39話【溶けて、掻き消える】
「そもそも、虚空の中に入った人間は、【破裂して死んでしまう】とされているけれど、実際は少し意味合いが違うんだ」
サイクリスが焼き菓子を片手に、解説を始める。
「宇宙空間の様に、外部圧力が失われるのではないのですか?」
ボクは猫の舌に似た葉巻状の焼き菓子を口に入れるのを止めて、サイクリスに言葉を返した。
「なかなか古風な単語を知ってるね。
古代ライムリアの風俗文化も気になるけれど、今は後にしよう」
……[古代ライムリア]……確か、この機体が作られた国家の名称……そう説明書の奥付に合ったはずだ。
言うならば、それが機体の生まれ故郷。
記録でしか知らないが、必ずしも経験則が先天認識に勝るとは限らないだろう。
余計な思考を回している間にも、話は続く。
サイクリスはどうやら、自己のペースを保ち続ける話法の使い手のようだ。
「残念ながら虚空は真空じゃない。
それ故に、当然。死への過程も異なるものになる」
例えば――そう言いながら、サイクリスは棚に乗ったままの透杯と匙を手に取った。
「ここに白湯と粉砂糖がある。
白湯の中に砂糖を入れ、掻き混ぜたなら、どうなる?」
『砂糖水溶液になる、でしょうね』
「そう。それも正解だ。
だが、この比喩に於いては、適切じゃあない。別の視点が必要だ」
『……砂糖が、固体ではなくなる?』
「それも近い。だが、そうでもある。
そうだね……なら、[白い粉末]の状態を[砂糖]だ、と定義してみよう。
それは白湯のなかで、どうなる?」
定義の変更、それはその状態で有るが故に[それ]足りうると。
その状態は失われた。ならば、それという存在は――
『――無くなる。掻き消えて、無くなります』
【 ――]■_■ ̄■〓■〓 】
視界に走る異物。
想起される喪失感
[反応喪失]時の。
[虚空に、食われた]時の。
『――ッ!』
「……そこまで。
大丈夫、ここは[何もない場所]じゃない。
君は何一つ、喪失してはいない」
『……理解しています。
こんなものは、ただの記録に過ぎません』
「いい意志力だ。
だけど、ここで一つ区切りを入れよう。休憩だ」
ノイズは既に途絶えた。
反応の途絶は一つもない。
『不要です、続きを』
「ダメだ。機体に無理をさせるのは、断じて技師の仕事じゃない」
サイクリスの態度は頑なだ。
まだ、ボクは。
何も重要なことを――例えば、[虚空への抗い方]や[症状の根本的要因]といったものについて――聞いていない。
とはいえ、これでは仕方がないだろう。
勧めに応じて、一休みするのも悪くないだろうか。
「少し外の空気でも吸ってくるといいよ。
[気体交換]が必要な機種かどうかはわからないけれど」
『[模倣行為]は出来るようですが。
――では』
そうして、ボクは部屋の扉に手をかけた――




