50話【識】[side:HL]
「すまない、メガリス。
ここからは、父と二人だけでの話がある」
――などと、妹を下がらせ、この場には私と父との二人だけだ。
〔――美しい娘だ。それに知にも恵まれている。
良き者を得たな、ヘレノアール〕
「もったいないお言葉です――それより、
お身体の方はよろしいのですか?」
確か、前に眠りについたときは、確か精々数夜の事だったはずだ。
此度の"眠り"は、一周月ほども続いた。
あからさまな、"悪化"だ。
良い傾向とは、とても思えない。
〔案ずるな。今のところは、問題はない。
こうして、雲身転翔の術式を組めるほどだからな〕
「本体が封じられても、魔力が健在なのは幸いでしたね。」
現在、父の本体は、病に冒されている。
――いや、呪い。そう称するべきだろうか。
〔僥倖、そう言うべきだな。
本来であれば、あのまま喪失していてもおかしくはなかった〕
直接の要因は、[戦闘による負傷]だ。
領内に現われた【魔物】との交戦。
……そこまでは、そう珍しい話ではない。
父は私達の多くと同様に、自ら戦いに赴くことを好む戦士だった。
――そして、戦えば勝つ。故に、常勝不敗とさえ呼ばれることもあったのだ。
事実、父の代になってからは魔物に依る人的被害は殆どないと言っていい程だった。
父の練術式の業前は、術士衆の長でさえ容易くは打ち破れぬものであったし、振り翳す戦斧の冴えは其れ以上の威力を誇っていた――
「……しかし、あの【魔物】――
――いや、[明確なる意志の力]を持ち、[内包宇宙]無くば操り得ない
[魔法]を用いた以上――【人間】ということになるのか。
……あの【知性ある魔物】は、何者だったのか」
〔――理解らぬ。仕留めてしまった後ではな。
ただの意志ある魔物であれば、多くはないが幾度も相見えた。
だが、彼奴のように――人と寸分変わらぬ姿の魔物など……未だ嘗て、見たことは無い〕
「いっそ[新たな技術]を得た、人の魔法術士であったのならば……」
〔――過去を嘆くな。だが、幾許かは容易い事になっただろうな。
ただの魔法であれば――術者さえ屠れば、大概の呪詛は立ち消えるものだ〕
「されど現実は――」
〔――左様、この呪いにはそもそも魔力が無い〕
「即ち、この呪いは――」
〔――魔法によるものではない〕
父の雲身が震え――強い、怒気を発していた。
〔何と贅沢な輩だ。
魔法だけではなく、[未知の呪法]さえも操るとは!〕
魔法でも、身体のでもない、力。
……そういえば、そんな話を聞いたことがあった。
「未知の力……あるいは、来訪者や転生者の類い、ということも考えられますが」
大地の時代、断片的に語られる、神話の断章。
数少ない文献から引用するならば、こういうものになる。
{かみさまはべつのせかいから、ことなるものをよびよせるのだ、と。そういわれています}
上位存在が、異世界から、異分子を呼び寄せる。
異分子そのものがこちらに現れるのであれば、【来訪者】と。
異分子を鋳潰し、煮溶かし、濾過し――現世のモノとして創り換えられたならば【転生者】と……そういう風に呼ばれていたという。
尤も、[来訪者・転生者]が実際に現れたという文献は、未だ発見された事さえ無いのだが……。
〔あるいは、そうかも知れん。だが、我等にはそれを確かめる術など無いのだ。
それらは未だ、ただ理解不能な存在と同義でしかない〕
「はい。
ですが未知存在は一度暴かれてしまえば、
ただの既知の存在となり得ます。
知りえたものを恐れる必要などありません、ただ対応すればいいのです」
〔ふ、頼もしいことだ。やはりお前に任せたのは正解だったな。
――遺跡探索の件、ご苦労であった〕
「は……ありがたきお言葉です」
――いけない、色々なことがあったせいか、
【本題】についてすっかり忘れてしまっていた。
〔新たな血族を得たこと。それは当然、大いなる収穫だが。
それだけではないのだろうな? ヘレノアール〕
「はい、父上。
――これを」
私は、背中から細長い木箱を下ろす。
……周りからは、見えていないだろうが。
「【姿隠し】――解除!」
全体にまぶされていた妖精粉が魔力を失い、光となって消える。
そして現れたのは、術式によって隠されていた、細長い小箱。
〔やはり、有ったのか……。
――開けてみせよ〕
「は……」
父は、雲身で物に触れる事は難しいようだ。
全く出来ない、というわけではないようだが。
蓋を開き、中のものをゆっくりと取り出す。
〔……間違いないな〕
「はい、おそらくは」
それは、槍のようであり、剣のようであり、獣の爪牙のようでもあり。
ひどく捻じくれた、金属杖――あるいは。
柱のような、物体だった。
そして、それは――
〔――紛れもない。これは――〕
「旧世界を撃ち砕き、虚空を生んだ元凶にして――」
〔――世界を再び、一処に繋ぎ留めうる、唯一の希望――〕
「――【"識"たる楔】――!」
〔……見事だ、ヘレノアール。
よくぞ手に入れ、そして帰ってきた――!〕
「これで――3つ。
あとどれ程集めれば、世界再編が叶うのでしょうか」
〔――良い。今は一つでも先へ進めた事が肝要だ
今後も探求行はお前に任せる、良い知らせを待っているぞ〕
「は……必ずや新たな楔を齎してみせましょう。
ですが、父上の――」
〔……私の体のことなら、気にせずとも良い。
次男のヤツが解呪の術を探している。そう長くは掛かるまいよ。
それに、例え万一の事があろうとも、長男なら上手くやることだろう。
ヘレノアール、お前はお前が望むがまま――前へ進むがいい〕
「お父様……」
目頭が、思わず熱くなる。
だが、涙は流さない。流してなるものか。
あれだけ強かった父が、無力な存在と化している今。
徒に不安を増大させるような行為は……戦士のすべき事ではない。
――ならば、私は。
「――行って、参ります! お父様!」
頷いた父の輪郭が薄れ、徐々に消えていく――術式の効果時間だ。
一礼し、下がる。
部屋を出る。
振り返れば、既に雲身はそこにはない。
寝所の本体へと戻ったのだろう。
お父様……。
……そう。
私は――私の為すべきことをするのだ。
――さて、メガリスとフルカを呼ばなければ。
次の探求行の、支度をしよう――




