294話【なないろの、そら】[side;Arl]
「わ――」
――どこまでも青く澄み渡る空。
そこにいま――私は、いる。
「∅ ……。」
ここはきっと、空の心の中。
幾重にも重なる[大気圏]を越えた先。
空の心の奥底に――無限に広がる小さな世界。
「∅ ――本当は、さ
もう少し、格好をつけようと思ってたんだよ。 」
――[あんなに情けない姿]で?
という言葉をとっさに飲み込んで、黙ったまま少女の姿を見る。
さっきまでの姿よりもっと幼い――どこか少年のような雰囲気の、小さな女神は微笑んでみせた。
「∅ 本当は僕が大地を止めるべきだった。
本当は僕が大地の欠片をひと所に集めてやるべきだった。
本当は僕が、大地を失い空の住民となった人間たちを導いてやるべきだった――」
目を伏せて、自分を抱きかかえるように、震える小さな女神様。
「∅ ――でも、できなかった。
そうさ――怖かったからさ、何もかもが。 」
「怖、かった――?」
「∅ 僕と大元は同じはずなのに、あんなにも強い心を持てる大地が怖い。
原初の半身を使って、[境界破壊兵器]を作り出してしまう人間が怖い。
欠片であるはずなのに――全てを破壊し続ける力を持った楔が怖い。
――笑ってくれよ。
僕は何もかもを恐れて――何一つ成せなかった、愚かな女神さ」
――泣きそうな顔。
必死に堪える涙は、それでも一筋だけ流れてしまう。
「∅ 大地がしたことは恐ろしいけれど――それでも道理には適っている。
……いつだってそうさ。あいつはどれほど間違っていようと――正しいことをする。 」
「――それは……」
「∅ 自分の生み出したはずのものを、自分の手で打ち壊そうとする大地を見て思ったのさ。
……僕は神の座に相応しくない、って。 」
「……!」
「∅ 魔物たちを見たかい?
醜悪で、凶暴で、機能的で、滑稽で――
――どこまでも自由だ。 」
――やっつけてきた、[虫のようなもの]を思い出す。
可愛くも、綺麗でもないけれど、それでも――
「∅ 僕は[彼らの自由]を、妨げることができない。
律してやることが正しく、導いてやることこそが道理だ。
……僕には、それができない。
僕はあの子達の自由を妨げることはできない。
主の恐怖を察知して、ヒトを駆り立てようとする。
そんな彼らを――止めることなんてできない。
そんなことさえわかってなかったのさ、僕は。 」
恐れていて、悔やんでいて、自分を無理して笑いものにしようとして。
直接触れる空の心は、それでも何かを諦めきれてはなくて。
「……何で、私を選んだんですか?」
「∅ ……率直に言えば、"誰でも良かった"。
僕以外の誰かであれば、誰であろうとも。 」
「――感じの悪いこと、言わないでください」
だけど、心の奥底なら――手にとるようにわかる。
それ自体は――別に、嘘でもなんでも無い、って。
「∅ とはいえ――条件、と呼ぶべきものはある
神の力を継ぐものは、何らかの[類感的/連想的接続]が必要だ。 」
「繋がり、ですか?」
「∅ 太陽なら星や炎、海なら水や大河、山なら土に灰に――
――どんなこじつけでも構わない。
[つながり]があることで経路が通る。」
「はあ」
「∅ きみは空を望むことで、それを彩る【虹】になった。
……運命、なんて神はとうの昔にいなくなったけどさ。
[空と虚の狭間、転生者の招来]にいたのが――きみで良かった。
恐怖を知る――強さを秘めた――きみで、本当に良かった。 」
「……」
ふと――自分の姿を、見る。
虹色の球体――たしかに、そう見える
だがそれは――孤だ。弧状の線が集まって――球になっている。
「――そっか」
【虹】――かあ。
[現世と冥界を渡る虹]のお話を思い出す。
死せる[風精]を呼び戻す、[虹色の境界]の橋で起こる攻防の話――
――死せる。
死せる――女神?
「そういえば、あのときの[虚空の女神]って――そもそも、何なんですか?」
「∅ ……それは僕に聞くより、当人に聞いたほうがいい」
「――当人?」
「∅ そうさ、僕は彼女の居場所を知っている。
僕はきみのものになるんだ。
きみのものになった情報は――きみが、使うものさ。」
「なんだか、ちょっと――よくわからない、です」
空は、軽く微笑む。
「∅ ――それでもいいさ。
そろそろ時間だ、心の準備はいいかい?」
「――あなたこそ」
茶化すように、笑顔を返す。
「∅ ……できてるさ、きっと。
いいや、できているよ、もう。
きみが願ってくれたから。
人の願いに答えてこそ、神ってものだろう? 」
「――ふふ。
それなら、私も――格好つけた甲斐が、あったのかな――」
――そして。
空は、虹に溶けていき――
虹は、空に溶けていった――




