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すでに園内には園児たちはいなくなり、私は一人で迎えを待っていた。


夕焼けをぼんやり眺めながらなにも考えないでいるこの時間は私にとっての祝福のときだった。

常に周りに気を張り、行動、言動一つ一つに最新の注意を払う、そんな煩わしい日々の唯一息を抜ける瞬間だ。

だから私はこの時不覚にも油断していた。完璧にオフモードだったのだ。


「明日香ちゃんはどうして笑わないの?」


いきなり現れ、少年が突拍子もないことをいってきた。どうやら園内にまだ私以外の児童が残ってたようだ。

私は一瞬息を詰まらせたが、悟られないようすぐさま顔に笑顔を貼り付けた。


「どういう意味ですか?」


少し息をつき冷静に目の前の少年を見つめた。

短い髪の毛に中性的な顔立ち。温厚そうな顔をしていて、園児とは思えない落ち着いた雰囲気がある。しかし瞳の奥は子供らしい探究心に満ち溢れた光を放っていた。そして少年は悪意のなさそうな純粋な顔をしている。

よく見ればこの少年は園内で何回か見かけたときがある。


「それにあなたはどなた?何度か見たときはありますけど、初対面ですよね」


少年は質問に答えず不思議そうに首を傾げ、もう一度


「なんで笑わないの?」


と繰り返した。


私は周りを見渡し人がいないことを確認し、作り笑いを引っ込め少年を威嚇するように睨みつけた。



「あなたは誰?いきなり失礼じゃないかしら」


「失礼?なんで?」


「なんでって初対面の人間に対してそんか口の聞き方、ないんじゃない?あなたは私のことしってるかもしれないけど、私はあなたのこと知らないわ」


少年は少し間を空けて「宗治だよ」とつぶやいた。


「僕は宗治。神谷宗治」


にこりと笑って、少年は右手を差し出してきた。


私は少し躊躇したが、この少年が霧生家に影響する企業の御曹司かもしれない、ということを考え握手を受け入れた。


「霧生明日香です。よろしく」


少年は照れ隠しなのか「えへへ」と鼻をかきながろ笑った。


「明日香様、お迎えにあがりました」


迎えの者に呼ばれた瞬間、私は反射的に少年の手を離した。少年は一瞬目を開き、少し微妙な表情をしたが、すぐにさっきまでの笑顔に変わり


「じゃあ、また明日」


と言って、その場から立ち去ってしまった。


「変なの」


ポツリと私はつぶやいた。






「ねえ、ママ」


「なあに?明日香ちゃん」


「神谷宗治っていう子を知ってる?」


ママは手に持っていたスプーンを手から離し、大きく目を見開いた


「あらら!明日香ちゃんついに…」


そう言ってママは一人納得したように頷き、もう一度スプーンを手に取った。

今日は珍しくママが家にいるので二人で夕食をとっていた。

ママはさっきまで仕事で疲れていたようだったが途端に興奮した表情になり、いきいきし始めた。そして


「そうよね。子供子供と思ってたけど、もう5歳だものね。でもまだ5歳よ。いや、でも私も明日香ちゃんぐらいのときは、それにあの人と出会ったのもたしか…」


とぶつぶつ呟きはじめた。


「ママ?」


「あら、ごめんなさい。私ったらつい感慨に耽ってしまって。えっと神谷宗治くん?その子ならよく知ってるわよ」


「本当?」


「ええ。宗治くんのご両親とは昔からの顔馴染みでね。明日香ちゃんも赤ちゃんのとき何回かあってるわよ」


と言われても私にはまったく覚えがないので


「ご両親はなにをしているの?」


と私が一番気になることを尋ねた


「宗治くんのご両親はどちらとも研究者よ。人体の研究や薬の開発を主にしているわ。ウチの会社でも宗治くんのご両親が開発した新しい花粉症抑制のお薬を商品化させてもらってるの」


「へえ、そうなの」


話しを聞きながら神谷宗治の私の中での重要度ランキングがどんどん下がってきた。

ようはただのママの友達の息子だってだけだ。それにそのご両親も実績がいくらか優れているようだが、地位や名誉がそれだけあるようには思えない。


「他に何か聞きたいことは?」


ニヤニヤしながら尋ねるママに


「いや大丈夫。ありがとうママ」


と素っ気なく答え、再び食事を再開した。


(なんだ。いきなりふてぶてしく話してくるからどっかの企業の御曹司かと思ったのに)


私が通っている幼稚園は芸能人や財界人の子供が多くかよっている。だから園内にいる園児に迂闊に軽口を聞こうものなら明日には親の会社が潰れているということも最悪ありえる。なのであまり地位や名誉がない両親の子供たちは園内ではあまり自分から話さないし、口ごたえもしない。おそらくそういうふうに親に教育されているのだろう。小さい園内でも社会の縮図のような縦社会ができ上がっているのだ。


(それじゃあ、あいつから得るものはなにもないわね)


