30話【それは水底に似て】
[敵性反応]が消滅したことを確認し、ボクは虚空の周囲を見渡す。
――何も、ない。
クラーケンの残骸さえも、欠片一つ[感知不能]。
……さて。
ここから、どうしたものか。
勝利と帰還を約束し、圧倒的勝利を得た以上、残る課題は帰還の手段となる。
通った●は既に消え、クラーケンはもう居ない。
出口を探すか、作るか。
あるいは震えながら助けを待つかだ。
……待つのは得意だ。
あれ程長い間、ただ只管に待ち続けたのだから。
だが、待つのは嫌いだ。
――あれ程までに待たされたのだから。
消極的行動選択を否定するのなら、積極的行動を取る他に選択肢はないだろう。
では、出口――そんなものが存在するとして、だが。
――いや、●があった以上、出口があってもおかしくはない。
第一、クラーケンからすれば、●は出口以外の何物でもないだろう。
とにかく、[出口はある]ものだと仮定しよう。
それを探すことは可能か?
――[否定的見解]。
現時点で、それは[魔物]によって作り出されたもの以外は確認できていない。
他の魔物を発見し、その魔物が●を通るのを追う――
……ああしかし、試してみる価値が無いわけではないか。
しかし、保留だ。いかんせん推論に頼りすぎている。
確定している情報が足りない。魔物は群れをなす生物なのか? 単独で行動する? であれば縄張りのようなものはあるのだろうか? そもそも全ての魔物が虚空とあちらを行き来できるという保証は? それが限定されると言うなら条件は何か? それ以前に――
……そう、キリがない。
現時点で、魔物に手段を委ねるのは、得策ではなさそうだ。
では、[自己機能]では、どうだろうか?
ボクの【造兵廠】の中に、[虚空を穿つ兵装]は在るだろうか?
[情報検索]――[検索完了] ⇒ [該当結果:なし]
「……駄目、か」
――[補遺]
おや……? [P.S.]とは。
何か、関連情報が存在するのだろうか。
[以下の単語に関する情報無し]
[――"虚空"]
[検索完了]
……なるほど。
いや、それもその筈か。
"この身体"は、虚空を知らない。
考えるまでもなく、当たり前の事だ。
この身体が造られたのは5000年前。
虚空との接触が生じ始めた要因の、"大破砕"は恐らくそれより後の出来事だ。
ボクの電子頭脳に遺されている[書類データ]の中には。
5000年前の世界のことや、そこにどんな人間が暮らしていたか――といった、雑多な情報も断片的に含まれている。
そこにお義姉さまが語ったような空中世界のことなど記されてはいなかったし。
ましてや虚空などという不可思議な現象ないしは領域のことなど一言たりとも刻まれていなかった。
――だからボクは、その世界に産まれ、生きていくものだと思っていたのだ。
しかし、現実はこうだ。
生まれ落ちた先は[天地広がる無間の虚空]。
逃走の為の闘争――否。闘争の為の闘争を望み。
水面より水底へと至るように、沈み込んだ虚無なる虚空。
左右も上下も、何も理解らぬこの場所で、ボクには何が出来るのだろうか――
不安、それに類似した感情。
それより遥かに希薄なものだが、確かにその情動は生じていた。
それは同類を惹き寄せる。
よろしくない感情は、よろしくない事態を呼び寄せる。
一呼吸。呼吸器に気体を送る真似をする。
腕を伸ばし、身体を伸ばし、足を伸ばし――
――そして、気がついたのだ。
自身の"不調"に。
――そう、いつの間にか――
下半身の感覚が、消失している事に――




