自己中心的な感情
「ねぇねぇ」
廊下で男の子は何かを訊く素振りで女の子の前に周り込み引き止めた。
女の子はぴたっと足を止めた。困った表情で男の子を見つめて、
「次、移動教室だから……」
自信無さげに答えて両手で教科書類を抱きかかえて頭を下げながら過ぎ去ろうとした。その時、叩き付けられた様な騒々しい音が響き渡った。すると、廊下に居た生徒の目が何事かと自然と音がする方へ引きつかれる。
そこには散らかった教科書類、倒れた女の子。膝、腕には摩擦で擦りむいた跡。その隣には意地悪く笑った男の子が立っていた。足をわざと引っ掛けたのだ。
急に無表情に成り始める男の子。
「あー……。大丈夫?保健室連れて行こうか?」
意地悪なにやけ顔で手を差し伸べる。女の子は怯えながらすぐ目を逸らし、教科書を集める。周りはジロジロこっちを見ながら何やらひそひそと話をしていた。少女は即座に立ち上がり足を若干引きつりながら小走りする。
「ねーねー。待ってよー。僕怒っちゃうよー?」
それでも女の子は小走りで逃げる。少し、疲れと恐怖で声が漏れていた。男の子は女の子の肩に手を伸ばし、こっちに向かせる。少女はか弱い力で思い切り抵抗生憎少女の手には教科書。そのせいで、突き飛ばすことも出来ない。女の子の目が焦りに焦って目が泳ぐ。
「き、嫌い!嫌い!!」
絞り出した掠れた小さな声は男の子の耳に届く。
「ふふー」
男の子は一瞬女の子に体重をかけて体をくの字にし踵立ち上目遣いで笑ってみせた。
移動教室の時にしか使わなく、授業が始まり時間が近くその女の子以外の生徒は移動しきっていて誰も居ない廊下。ただただ目の前に居る何の変哲もない男の子への恐怖で女の子の心は占領していた。
「さっきはキミが話訊いてくれなかったもん。そりゃ何とかして引き止めたくなるよね?」
女の子は男の子の名札を見るなり、
「せ、先生に言いつけるから」
「言いつけてみれば?」
軽い淡々とした表情で言葉を返された女の子はもう、何も返し様が無かった。青空の窓から吹き込む風が男の子のカール掛かった癖っ毛と同様女の子のストレートで肩まで伸びた髪を揺らす。
「問題!僕はだーれだ!」
「……何を言っているの」
男の子の訳のわからない質問で女の子はより一層警戒する。
そのなんとも言えない表情に男の子は女の子の肩から手を話すと、
「ボクの名前はこはくって言うんだ。キミとお友達に成りたく引き止めたんだ」
突然言われた言葉に少女は何も言えなかった。この男の子、こはくはいじめっ子リーダーでもありクラスの学級委員でもある。だから女の子は正直友達には成りたくなかった。しかし逆らえばいじめられる。だから皆いわく、こはくの言う言葉は絶対なのだ。
でも、気になる点があった。それは何故そんな男の子に絡まれるか、だ。女の子は地味で目立った行為も何一つしていない。周りに酷い陰口を言われている訳でもないはずなのに。しかも、先程足を引っ掛け怪我をさせたというのに友達に成りたいとは身勝手すぎるのだ。
女の子は勿論全てを理解し首を振った。こはくは少し顔を歪めた。
「どうして?ボクがそんなに嫌いなの?ボクと居れば周りは思い通りに動かせるのに?」
そうゆう処が嫌いだと言ってやりたい。と女の子は思った。
「そっちのクラスは退屈だよね。あんな学級委員の何処がいいの?圧倒的に違う人が成った方が良かったんじゃないの?中学校上がる前にあの学級委員は潰しときたいな。不快だ。いじめはやめろとか言うけどさ、結局はいじめは正義にまわるんだよ。というか最近のいじめはただの弱い者いじめだよね?ボクは強い者いじめが好きなんだ。ちょっと強気で、思いやりがあって、皆に慕われる様な奴がいいな。それがまさに、そっちのクラスの学級委員なんだよね~。」
そんな話しを淡々と語るこはく。女の子はドン引きという感じだ。
こんな奴だからこそ男子に憧れを持たせるのだろう。普通に見ればちょっとおっとりして密かにモテそうなのに……と思う人も居るだろう。だが、そんなイメージを壊す様に、こはくは腹黒く凶悪。女子からの一言コメント「サイテー」の文字。先生の前では基本大人しいが、生徒に理不尽な説教をしている時に反抗をしたりして先生や周りから見ればとても取り扱いが難しい人なのだ。
「いじめはいじめよ。どうせ、ちとせ君に し、嫉妬しているから、不快なんでしょ。私はそんなアナタが不快だわ……」
膝は少し震え、声も軽くたわんでいた。ちとせはこの女の子のクラスの学級委員男子。
