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「だいたいデリカシーがないのよ」
パンを口に含みながら私は聞こえよがしに言った。
出来たてのパンは外はカリッとしており、中はふわふわで、ちぎると蒸気が一瞬宙に舞った。
若い執事、神谷宗治はそんな私の様子を隣でバツが悪そうに見つめている。
今の若者にしては短い髪の毛、黒い大きな瞳は今も昔も変わっていない。一時期身長は私のほうが大きかったはずなのに、生意気にいつの間にか私を見下ろすようになっていた。
「しかし、明日香様。何度かノックはしましたし、熟睡されていたようなので」
ボソボソと申し訳なさそうに、反論する。
こういうはっきりしないところも嫌いだ。
自分が悪くないと思うならもっと堂々としてればいいのに。
「そんな理由であんたは主人の部屋に勝手に忍びこむわけ?」
「忍びこむなんてそんな…」
「黙りなさい!」
一喝し、カップに入っていた紅茶を一息で煽った。
「あんたは私の友達なの?違うでしょ。あんたは私のなんなの?」
「…執事です」
うつむき、宗治はつぶやくように答えた。
「わかっているなら、分をわきまえなさい」
フキンで口元を拭い、私は席を立った。
宗治はますます落ち込み、うつむいた。
シャンとしなさいよバカ。
私は宗治を蹴り上げたい衝動をかろうじて我慢した。
「うわ、見て!」
「朝から神々しいわ」
「本当に美しいきっとビーナスの生まれ代わりだわ」
「私も生まれ変わったら、あんなふうになりたいわ。霧生様みたいに」
リムジンから降り、学園に向かって歩いていると、いつものように遠巻きから私を讃美する声がヒソヒソと聞こえた。
いつものことなので気にはしないがいくらか胸を張って歩く。その少し後ろを宗治が私に歩調をあわせてついてくる。
宗治が霧生家に仕え、私の執事になってからそのポジションは変わっていない。いまではすっかりその場所が宗治の定位置だ。
私と宗治が通っている高校は私立湊学院高校。一般の家庭の生徒もいるにはいるが、この学園には基本的に名家、ある程度知名度がある一族の生徒が通う。
「ああ、美しいわ。それに見て後ろの神谷様」
途端に私の耳が膨らんだ。
「去年S級執事検定に合格なさって、一層気品があふれでているようですわ」
「それにみんなに平等で優しく」
「聡明で運動も抜群」
「そしてなにより中性的で美しいお顔」
「少しでいいからお近づきになりたいわ」
思わず立ち止まり、声のするほうを睨みつけた。しかし人だかりが多くて誰が言っていたのかわからない。
「いかがなさいました?」
突然立ち止まった私に不思議そうに宗治が尋ねてきた。
「別に。ただ、周りの不躾な視線が不愉快なだけよ」
「ああ、そういうことですか」
宗治はちらりと、私達を取り巻く人だかりに目をやり、首を左右に振った。
「仕方ないことです。皆様はお嬢様の一挙一投足に興味がおありなのでしょう。この学園に通う皆様はどなたも名家の生まれですが、霧生家はどの名家にも負けないぐらいの名家ですから」
「くだらない」
ぼそりとつぶやくと、宗治は困ったように苦笑いを浮かべた。
教室につくと、すでに大半の生徒が教室に揃っていた。
私が教室に入ると一瞬水を打ったように静まったが、すぐさまもとの騒がしい教室に戻る。
毎朝毎朝、一瞬静かになるのをやめなさいよ。
誰に言う訳でもなく、私は心の中でつぶやいた。
「明日香さん、おはよう」
席に着き、バッグを降ろすと同時に、隣りの席から石渡華奈、が無邪気な笑顔で手を振ってきた。
栗色の髪の毛に人懐こそうな猫目、本人は気にしているが、女子にしては大きな身長。モデルのように長い手足、すべてが合間って石渡華奈はモテる。
モテモテだ。実際高校に入学してから十回は告白されている。
ちなみに私はゼロだ。恋文らしきものは何通かもらったことがあるが、気持ち悪いのでいつもすぐに捨てている。
「朝から不機嫌ね」
私の表情を見ただけで華奈は私の心を読みとった。
「別に、いつもどおりよ」
「ああ、そうね」
おかしそうにクスっと華奈が笑い、そして私の耳元で小さく囁きだした。
「いつもどおり、朝少し早く起きて、髪の毛をセットして寝てるフリして、宗治君に可愛い寝顔見せて、だけど宗治君はいつもどおりただ起こすだけで、学校についたらついたで宗治君を狙う輩がいっぱいいて、それにヤキモキして。本当にいつもどおり残念な朝ね」
素早く華奈に向かって肘を振り抜いた。
しかしさっきまであった、華奈の顔はなく、私の肘は宙をまった。
華奈は私から離れ「あら、やだ」とわざとらしく、驚いた顔をしている。
「殺すわよ」
「野蛮ね。いやだわ本当」
おほほ、と華奈が一昔前の貴婦人みたいな笑いかたをする。
よろしい戦争だ。
「ちょっとなにしてるんですか、お嬢様!」
「止めるんじゃあないわよバカ宗治。こいつは明日の日本のために今殺すわ」
「なに物騒なことを言ってるんですか」
宗治が素早く私の後ろをとり、私の両手を押さえこんだ。さすが日頃訓練してるだけあって握力は強い。
「なにしてんのよ、バカ!その技をかける相手は私じゃなくて、あっちでしょ!主人に技極めてどうするのよ」
「勘弁してください。石渡家と問題を起こしたらどうなるか、お嬢様もご存知でしょう」
耳元で宗治が囁いた。
確かに石渡家は戦後から外国との貿易で一旗挙げた名家だ。霧生家ほどではないにしろ、知名度は高い。しかし
「そんなの関係ない。すぐにこの手を離しなさい。宗治」
命令するとすぐさま宗治の手は私から離れた。
執事であるということは主人に絶対服従。
幼いころからそう教え込まれた宗治は、命令には絶対従う。
例えそれがどんな理不尽なことでも。
「さあ、遺言はいいのかしらビッチさん」
「汚い言葉。霧生家では礼儀も教育してないのかしら。ねえ柏木?」
柏木と呼ばれた長身のスーツの男は華奈をジロっ見たあと、「もう、おやめください。どう見てもお嬢様がわるいです」と低い声をだした。
華奈はその言葉に怒った様子もなく、フンっと鼻を鳴らし、教室から去っていた。柏木もそれに続き教室から出て行ったが、出る前にこっちにむけて、申し訳ない、とばかりに軽く頭を下げた。
私は収まりがつかない怒りを持て余し、キッと宗治を睨みつけると、宗治はまたしても困ったような苦笑いを浮かべた。
なんなのよもう‼