93話【鉄砂波立つ朱き広野】
「――[大規模闘争]だと?
本当なのですか、フェン兄様」
「ああ、少し長くなる――」
彼女は神妙な声色で、ゆっくりと語り始めた――
「まず最初に起こったのは――[虚空漂流物]の落下だ。
この鉄砂と火風の浮遊島、ラザントゥロウムに――
――弾丸のような形をした、渡空艇と思しき物体が墜落したのさ」
『漂流物――ですか?』
「そう。
原因は様々だが、虚空と実空の合間を漂い、ふとした瞬間に
どこかの浮遊島や渡空挺に降ってくる。
まあ、そういう類いの[持主不在物品]さ」
――虚空に{呑まれた}者やモノの、成れ果て。
あるいは、そういうものなのだろうか……。
「話を戻そう。
その落下した漂流物――つまり落下物は、正体不明だった。
人間の集落にもほど近いということで、まずは調査隊を送ることになった」
彼女は言葉を続ける。
「指揮を取るのは周辺地域一帯を収める総部族長。
無論、当代一の実力者だ。
頑強極まりない体躯そのものを武器とする、勇敢な戦士――だった」
『――だった、とは?』
「それが、仇となった」
『――それは――』
「そう、彼は[敵性存在]によって[狂気を与えられた]」
『……そして、その素晴らしき武器は、同胞に向けられた――と』
「……戦士として、どれ程の屈辱だっただろうね。
だが、狂気は、一処に留まることはなかった――」
『――感染――?』
「その通り――狂気を振るわれ倒れ伏した彼の同胞たち。
彼らもまた、狂気に取り憑かれてしまっていたのさ」
彼女は弱々しい点滅を見せ、声の調子が変化する。
「そして狂気感染者は増え続け、瞬く間に全土を覆い尽くし――
――とは、ならなかった」
『――抵抗勢力が?』
「いいや、そうじゃあない。
もし、そうであれば――どれほど、良かったことか」
抵抗者ではなく、より悪い――?
ならば、或いは――
『……また別の、勢力』
「――そんなところさ。
狂気は、単一種類ではなかった」
『!』
「また別の狂気に侵された現地住民がいた。
鉄砂の海の底の底、広大な岩盤沿いに流るる地下水脈。
そこに住まう水陸棲人種――」
水陸棲人種――記憶している。
水中人や魚人のような、水中生活をする種族だったはずだ。
……一度は、お目にかかってみたいものだが。
「――その王が、大断層の付近で奇妙なものを発掘した。
形状は――単純な切子が施された輝石のような物体だったという」
彼女の姿が明滅し、透き通った正二十面体がその場に顕れる。
……こういう使い方もあるのか。幻術というものは。
細菌破壊者めいた正二十面体結晶の幻影が消え、また彼女が現れる。
「そして輝石もまた感染源。
王は狂を発し、王国は忽ち狂気に蝕まれることとなった」
『……同じ、ですね。
先程の部族と』
「そう。両者の状況に大きな違いはない。
だが、狂気羅患者の両集団はどうやら、[互いに敵対者]であるらしい」
『互いに――敵対?』
ただ発生源が複数あるというわけではなく――
――[類似した別種の疾患]?
そしてそれ同士が敵対している?
それは、例えば――人狼が動屍体を噛むようなものだ。
まさか源平碁のように、[A反転→Bへ]ものなのだろうか。
「そうさ。両陣営は紛れもなく、敵対している。
――そうだな。これは――」
仮に[AをBに出来][BをAに出来る]だとするならば――
――この盤上で、対局を行う者は、誰だ――?
「――実際に、見てもらう方が早いね」
――待てよ。
そういえば――
……【意志ある魔物】の持っていた楔……。
つまり魔物は、鉄砂海峡に居た?
――[如何なる目的で]?
あるいは、もしかすると。
――いや、考えすぎだろうか。
とにかく、今は――
『――!?』
変転する視界。そこは既に指揮室ではなく。
『!
これは――』
鉄の獣が群れを成す、鉄砂波立つ朱き広野。
その幻影が、どこまでも広がっていた――