常に損得を計算する私にとって、宗治と親交を深めることはまったく無駄だという結論に達した。

正直ホッとした。

あいつは危険だと本能が呼びかけている。だってあいつは…


「ねえ、ママ」


「ん?今度はなに」


やや躊躇して


「私、笑ってるように見える?」


にこりと笑ってママに尋ねた。


「なに言ってるの。天使のような笑顔よ」


ホッ、よかった。

私は静かに胸をなでおろした。

そうよ。バレるわけないわ。私の笑顔は完璧だもの。本物を超えた美しい笑顔のはずよ。あんなお子様なんかに。

そんなことを考えているとなにを勘違いしたのかママが


「その調子で宗治くんのハートも奪っちゃいなさい」


と焚き付けるようなことを言った。

私はなにも言わず笑みを浮かべたが、さすがにこの笑いは上手く笑えた自信がない。



次の日、幼稚園につきクラスに入るとすでに宗治が教室で待ち構えていた。


「明日香ちゃんおはよう」


相変わらず引き込まれるような笑顔だが、私はあくまで業務的に素っ気なく


「おはようございます」


と言って、自分の席に向かった。しかし宗治はめげずについてきて、ニコニコと笑っている。

席に座り、無視を決め込もうと思ったがしばらくして


「なにか用?」


と、耐えきれず尋ねてしまった。


「うんとね。明日香ちゃん今日暇?」


「なんで?」


「今日幼稚園が終わったら遊ぼう」


「いやよ」


「なんで」


「今日は忙しいの。習い事だってあるし、今日は母の客人と夕食の予定も入ってるの。だからダメ」


「じゃあ明日は?」


「明日も明後日もだめ。私に遊ぶ暇なんてないの」


「ふーん、そうか。じゃあ遊べるときがきたら言ってよ。僕待ってるから」


「だから遊ぶ時間なんてないの」


ムッとなり、きつめに言ったが宗治は気にした様子もなく


「約束だよ」


と微笑んで教室からでていってしまった。

(一生待ってろ!)

心の中で毒づきながら私は深いため息をはいた。すると前の席の女の子が心配そうな顔で


「どうかしたの?霧生さん」


と尋ねてきた。私はすぐさま笑顔を貼りつけ


「なんでもないわよ。少し疲れただけ」


と私のなかでのベストな答えをした。


「でもさっき、神谷くんと揉めてたみたいだけど」


「あら、あなた神谷くんのことご存知なの?」


「うん。ていうかこの幼稚園で神谷くんのこと知らない人のほうが少ないと思うよ」


「え、あの子ってそんな有名なの?」


「有名っていうかただ友達が多いのよ。いつも笑顔だし、差別もしないし。神谷くんのこと悪くいう人はいないはずだけど」


そこで女の子がチラッと私をみた。


「ああ、別にケンカしてわけじゃないわよ。ただ少し話しがこじれただけ」


「ふーん。そうか」


女の子は納得して頷き、前を向いた。

私は誰にも気付かれないように軽く舌打ちした。

本当にめんどくさいやつね神谷宗治。



そして幼稚園が終わり、夜7時。今日はママの知り合いが家族で夕食を食べにきた。

私は先週買ってもらった、黄色いワンピースを着て出迎えた。


「本当に明日香ちゃん大きくなったね」


「本当ときがたつのは早いですね。私たちが最後にあった時はまだ話してもなかったのに、こんな立派なお嬢さんになって」


「ありがとうございます。えっと…神谷くんのお父様、お母様」


苦虫を噛むように私は答えた。

私の向かい側では、そんな私の気持ちも知らず、宗治は上手くナイフとフォークを使い、黙々と食事をすすめている。

最初からおかしいと思ったのだ。ママが急に客を家にもてなすなんて。ママは基本人見知りだし、あまり家に他人を呼びたがらない。なので今日くる客人はさぞ重要な人物と思ったのに結果はこれである。


「どうしたの明日香ちゃん?あまり料理が減ってないみたいだけど」


ママが尋ねてきたが私は静かに首を左右に振り、ママを軽くにらめつけた。

まったくなんてことしてくれたんだ。

ママはそのサインを完璧に間違った解釈で受け取り、グーサインをした後、わざとらしく咳こみ


「そういえば、明日香ちゃんと宗治くんは同じ幼稚園なのよね?」


と宗治に話しをふった。

ママ、たのむからやめて。

宗治はナイフとフォークを一度置き


「はい、そうです」


と答えた。でもその答えかたが私の知っている宗治らしくなくて、少し違和感を覚えた。


「うちの明日香は幼稚園ではどういう感じなの?」


「さあ。クラスが違うのでわかりません」


「あら、じゃああまり話さないの?」


「というか、話したことがありません。今日が初対面です」


は?

