27話【残された者たち】[side:HL]
「メガリス!!」
艦内の投影皮膜に映されたのは、大事な妹が魔物に捕らえられる姿。
「そんな……メガリス! メガリス!!」
「落ち着いてください、ヘルお嬢様っ!」
「離せ、フルカ! メガリスが、魔物に――!!!」
――そうだ。
メガリスが、虚空に引き摺り込まれてしまった。
ただの人間では決して生きて帰る事を許されない、禁断の並列次元。
――即ち、虚空に。
そこには――何もない。
何もかもが、存在しない。
光、風、空気、水、温もり、冷たさ――私達がいつも感じている、すべてのもの。
それはそこには存在しない。何もかもが失われた世界。
生者が飲み込まれた場合、生きて帰ることはありえない。
まず肺腑が潰れ、四肢が萎え、次第に藻掻くことすら出来なくなり、やがて物言わぬ屍骸と成り果てる。
そして、奴らのエサとなるのだろう。
そこで生命を保つことを許されるのは――魔物だけだ。
そう――そんな空間に
妹が飲み込まれたと言うのに――
「――落ち着いてなどいられるものか!」
そうだ、私は――
「いいか、メガリスを助ける!
まずは――フルカ! 艦に虚空潜行指示を!」
「ダメですお嬢様!! 今の艦には兵装がありません!
このまま虚空に乗り込むのは、幾らなんでも自殺行為です!!」
「私自ら出る!! {物体の保護}と{変容の否定}の併用で、少しの間であれば耐えられる筈だ!」
「それでも危険すぎます!! お嬢様の身に何かあったら、誰も彼もが哀しむことになりますっ!!」
「では、どうしろというのだ!! このままではメガリスが――」
――□□□ ̄□ ̄Ζ_/▽\__□>――!!
次の句を遮るように、響き渡る大きな音。
――オーチヌスの、大声だ。
[*失礼いたします。お嬢様、フルカ様。
艦の発言をお許しいただいても?]
どうやら気を使わせてしまったらしい。
……頭を、冷やさねば。
「――ああ。構わない。
どうした、オーチヌス?」
[*一時的な艦載兵装を用意することが可能です。
但し、お嬢様のご助力があれば、ですが]
「……なに? つまり、どういうことだ」
[*お嬢様は散の術師です、その高位術である
{雲散霧消}を扱うことは可能でしょうか?]
「……ああ、あまり使ったことはないが。確かに可能だ」
確か――自らの身体そのものを、散術の媒体となる"粉末"へと、一時的に変化させる――そういう術式だったか。
「しかし、それでどうするつもりだ?
そうなれば、自ら動くことすら出来なくなってしまうが」
[*ではもう一つ。{月撃ちの芽胞}はいかがです?]
粉末を体内に取り入れた生物、ないしは装置を、術者の魔力によって操る術式か。
確か一部の浮遊島では、この術の使用は禁じられていたな。
しかし、この2術で、何を――?
――いや、理解できる。
つまりは術式の併用によって――
「……なるほど、そういうことか」
[*お分かりいただけたようですね、流石はお嬢様]
顔が赤くなるのが自覚できる。
相変わらず、この赤面症には苦労をさせられる……。
「やめてくれ、気恥ずかしい。
しかし、どこからそんな奇策を考えついた?」
[*先程、メガリス嬢と歓談致しまして、少しばかりの着想を。
それに、艦は[術式砲搭載艦]でありますので。]
メガリスと歓談……少しばかり羨ましいな。
無事救出成功なら、私もお茶会に誘ってみよう――
「そうか、メガリスと交流できたのだな――」
少しばかり、妬ける。機人同士、気が合うのだろうか?
出来うるものなら、もっとメガリスと親しくしてみたい。
あんなに美しい機人は他にいない。
それこそまるで、旧世界で信仰されていた女神のようだ。
そうだ――私は、メガリスを護りたい。
――例え、どんな危険があったとしても!!
「それで、何処にある?
私が使うことになる――機体は」
「*是――こちらに」
指揮室の片隅には、黒い箱が置かれていた。
艦の艦内処理用の小型端末だ。
「お二方とも、さっきから何を言ってるのかさっぱりですよ~!
