49話【もう一つの、名前】
永い廊下、大きな扉、[謁見室]と刻まれた木製の木彫り細工。
「エデルファイト子爵ヘルゲロープが子、ヘレノアール・ヴィーディス・エデルファイト!
探求行より帰参いたしました――父上!」
ゆっくりと音を立てて、扉が開く。
少しずつ、部屋の中が見えてくる。
敷き詰められた緋色の絨毯、石造りの重厚な壁、灯火飾りらしき吊り照明。
そして――誰も居ない、玉座。
『これは――いったい……?』
思わず零れ落ちる疑問の言葉。
その様子を見てこちらに顔を向けたヘルは、こっそりと僕に耳打ちをする。
「さっきの眼鏡だ、フルカに貰っただろう?」
『……はい、着用します』
ボクはヒラヒラとした袖の中に忍ばせた、眼鏡のような装身具を取り出す。
慣れない服装に難儀しながらも、なんとか眼鏡身に着ける――
――いま、ボクは……『お姫様のような服装』をしている。
フリル満載のふっくらとしたスカートに、きらびやかな装飾の施されたコルセット、質の良さを伺わせる黄金色のティアラ、柔らかな印象を与えるパフスリーブ、真っ白のオペラグラブは造兵廠の開閉口も塞がれてどこか息苦しい。
しかし、淡い緑のドレスは結い上げた紫髪によく馴染み、鏡で見たときは……危うく、自分に惚れるところだった。
女神のようにはなりたくない――されど、自分の姿に惚れる――というのも何だか……うん、嫌なのだ。
――と、いけない。ヘルが心配そうな顔で見ている。
ボクは{なんでもない}風を装って、すこし微笑んでみせた。
ヘルの頬が赤く染まったようにも見えたが、気にせず誰もいなかった筈の玉座へと目を向ける。
一体、何が――
――居る!
しかし、あれが――エデルファイト子爵?
揺らめく影のような、半透明の人形のような。
霊魂か、亡霊か、はたまた上位霊か。
あるいは、水晶人間や流体族――とか、そういった感じの異種族である可能性もあるか。
……ああ。もちろん、魔法という事も考えられる。
ヘルが作業機械に取り付いていたように、何らかの手段で人間をあのような――揺らめく瓦斯状のものに変えられるのかも知れない。
そんな事を考えていると、その流動気体――エデルファイト子爵が、言葉を発した。
〔――ご苦労だった。我が娘、ヘレノアール。
まず、無事に戻ったことを嬉しく思う〕
……集音器が正常に作用する。つまり、これは。
それを明確に音として、音声として、ヒトが喋るのと同じ様に――[言葉を発している]という事だ。
〔件の代物について聴きたいところだが――
――それよりも。まず、この"父"に――お前の"妹"を、紹介してはくれないだろうか?〕
「もちろんです! お父様!」
{さぁ}とでも言うように、手をこちらに向けるヘル。
ボクはドレスの裾を踏まないように、ゆっくりとした足取りで進み出る。
〔――ほう〕
「彼女はメガリス、[古跡雲海]空域の[旧ライムリア期]と思しき遺跡洞穴より出土した……恐らくは、機人――私の新たな"妹"です」
……成る程。ボクが居た場所は、そういう名前のものだったのか。
覚えておこう。あるいは、なにかの役に立つかも知れない。
「妹にはこの探求行で、幾度となく助けられました。
長蟲を屠り、奇想旋曲体を討ち果たし、
その御蔭で我ら一同、こうして無事に帰投することができたのです」
改めてそんな風に言われると、その……照れる。
頭部正面側には出ていない、と思いたいが。
〔――素晴らしい。美しいだけでなく、精強であるのだな。
得難きものを得たな、ヘレノアール〕
「はい! そして願わくば、我が妹を我らが一門に――」
〔――良い。皆まで言うな。
我が家は来るものを拒まず、強きものを尊ぶ。
それほどの力あるものを、認めぬわけがあるまい〕
「! では――」
〔うむ。
たった今この時より、エデルファイト家は正式に、新たな"家族"を迎えた!
我が新たなる"娘"よ――こちらへ〕
ヘルの方をちらりと見遣る。
目を合わせると、深くゆっくりと頷き、エデルファイト子爵の方へと向かうように促された。
幾許かの動作不調。動きがぎこちなくなる。
だが縺れるような動かし方はしない――少なくとも、それは制御できる……。
〔新たなる娘よ。
その名は、ヘレノアールが与えたものだな?〕
『肯定。"旧き言葉"に因むもの、だと』
〔ならばお前にもう一つ、"旧き名前"を与えよう。
今や世にさえ失われ、伝える者無き"聖者の名"を〕
『――その名、とは――?』
〔【"リーリトゥス"】
かの【大地】に在りて[神格]の代行者であったとされる。
伝承上の巫蠱の名だ〕
『――巫蠱……神格――!』
――女神か――? それとも、また、別の――?
〔故に――之より、こう名乗るが良い。
【メガリス・リーリトゥス・エデルファイト】と!〕
『――!』
二度目の命名。
それは、やはり――悪くなく。
また一つ、もう一つ。
世界に受け入れられたような、そんな感覚で。
――転生した甲斐が、あったというものだ――
『確かに、拝領いたしました――
――エデルファイト子爵』




