第1話 "森の玄関"アトラスの村 その1
「……」
ここは何処だろう。
少年が目を覚ますと、目の前には白い壁が広がっていた。少年がその壁が天井であると気付くのに数刻の時間を要した。
(そうだ……あの時……)
少年は思いだす。自分の名前は淡路明日馬。17歳であり、両親を亡くし、白クローバー孤児院で暮らしている。彼は、孤児院の先生や友人と共に、旅行で和歌山県へ遊びに来ていた。しかし、海岸で遊んでいる折に、突如として地面が崩れ、周囲の人と諸共、奈落の底へ落下したのだ。
その後の記憶は無い。
(……みんなは……)
少年がそう思った瞬間だった。
「お兄……ぃ……」
聞き覚えのある声がした。
「優……香……?」
少年が声のした方向を見ると、何度も見た血を分けた肉親の顔があった。
淡路優香。少年の唯一にして無二の妹だ。
「うん……」
幼いころから何度も耳にしたその声に安堵すると共に、少年は起き上がろうとする。
しかし、
「痛っ……!」
背中に痛みが走る。
痛み自体は大したことは無いのだが、予期していなかった為に、声が出てしまった。
「だ、大丈夫?」
「うん、少し驚いただけっす」
そう言って少年はもう一度、ゆっくり上体を起こす。そうすると、妹と二人、見知らぬ部屋のベッドで寝ていたことに気が付いた。
「優香、ここはどこっすか?」
「わかんない。私も今目が覚めたばっかで」
現状を把握しようとしても、中々難しい。
周囲を見る。部屋にはベッドが二つに、数点の家具。生活感を感じられず、殺風景の一言に尽きる。
壁には木材があしらわれている。窓の外には森林が広がっている。まるで森の中のログハウスの中に居るみたいだ。
自分の記憶は海岸で途切れているが、この様子だと一般的に海辺にあるような家ではないであろう。
あの海岸の近くには木々が生い茂る場所もあった。そちらの方の家庭に運ばれたという可能性もあるが、だとしたらなぜ自分たち2人だけなのだろうか。他にも居たはず。
そもそも最後の記憶は落下している時点で途切れている。相当深くまで落ちたはずだ。そこからどうやって運んだのか。それ以前になぜ自分たちは助かったのだろうか。
明日馬が思案していた矢先、部屋のドアが開いた。
「……」
ドアから、幼げな少女が入ってきた。きっと年齢は、明日馬や優香より若い。
しかし、一つ分かったことはその少女は自分達とは違う、と言うことだった。
人間と言う括りでは同じだが、髪の毛は茶髪かかったショートヘア、目は澄んだ青色。白い肌。明らかに西洋の方である。少なくとも、少女が日本人ではないことは明らかだ。
妹は瞬時に飛び起きて、明日馬の背中に抱きつき、隠れるようになる。どうやら、警戒しているようだ。
「……えーっと、はろー? はーわーゆー?」
「……起きたのね」
明日馬はとりあえず英語で話そうとしてみたが、日本語で返され、拍子抜けする。
しかも少し大人びた口調だ。相手が年下だと思っていた明日馬は、余計に驚いた。
そんな明日馬の様子を知ってか知らずか、少し安心した表情で、少女は告げる。
「森であなたたちが倒れていたので、ここに連れて来ました。私はミリィ、ミリィ=マスケットです」
「あ、よろしくっす……」
とりあえず日本語で答える。
「あなたたちは3日間も寝ていたんだけど……身体の方は大丈夫?」
心配そうに少女は尋ねる。
「ええ、少し背中が痛む位で、大したことは無いっす。優香は?」
「私もちょっと背中が痛いくらいだけど、後は平気かな。それよりも……」
危ない人ではないと気付いたのだろうか、優香は、続けて少女に問うた。
「ミリィ……さん、で良いのかな。ここは何処ですか?」
「構わないわよ。ここはアトラスの村です」
「アトラス……ですか?」
「ええ。バッケンバーグ王国北部のアトラスよ」
「バッケンバーグ……? どこ……?」
優香は、全く理解が出来ていないかのような呆けた表情を見せる。それは明日馬も同じであった。彼らはバッケンバーグなんて国を聞いたことがなければ、アトラスなんて村も知らない。
ミリィはその様子に驚いた様に告げた。
「あなたたち、もしかして記憶が無いの?」
「……いえ、ちゃんと記憶はあるっすよ。遅れましたけど、自分は淡路明日馬、17歳。横にいるのが2つ下の妹の優香っす」
「アワジ……アスマ。変わった名前ね……」
ミリィは訝しげに告げる。
「記憶はしっかりしてます。ただ、妹もそうだと思うんすけど、バッケンバーグなんて国に覚えが無いんすよ」
「……バッケンバーグを知らないの? あなたたち、何処の出身の方?」
「俺達は、日本の東京の人間なんすけど」
「ニホン……?トーキョー……?」
ミリィは顔をしかめた。
「私からすると、ニホンもトーキョーも何処なのか分からないんだけど……」
「「……」」
明日馬と優香は沈黙する。
やがて、明日馬は一つの可能性に思い至った。
「もしかして……ここは、地球じゃないんすか?」
***
ミリィと話を続けると、どうもその可能性が高いことが分かって来た。
まず、日本はおろか、アメリカもEUもミリィは知らなかった。つまり、『この世界』には存在しないということだ。それどころか『この世界』には、1つの大陸、5つの国家しか存在しないと言うのだ。
そして……
「魔界……っすか?」
ミリィの口から、魔界という言葉が出て来た。
「ええ。魔界と呼ばれる、魔王ライトニングが統治する場所があります。現在、各国と魔界が交戦状態にあるのよ」
どうも、魔王と呼ばれる存在がこの世界に存在しているらしい。
魔王――剣と魔法の世界にありがちな響き。まさにロールプレイングゲームの世界ではないか。
どうしよう。現実を受け止められない。
焦燥する明日馬に、ミリィは尋ねる。
「アスマやユウカの世界には魔王はいなかったのね」
「ええ」
優香は即答した。彼女も、この世界が自分達が住んでた世界ではないと確信したようだった。
「ということは、あなたたちは何らかの原因で、異世界からこの世界に辿り着いたという事、なのかな。ここを世界って言って良いのか分からないけど」
同時に頷く二人。
そこで明日馬は、ふとミリィに訪ねていた。
「あの……俺達以外に、誰か倒れてましたか?」
そもそも、他の6人はどうしたのか。彼が一番気がかりになっていることを。
「と言うと?」
意図をくみ取れなかったミリィは、明日馬に聞き返す。
「俺達は全部で8人で遊んでて、そしたら、地面が崩れてここに辿り着いて……俺達以外の6人が何処行ったのか、知りませんか?」
明日馬の答えを聞いて、ミリィも合点はいったようだ。しかし、
「……残念ながら、あなたたち以外の人は、倒れてなかったわ」
ミリィは首を横に振りながら、残念そうな表情を浮かべる。
「そうですか……」
残念そうな声を上げる優香。
「ただ……もしかしたら、あなたたちの友人も、この世界の何処かに漂着してるのかもしれない。あなたたちがこの世界に来たということは、同じ原因で行方知れずになった方々も、この世界に来ている可能性はあると思うわ」
ミリィはそんな心配そうな優香を見て笑みを見せつつ告げる。
「……そうですね」
優香は安堵の表情を見せた。
「さて、これからどうするのかはまた考えるとしまして」
ミリィは満面の笑みを浮かべ、こう告げた。
「まずは、ご飯にしましょうか」