性格はこはくと全くの正反対。人を軽蔑せず、ちゃんといい処を探してはその人への心ある対応をする。ザッと言ってしまえば、明るくサッパリしている。それに比べこはくは、悪質で、じっとりしている。
「ちとせの本心実はドロドロしているかもよ?猫被ってる奴は嫌いでね」
「問題なのは上っ面よ!アナタの様に上っ面でヤンキー気取ってるよりはマシよ」
「可哀想に。ボクは別にヤンキーなんて気取ってないよ。じゃあー分かった!キミの言ういじめをやめればお友達に成ってくれるね?ねーねーいいでしょー?ゆきの。」
ちょっとねだるようにこはくが女の子の名前まで付け足す。
「……」
「やっぱりゆきのは名前と同じで冷たいんだね。ねぇ?ゆきの。」
しばらく女の子は黙りこむ。他人に自分の名前を呼ばれた事がなかった。いつも苗字ばかりで同じ苗字の子がいても名前で呼んでくれる人が居なかった。だが、しかし嫌いな人に自分の名前を呼ばれた事によりゆきののプライドが傷んだ。
「やめて」
それだけを言うとこはくの横を通過していく。こはくはそれを止めず、振り返らずほっぺたを膨らませた。
ゆきのが音楽室から帰る時、周りは少し慌ただしかった。
どうやら話によると、クラスのほとんどの子の物が無くなっているらしい。
「本が無い」とか「犯人は誰だ」だとか周りが騒ぐ。
そんな中落ち着いて席に座り肘を就いているちとせの姿が見られた。何か考え込んでいる様子でもない。ゆきのがそれを直視していると、ちとせが視線に気付く。
目が合ってゆきのがびくっとするがそのままちとせの方へ行く。
「どうしたの?」
心配そうにゆきのは問いかける、すると肘を就くのをやめスッと体勢を真っ直ぐに立て直すと
「どうしようかなーと思ってさ。だーれも俺の話しを聞きやしない。」
そう心にも無さそうな台詞を吐きながら後頭部を掻く。ゆきのは当たりを見回すと少し考え込んだ。その時、不謹慎にもこはくが頭の中に浮かんだ。それを思い切りかき消し、質問を投げかけた。
「何て声をかけたの?」
「落ち着いてとか、クラスの子をあまり疑わないで、とか……。」
「皆の反応は?」
「じゃあ、誰が盗んだんだって言われた。争いは出来るだけ避けたい。皆が音楽室に行っていた時にやられたみたいで当然窓は教室出る前に全部閉めたし部外者が侵入したとか、他クラスの子がやったとか考えられないんだ。
だから皆を説得なんて出来やしない。」
とりあえずちとせは誰も疑いたくは無い雰囲気だ。ゆきのは何か違和感を感じた。
後ろを振り向くとちらほらとゆきのの方を向いているクラスメイトが居るのだ。
ゆきのが一番最後に音楽室に入ったのをほとんどの子が知っている。誰もがゆきのを疑い始めた事に気づき始める。その内クラスのお調子者が大声で言い始める。
「さとうってー音楽室に入るの一番最後だったよなー?犯人見ただろ。絶対。てか見てないなら犯人お前だから言えないんじゃねぇの?」
指を指しながら語り継ぐ真実と偽り。少し静まりかえった教室。ガタっと椅子から立つ音と同時に
「やめろよ!そうやって人を疑うのは!」
ちとせがゆきのをかばう。そうするとお調子者がニヤリとすると
「ちとせがー?学級委員と言う名を立てにぃ?彼女をかーばいましたぁぁ!」
と、叫ぶ。クラスがざわめく。それを聞きつけて隣のクラスの子もちらほら覗きにくる。四方八方から「ヒューヒュー」「お似合い!」だとか、冷やかした言葉が投げかけられたり「グル間違え無し」などかきわければ炭酸水の様に湧き立ってくる。騒ぎに先生が駆けつけると、ピタッとそのノイズは消えて先生の方へ集まっていきこれまでの事を訴えつける。
「ちとせ、さとう。ちょっと職員室に来なさい。」
先生の凍りつく様な声で二人は職員室へ招かれた。
廊下では皆の注目の的。職員室へ入って先生の椅子の前に立たされた。
「何故、あんなことをしたのですか」
「やってません」
「私も盗んで無いです」
先生は二人が”盗んだ”と勝手に決めつけている。
「盗んだと素直に言いなさい」
と、二人に理不尽な事を押し付ける。すると、ゆきのに掴みかかる。
「あなたはねぇ!!言い逃れ出来ないでしょう!忘れたんですか?今週の目標、五分 前 着 席!」
凄い強弱を言葉につける。ゆきのが席に着いたのはチャイムギリギリ。それは誰もが知っている。
「先生、無理維持は駄目です!」
ちとせが入る。先生の目がキッと向く。
「あなたは何々です?学級員なのにクラスの子に疑われるなんて、どれだけ信頼がないんです?失格ですよねぇ?!」