私は耳を疑った。

今日が初対面?なにを言ってるんだこいつ。昨日から馴れ馴れしく話しかけてきているだろうが。

しかし宗治は涼しい顔でまた食事に取りかかった。その雰囲気がまた宗治らしくなく、私は目の前の少年が本当に自分の知っている宗治なのか自信がなくなってきた。


「じゃあ親交を深めるために食後に二人で遊んだら?」


私はもう一度ママをにらめつけたが、ママは気にせず


「明日香ちゃんの部屋で」


と続けた。

ちょっとママ!なに考えてるのよ!やめてよ。そんなこと言ったらこいつが喜ぶに決まってるじゃない。だからそのグーサインやめてってば!


「いや、しかしそれはさすがに失礼ですので」


宗治のお父さんがやんわり断った。


「子供といえど女の子だし、初対面の人を自分の部屋に入れるのはいやだよね」


優しく宗治のお父さんが私に尋ねた。

おお、わかってる!この人、なかなか乙女心

をわかってるわね。顔は完璧にヤクザだけど。


「あら、そんなことありませんよ。女の子はいい男の子ならいつでも部屋にあげて大丈夫なんですよ」


私は本気でママの向こう脛を蹴り飛ばしたくなった。

先ほどから無言だった宗治だったが、いきなり


「僕、夕食を食べたらすぐに帰ります」


と大きな声で宣言した。


「どうしたの?食事が口に合わなかったかしら」


いきなりの宗治の発言にママがうろたえ気味で尋ねたが宗治は


「いえ、少し体調が悪いので」


と答えた。その答えかたが少しも体調が悪くないのを物語っているようで私はだんだんイライラしてきた。そして気づけば私は


「体調が悪いなら私の部屋で休んでいったら?」


と苛立ち気味に口を開いていた。

言ってしまってから、私は、何を言ってるんだろうと急激に焦った。

ママも宗治の両親も驚いた顔で私を見つめていたので余計に焦り恥ずかしくなった。しかしそんな中で宗治だけが冷静で


「いえ、結構です。すぐに帰ります」


と言い放った。その憮然とした断りかたが私の神経を逆なでし、羞恥心よりも怒りのほうが勝ってしまった。


「休んでいきなさい。急いで帰る予定もないでしょう」


「いいえ、結構です。これ以上迷惑をかけるつもりもありません」


「ちょっと、あんたいい加減に…」


怒りのあまり言葉が乱れかけると


「宗治」


と、先ほどまで黙っていた宗治の母親が口を開いた。


「いいかげんにしなさい。明日香ちゃんの好意をこれ以上無駄にするのはやめなさい」


綺麗な顔を少し歪めながら、宗治の母親は言った。


「しかし」


「それに」


宗治の声を母親の声が遮り


「それにこれ以上女の子に恥をかかせるつもりなら、ママは一生あなたのことを軽蔑するわ」


と、笑いながら言った。

宗治の母親は笑っていたが、私が今まで見たどの怒った顔よりも怖かった。というか恐ろしかった。

宗治のママこわ!すごく美人で若いのに、半端じゃない。宗治のパパまで顔をあおくしてるじゃない。

宗治は一度口を開きかけなにか言いそうになったが、諦めたように口を閉じ、うつむき


「わかりました」


と、つぶやいた。そして私のほうに顔を向け


「よかったら部屋に案内してもらえますか」


と続けた。

私はなにも言わず頷いた。




「申し訳ありませんでした」


部屋にはいるなり、宗治はいきなり頭を下げた。


「なんで謝るの?というかなにに対して謝ってるの」


「無断で家にあがったことにたいしてです」


私はため息を吐き


「まずその口調やめてくれない。気持ち悪いから」


と辛辣に言い放った。


「ごめん」


「あと、謝るのも禁止」


「うん、わかった」


頭を上げて宗治は


「えへへ」


と笑った。


「どうせ、あんたも今日うちにくること知らなかったんでしょ?」


「うん。家に帰ったらいきなり父さんと母さんに、知り合いの家に夕食を食べに行く、って言われて、それで明日香ちゃんの家にきたってわけ」


「でしょうね。そんなことだろうと思った」


もう一度ため息を吐き、私は頭を抱えた。


「あなたが悪いわけではないわ。全部ママの暴走のせいよ」


そういうことを考えれば、宗治も被害者の一人なのかもしれない。なんだか逆に申し訳なくなってきた。かといって謝るのも変だし…しょうがない。


「あんた、明日暇なの?」


「え?」


「だから明日暇なの?どうせやることないでしょ」


「うん、まあそうだけど」


「じゃあ明日遊んであげる。あんたが遊びたいって言ってたんだから予定はあんたが考えなさい」


その途端、宗治の顔がおどろきから、歓喜の表情に素早く変わった。


「本当!本当にいいの」


「なによいやなの?」


「そんなわけないよ!やった!楽しみにしててね」


急にはしゃぎ始めた宗治に少し呆れたが、なぜか私まで楽しい気分になってきた。


…というか心臓がドキドキしてきた?

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