魅惑の『当たり付き菓子』
私の子供時代にあって、今も郷愁を誘う代表的なものと言えば、駄菓子屋だろうか。
今の時代なら、昔式の駄菓子屋を見たことがない子供もいるかもしれない。
なに、駄菓子自体はスーパーやコンビニにも駄菓子コーナーが設けられ、私が子供の頃に食べなじんだ菓子そのものは今でも気軽に買うことができる。
また、大きなショッピングモールなどに行けば駄菓子の専門店がある。これはショッピングモールの中に昔の駄菓子屋風の小屋構えの小さな店舗を建て、そこに昔の駄菓子屋さながらのディスプレイで、棚すれすれにあふれるほどに細かい菓子類を並べているのだから、それがどんな佇まいの店舗であったのかを想像することは、今の子供にも難くはないだろう。
だが、佇まいを知っているということと、『雰囲気』を知っているということは別物だ。総じて駄菓子屋というのはコンビニのように明るくもなく、ショッピングモールのような清潔感もなく、何よりも大人の介在しない子供だけの空間であった。
駄菓子屋は大概が大きく間口を取って、ここから差し込む日差しに証明を頼むことも多い。だから、入り口に近い備品は少し日に焼けて、棚下に無造作に置かれたバンボールが埃をたっぷり吸っていることも少なくなかった。さりとて掃除がされていないわけではなく、コンクリートで固めた三和土風の床はきれいに掃き清められていて……例えていうならば、小柄なおばあちゃんが住んでいる古くて小さな家に直接招かれているような、生活感のある優しい雰囲気に満たされた空間であった。
ここに小銭を握りしめた子供たちが集まる。もちろん、親はこれに不介入だ。
若い方は駄菓子屋を『子供の社交場だった』と聞き及んでおられるかもしれないが、そんな生ぬるい雰囲気ではない。
親であれば「夕食がはいらなくなるから」「不衛生だから」「着色料をふんだんに使っているから」などの理由をつけて駄菓子屋での買い食いを禁止するのが当たり前である。この監視の目がきついか緩いかという違いはあっても、駄菓子屋に集まるのは親の言いつけに背いた『悪い子』たちなのであるから、どうしてもアングラな雰囲気が漂う。
そうしたこともあって、駄菓子屋はどこか後ろめたいような薄暗さを同時に感じさせるものだった。
ここに『当たり付き菓子』などという、子供の射幸心をあおるようなものがいくつも置かれているのだから、駄菓子屋はますますアングラなものとして大人から嫌われていた。
余談ではあるが、私の世代なら『ビックリマンチョコ』、少し前の世代なら『仮面ライダースナック』というのも、こうした射幸心をあおるものであった。菓子のおまけについているカードには配布枚数の違いがつけられており、特にレアカードなどはさん箱ぐらい買えば入っているかもね、くらいの出現率なのだから、これが欲しくて菓子を無駄買いする子供が後を絶たなかった。
こうした菓子の入手先も親の目の届かぬ駄菓子屋であることが多く、なおいっそう、親の駄菓子屋に対する風当たりを強くするものとなっていた。
つまり駄菓子屋は、『子供の社交場』ではなくて『子供の裏街道』だったのである。
私はどちらかといえば大人しくて親の言いつけを良く守るような子供だったが、駄菓子屋通いだけは止まらなかった。わずかばかりの小遣いをもらうと、その小銭を握りしめて埃っぽい香りのする店へと足を向けるのだ。
カードなどコレクションするほど潤沢に小遣いをもらってはおらず、またコレクター癖もない私が目当てにしていたのは、もっぱら当たり付きの小さな菓子であった。
駄菓子屋の菓子は当たり付きであることが多く、むしろ当たりくじのついていない菓子の方が少ないくらいだ。ルールは簡単、当たりが出たら同じ商品をもう一つもらえるという、子供にもわかりやすいシステムである。
これを「当たってもタカが十円、二十円」と考えるか、「当たったら同じ値段のものがもらえてお得!」と考えるかで、このクジの楽しさが大きく違ってくる。
私は後者であった。
棚にあふれるのは指先に乗るほど小さな菓子、感覚的にいえば『ほんのひとかけら』ほどの大きさしかない菓子なのだから、安いのは当たり前だ。例えばチョコは、子供の小さな口に一口で収まってしまうほどのものが、たったの十円。小さいながらもきちんと一つずつに包装されており、原色どぎつい安っぽいパッケージが目にも鮮やかだ。
この個別包装の、たいがいは蓋の裏に当たり外れの文字が印刷されている。菓子を買って開封するまでは当たり外れがわからないようになっているのだ。
薄いビニールセロファンに包まれた飴などは、パッケージの一部に黒い隠しが作ってあり、やはり開封してこの裏を見ないと当たり外れがわからないような作りになっている。
さて、子供たちは、この当たり外れを開封前に知る方法を知っている。それも菓子ごとに事細かに。
私が聞いたのは「コーラ飴の当たりは包み紙のひねりがきつい」とか、「ヨーグルは当たりの容器だけ微妙に硬い」など……もちろん、オカルトの類だ。
かつて遊戯王カードが流行った時、胡散臭いサーチ法がいくつも世間に流布するのを見て、私はあの頃の駄菓子屋の光景を思い出さずにはいられなかった。いつの時代も子供たちが言い出すサーチ方法など怪しげで、信ぴょう性に乏しく、そして楽しい。
結局のところ、菓子が当たろうが外れようが十円や二十円のこと、それに商品は手元にあるのだから損は一つもないのである。むしろ自分が得意げに語った当たりの見つけ方が正しいのだと友人たちに証明することの方が、その価値は大きい。
だから子供たちは飴のたっぷり詰まったプラスチック容器に手を突っ込み、長い時間をかけて一個一個を指先で探る。少しでも他との差異を感じたら、それが当たりに違いないと意気揚々とこれを引きずり出して、店番のおばちゃんに十円を渡すのである。
買った菓子の開封は、もちろん店先で行われる。何かの儀式のようにみんなで額を突き合わせて、「いっせーの」を合図に包装を開く。
この時が大騒ぎなのである。当たりを引いた子供は自分の怪しげなオカルトが正しかったことに鼻高々、あたりと書かれた包装紙を高く掲げる。外れた子供は身をすくめ、手元の菓子を手早く口中に放り込む。
そう、結局は「もう一個もらえる嬉しさ」など、十円か二十円の価値しかなく、この時の高揚感に勝るものではないのだ。
それでも私は、当たりが付いた小菓子の類がいまだに好きだ。時々は「もう一個もらえるお得感」を楽しみたくて、コンビニで十円ガムなど買ってみる。
派手な印刷に飾られた外紙をはがし、安っぽい銀紙を開けば、その中に透けるような薄い紙がはいっている。これがこのガムの当たりくじだ。
開いてみれば、当たりであることはほとんどなくて、私は苦い思いとともに甘ったるいガムを口中に放り込む。
思えば少年だったあの日、当たりを求めて友人たちと試行錯誤したサーチ法もまるっきりのオカルトではなかったのかもしれないと……そんな感慨を吹き込んでフーセンガムを膨らませる一時、私の心にはコンクリートの三和土のそっけない踏み心地と埃臭くて薄暗い店のアングラな雰囲気、そして悪友たちの屈託ない歓声が、ほんの一瞬だけよみがえるのである。