要するに、お嬢様はこれから何をしようとしてるんですか?」
蚊帳の外となっていたフルカが不満げな声を漏らす。
あとでもう少し、魔法術式について教えてやった方がいいかもしれないな。
「まず、方針として【メガリスの救出】と【虚空への潜行】は変わらない。そこまではいいな?」
「ですから問題は、【兵装の不足】と【お嬢様の危険】です。
お嬢様の術式は恐らく、虚空でも発動出来るタイプのものですけれど。
お嬢様を艦外で虚空に晒すわけにはいきません。それはもう絶対にです!」
[*つまり、その危険を軽減ないしは除去出来るのであれば、
兵装の代用としてお嬢様の術式が使用可能となります]
「ああ。それで、私は2つの術式を使う。
先の話にあった{雲散霧消}と{月撃ちの芽胞}だ」
「それで、どうなるのです?」
「なに、見ればわかるだろうさ。
対象となるのは、そこの四角く黒い箱だ」
私は袋からいつも使っている妖精鱗粉を出すと、それを全身くまなく振り掛ける。
「よし――では、始めるぞ」
精神の集中。意識の統一。魔力の流れを全身で再確認する。
そして唄うように、謡うように、詩うように――詠唱を始める。
「――…………。
{"我は其、其は我也、遠き彼方と此方に偏在するもの也――
其は払暁の荒野に在りて、黄昏の樹林を彷徨うもの也――
其は烈日の凍土に在りて、宵闇の砂漠を揺蕩うもの也――
其は全より出て一に消え失せるもの、我は其と化す――"}
散術式――【雲散霧消】!!」
――私の身体の総てが、金色に輝く粒子へと変わっていく。
つまり、全身そのものが、魔法の媒介へと切り替わった状態だ。
この状態では、精神集中も不要に、魔力伝達減衰することなく魔法を用いることが出来る。散術師の奥義の一つだ。
本来であれば、術者は室内などの狭い空間に閉じ籠もり、強大な魔法力で拠点防衛などを行うのに向いた秘術だ。
強い風に晒されれば、四散して元に戻ることさえ難しくなってしまうからだ。
そして、私は次の術式を使う。
この状態であれば、もう詠唱も精神統一も必要ないが――まあ謂わば、願掛けのようなものだ。
「"(月の夜長に樹林の底、眠り続ける禁忌の子らよ――)
(先に残るも同じこと、後に消えるも同じこと――)
(咲きて残すは罪の花、後の一つはのこのこと――)
(我が瘴気は汝が狂気、乱れ裂かれて月に吼えよ――)"
(散術式――【月撃ちの芽胞】!)」
声として発せられることのない、言葉が全粒子に響き渡る。
バラバラに散らばっていた粒子が、一処に集まっていく。
「――!!」
フルカは、ぽかんと口を開けていた。
――まあ、それはそれとして。
粒子は、艦が用意した四角い黒い箱の中に吸い込まれていく。
やがて、すべての粒子が箱の中に入り終えると――
[∴……どうやら、成功したようだな]
「……? …………??
――…………ヘルお嬢様!!!?」
私は、四角い黒い箱の姿になっていた。
[*おめでとうございます、お嬢様。
これで立派な機人ですよ?]
[∴そう茶化すな、オーチヌス。
この機体ならば、虚空でも平気だな?]
[*肯定されます。
艦内の備品は全て[対虚空皮膜]がなされておりますので]
[∴それを聞いて安心した。さて、フルカ。
これで【お嬢様の危険】は問題なしだ。
そして【兵装の不足】は、私の散術がある。これも問題なしだ。
【虚空への潜行】し、【メガリスの救出】に向かう。異論はないな?]
フルカは少し目を落とし、沈黙する。
やがて、意を決したのか、真っ直ぐに私の目を見て言った。
「……分かりました。異論はないです。
でも、【生きて帰る】ことだけは絶対です!
メガリスさんも一緒ですからね!!」
[∴勿論だ!
行くぞ、オーチヌス! [虚空潜航]!
【クラーケンに捕らわれたメガリスの元へ】!]
「艦、[急速潜航]!
それと、お嬢様の為に、[ハッチの開放]!」
[*命令を承認。
虚空領域へと突入いたします。]
鉄の鯨が虚空の膜を食い破り、虚空へと進撃していく。
ポッカリと空いた●は、暫くの間姿を晒しながらも、いずれ霞んで消える。
果たして、その先に何が在るのか――
――知るものなど、何処にも居はしないのだ――




