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お昼はいつもどおり、学園内のサロンで宗治がいれた紅茶で甘いお菓子を食べていた。
今日は先週ママの部下からもらったママレードだ。
美味しいが私には少し甘すぎる。紅茶を流しこまないと、喉につまりそうだ。
「明日香様。お昼はやはりしっかりご飯を食べたほうが」
申し訳なさそうに、宗治が小言を言う。
「うるさいわね、いいでしょ別に。太ったわけでも、虫歯になったわけでもないし」
「しかし」
「うるさい」
一喝し、ティーカップを差し出すと、宗治は持っていたティーポットを傾け、紅茶をそそいだ。今日の紅茶はアールグレイだ。
このサロンは基本、どの生徒でも入っていいことになってはいるが、代々学園の中でも名士の出身の生徒がこのサロンに出入りすることになっている。なので一般の生徒からは敬遠されがちな場所だ。
私もその伝統にならった感じになっているが、私の場合は単純にこのサロンが気にいったから出入りしている。
たぶん私の家がたいして名家じゃなくてもこのサロンに通っていたと思う。
大きなソファーもあるし、エアコンもある、ピアノもある、ちょっとした書棚もある。
一息つくには最適なところだ。
「宗治くん。私にもアールグレイ頂戴」
そう、この女さえいなければ
「やることないわよ、宗治」
「外野は黙っててくださる?」
「外野はあんたよ」
「あら、そんなことありませんわよ。ねえ宗治くん」
「それ、どういう意味よ」
「そのまんまの意味ですわよ」
私は素早く隣に立っている宗治を睨みつけ
「どういう意味よ」
と鋭く問いただした。
宗治は深いため息を吐き
「おやめください明日香様。いつものお戯れでしょう。石渡様もあまり明日香様を煽るのはやめてください」
「もう!華奈でいいって言ってるでしょ」
華奈はわざとらしく、頬を膨らました。
「キモ」
「嫌だわ〜言葉使いが悪くて。ねえ柏木?」
尋ねられた柏木は少し首をひねり、肯定とも否定とも取れる仕草をした。
華奈はいつも私が座っているソファーの近くに座り、勝手に居座り、宗治にちょっかいをだしていく。
学園内では話しかけてくるものさえいないのに、この女は…
「宗治くんも、早くうちの執事になればいいのに。最高の待遇がまってるわよ」
「執事に最高の待遇をしてどうするのよ」
「別に執事としてではなく、未来の旦那様としてきてくれてもいいわよ」
ニコニコと話す華奈に、手にもっている紅茶をぶっかけたい衝動にかられた。
すると宗治はいつもの困った笑みを浮かべ
「申し訳ございません。お断りします。」
と珍しく断言するものいいをした。
「あら、なんで?私じゃあ不満?それとも石渡家では不服?」
「いえ、そういうことではなく、自分は霧生家に一生掛けて仕えると決めているので、他の家に仕えることは絶対にありません」
「前から思っていたんですが、なんでそんなに霧生家にこだわるのかしら。少し異常ではない?それとも理由でもあるの?」
「それは」
宗治が少しいい淀んだ。
私は無意識のうちにカップを強く握っていた。
「まあ、そういう考えもありますわね。でも考えが変わったらいつでも私のところにきてくださいね」
意外にさらりと納得し、華奈は席から立ち上がり、早々にその場から去っていった。
柏木もそれにつづいていった。
「明日香様紅茶のおかわりは?」
「いらないは。少し一人にしてちょうだい」
「かしこまりました」
理由も聞かずに宗治はティーポットをテーブルに置いて、サロンから出て行った。
私はゆっくりカップから手を離すと、手汗がジトッとたまっていた。
「…きたない」
今日は天気がいいので、歩いて帰りましょう。
放課後いきなり、宗治が言い出した。
学園から屋敷まで二キロ以上ある。
そんな距離を歩くわけないじゃない!
「ほら明日香様みてください。珍しい花がありますよ」
無邪気に宗治が赤い花を指差した。
私はチラリと花に目をやり「そうね」と短く答えた。
結局歩いて帰ることになり、宗治は先ほどから目に映るものすべてを私に報告し、うるさい。
季節は春だがまだ少し肌寒い。一度かなり暑くなり桜も咲いたが、すぐに寒くなり桜はすべて散ってしまった。
ちょうど私達は桜の花がすべて散ってしまった公園にいる。
別に公園なんかに用はないのだが、宗治が寄っていこうと言ったのだ。
「こうやって二人で歩くのは久しぶりですね」
ようやくすべての報告が終わったのか、宗治が伸びをしながら言った。
体を伸ばすと宗治は180センチ近くある。私も165センチと女子にしては背が高いほうだが、宗治のとなりにいるとそれを感じさせない。
「それで用件は?」
「はい?」
宗治がぱちくりとこちらを見つめた。
「だから用件は?なにか用事があるから呼んだんでしょ」
「はあ、用事ですか」
公園で遊んでいる幼稚園児をみながら宗治は一度ため息を吐いた。
「明日香様はいま幸せですか?」
「…はい?」
唐突な質問に思わず聞き返してしまった。
「幸せですか?」
なおも宗治は聞いてくるので
「普通よ」
と答えた。
「それはよかったです。だけど明日香様が幸せなら私はもっと嬉しいですし、逆に明日香様が落ちこんでいると、私は悲しいです」
「なにが言いたいのよ」
「用事と聞かれたのでそう答えました」
幼稚園児から目を移し、宗治は私の目を覗き込んだ。
いつもの優しくて、大らかで、大きい目だ。
私はわずかに息を呑んだ。
「明日香様の幸せは僕の幸せです。明日香様が悲しいならば、私は明日香様が元気になられるようにしたいだけです」
「元気付けてるってわけ?」
途端に私の心はなんとも言えない黒い気持ちに覆われた。
「なによそれ馬鹿みたい」
「そうですか?」
笑って答える宗治に罵声を浴びせようと口を開いたが、宗治の声がそれを遮った。
「いいんですよ、それで。私は一生、明日香様の幸せのために生きていきます。それが私のできる明日香様への恩返しなんです」
そう言うと、宗治はこの話しは終わりとばかりに歩みを進み始めた。
私はその背中をずっと見つめていた。
本当に宗治は馬鹿だ。なにが私の幸せは自分の幸せだ。意味わかんない。他人の幸せは他人だけのものだ。それを自分の幸せにするなんてそんなのただの自己満足だ。
だけど…
だけど宗治は逆に自分の幸せが誰か他の人の幸せになると考えたことなないのかしら。
そんな馬鹿なことを考え思いっきり首を左右に振った。
なに考えてるの。私まで馬鹿みたい。きっと宗治の馬鹿が移ったんだ。間違いない。
私は助走をつけて思いっきり宗治の背中にドロップキックをくらわせた。
ドスっと鈍い音がした後
「イつ‼」
と宗治が奇声を発した。
「生意気なのよ馬鹿‼」
「ちょっと明日香様、シャレになってませんよ」
「シャレじゃあないわよ馬鹿。本気でやったんだから。これに懲りたら私に楯突くんじゃあないわよ‼」
自分で言っててもめちゃくちゃだと思う。だけど宗治は腰を痛そうに抑えつつも苦笑いを浮かべ
「そうですね」
とうなずいた。
その時、私は気づかなかった。その情景を見つめている、黒髪の少女を
「宗治…くん?」