せして、ノイッシュ王子と親しくなったわ。友達になってほしい、だって」
「友達?」
「そ。変な王子様。どうしてだかわからないけど、あたし彼に気に入られてるみたい。案外早く決着をつけられそうだわ」
「油断するな」
「わかってるわよ。……っと」
髪にピンでつけていた赤い革細工の薔薇の花が、髪から外れてテーブルの上に落ちた。
「やあだ、髪飾りが取れちゃった。あたしちょっと、控え室で直してくるわ」
「では私は先に迎賓館に戻る」
「あら、あたしの歌、最後まで聴いてってくれないの?」
「いつも聞かされている、朝から晩まで」
そう言い残し、グレイはテーブルを離れて広間の出口に向かい歩いて行った。
「ん、もうっ、それは鼻歌とかじゃないの」
彼は無駄なことはしない。
今日は珍しく舞踏会に同行しマリエットの歌を聴いていたが、きっとそれが目的ではなく、何か別に調べることでもあったのだろう。
そして帰るというのなら、きっと用件はもう済んだのだ。
グレイが自分の歌に興味がないことなど知っている。
それでも、たまには聴いてくれてもいいのに。
そのとき不意に、先刻ノイッシュに言われたひとことが蘇った。
『君の歌が好きだよ』
そんなことを、一度くらいグレイに言われてみたい。
彼が言うように、朝から晩までマリエットの歌を聞かされているはずなのに、グレイはその歌を聞いて、何かを思うことはないのだろうか。




