293話【虹霓】
――先ず、何にしても――
これだけは、聞かせてもらおうか――
『何が……あったのですか?
――【空の女神】』
こちらを向き、目を見開いて、{驚いて}みせたかと思うと――深くため息を付き、からからと笑い始めた。
「∅ 月に言うのは憚られるが。
大地になら……話す他ないだろう? 」
――やれやれ。
「∅ ――そのままさ!
きみが、いま見た通りだよ。 」
『……命を落とした、と?』
「∅ ああ! まさにその通り! 」
嬉しそうに手を叩くと、箍が外れたように大笑し身を捩らせる。
――それこそ、{狂気}的に。
「∅ 笑ってしまうだろう? 死んだ神! 神の死体!
原初と一緒だ! [肉体以外の存在]だけで存在する! 」
『私はお前を笑わない。
――こうして、ボクとなっているのですから」
「∅ ……っ! 」
狂笑が止み、震える手を握り――祈るように、傅く。
「∅ そうだったね、月の。
大地と同一存在になってくれてありがとう。
……これでも、本当に感謝してるんだ。 」
『お前も、そう出来たはずだろう?
――何があった? 答えよ、空の』
「∅ ――【奈落】が。」
顔を覆い、苦悶の表情を浮かべる少女。
絞り出すように、ゆっくりと語り始める。
「∅ 奈落が、押し寄せてきた。
……そう言ってもいい状態、だと思う。 」
『――【奈落の王】が?』
――空の女神を追って現れた、無数の【奈落の王】。
考えられるのは――まず、王どものことだが――
「∅ ヒトはそう呼んでるんだね。
だがアレは意思ある何かではないし、王なんて代物じゃあ断じてない。 」
「だったら――何なんですか、あれ?」
不意に話に割り込むアルル。
――そう、彼女もまた本題なのだが。
「∅ ――? ……ああ、きみか。
残念だったね、間に合わなくて。」
「あんなに偉そうなこと言ってたのに――あなたも、死んじゃったんですか?」
「∅ ……そうさ。
本当なら僕の宮殿で、楽しい試練を受けてもらう筈だったのにさ。
……全部全部、台無しだよ。 」
――そうだ。
【奈落の王】とは――[如何なる存在]か?
「∅ 【奈落の王】は本来の意味での奈落――[下方限界]を定める定義器さ。
文字通りの世界の果て、境界から先に何があるかは知らないが――
決して、誰一人、何一つ、何もかもを通さない。そんな存在さ。 」
「……?」
『――そんなものが、噴出していた、と?』
「∅ ……そうさ。僕の肉体も、【王】で消滅した。
下方限界が迫ってきている。
天方限界も遠方限界も、いずれそうなるだろう
そうなれば――この浮遊島世界片はぺしゃんこさ。
[この小さな空]は――[00000000]のと同じになってしまう。 」
「……」
「∅ ……情けない話だよ。
僕が、僕だけが、この世界というものを定義づけていたのに。 」
『――虚空』
「∅ ……いま、この場合は問題にならない、だって――
空が無く、虚空だけの世界に月がひとつふたつ。
そんな世界で――ヒトが生きていけると思っているのかい? 」
「……」
『――空の』
「∅ そうさ、生きていけるはずもない。
広がりを失った世界は、無限に縮み続けて遂には消滅する。
空の女神という存在が失われてしまった以上、もう出来ることなんて――」
「――いい加減にしてください!!!」
「∅ ッ!? 」
「何なんですかさっきから! よくわからないことをぐちぐちと!」
「∅ なっ……なにを―― 」
「――顔を上げて、よく見せて!
空はいま、ここに存在する!」
「∅ ――! 」
「私の見たかった"空"は――こんな曇り空じゃない!」
「∅ う……あ―― 」
「何を諦めて、何を恐れて、何を躊躇っているの?!
大地の女神と同じように、新世界の空になるの!
――出来ない、なんて言わせないッ!!」
「∅ ッ!
わ、わかっているのか!? それはつまり、きみと僕も―― 」
「――構わないッ!
あなたも! 私も! 一度死んだ身!
――だから――もう、[別のものになることも]怖くない!」
「∅ ――ッ!! ああもう!!
知らないぞ! 知ったことか!
全部――お前に、くれてやる!! 」
――伸ばした手を、しっかりと掴む。
虹色と空色が混じり合い、新たな色彩へと移り変わっていく――
――ああ、なんともはや。
少しばかり、見誤っていた。
あの娘は、強い。
戦士の器ではないかもしれないが――或いは。
存外、[神格]には向いているのかも知れない――
――そして、世界は切り替わる――
ボクには、それを――この目で、はっきりと見ていた――