すると、先生の肩にぽんっと手を置かれた。その手は、こはくの手だった。
「先生~。ゆきのちゃんは廊下で転んでしまって保健室へ行けないほど痛かったらしいので痛みが治まるまで一緒に居ました。ちなみに移動教室のみ使う廊下です。
後、ちとせ君は一番に音楽室へ行ったので盗みは不可能と思いますよ?ボクずっっと廊下に居たので間違えは無いです」
こはくがアリバイを淡々と重ねると、先生はゆきのから突き飛ばす様に手を話すと
「あら、そうなの!有難うねこはく君」
先生は上機嫌でさっきとは別人な喋りっぷり。二人に振り返るとニコニコしながら
「さ、こはく君にお礼しなさい」
ゆきのとちとせは頭を下げるだけ。
「お礼の言葉も言えないの?!!」
「有難うございます」
二人は声を重ねて言った。
「失礼しました」と3人は職員室から出る。
「何でお前が職員室に居るんだ。」
機嫌が悪そうにちとせはこはくに尋ねる。
「えぇ?これでもボクは学級をまとめるリーダーだよ?皆の提出物を届けてたのさ。」
茶化す様にちとせより少し先を歩く。
「まさか、お前が仕掛けたんじゃ無いだろうな?」
ゆきのが考えてた事と同じ事をちとせが口に出す。先程の断言からこはくが直接手を加えてないことは十分承知な上で尋ねる。ちとせが疑う程こはくはブラックなのだろう。
「違うよ。ボク犯人知ってるもん」
くるっと一回廻ると人差し指を一本立てて微笑む。
「誰だよ」
頭の中ではわかりきっている事なのだろう、ちとせはなんとなくで訊き返す。
「幽霊」
こはくが軽く言ってみせる。こいつに訊いた俺が馬鹿だったという雰囲気なちとせ。ゆきのは少し、ムっとした。喉に突っ込んだ炭酸水の痛さに耐えた後のふざけたアンサーというのはこれ程腹を立てるものだと学習した。
そんな会話をしているときゃーと騒ぐ女子の声があちらこちらから聴こえてきた。
ちとせとゆきのが何事だと思っているとこはくは
「ほーら。噂をすればーっていうあれじゃないかな?」
と、言うといきなり学校の窓の空が急速に暗くなって月とキラキラと美味しそうな白いこんぺいとうの様な星が浮かぶ。気づけば騒ぐ声も消えている。空気も少し冷え込みゆきのが身震いをする。こはくはすたすた歩いて行く。二人は後を追う。
すると、階段の前で止まった。
「ねぇ、見てよ。この階段」
笑いをこらえながらこはくは階段の上へ指を指した。そちらへ目を向けると明らかに不自然な点が出てくる。月明かりで階段は綺麗に照らされている。しかしながら今自分達が居る場所で踊り場がみえるはずなのだが、いくら目を凝らしても一向に見えない。ゆきのは理解ができていないようで首を傾げている。
「またまたボクからの問題ね!この階段はなんと!無限階段でーす!でも、いい子には無限だけど悪い子には優しいたったの30段!さあ、渡ってみる?」
こはくからのクイズ。
「いや、俺前に問題受けてねぇし。他の道探……あ」
そう言いながら振り返ろうとしたちとせは一瞬硬直する。そう、廊下の床がボロボロになっており、どこまで続いているかわからない穴が大きく空いて取り囲まれていた。床があるのは三人が乗っている場所のみであった。こはくがどんどん階段に足を踏み入れていく。
「ボクが何故今まで恐喝やいじめを行なっていたのか総ては意味があっての事。で、今日からそれらをやる必要も無くなったからあんな事言ったんだよね。さあ、ゆきのもおいで、大丈夫。ゆきのは悪い子だ。ボクは何でも知ってる。先生の罪、親の罪、他人の罪、いじめ友達の罪、心が綺麗にみえる優等生の罪、普段は大人しく地味な子の罪。全部ボクは知っているよ。」
優しげなこはくの声。顔は良く見えない。ゆきのの頭や体は感覚を失って階段一段に足を踏み入れた。ちとせはある違和感に気付いた。
「行くな!!さとう!」
ゆきのの手を掴もうとしたちとせの手は空をかいた。こはくがゆきのの手を思い切り引いたのだ。ゆきのは手を引かれて走る。ちとせは追いかけるべく階段に足を踏み入れた。
「わーるい子。悪い子。キミは元から?最初から?」
こはくの声。階段を登る足音が二つしか聴こえないなんてことはちとせは気づいていないだろう。階段を登って行く度にキラキラとやかましい音と共に小さな蛍光粒もたくさん落ちてきた。偶然ちとせの口に入った。甘い。まるで砂糖が溶けていくように。階段を登り終えるとはしごが有った。ゆきのの姿は無かった。はしごも登り終えると、そこは船の上だった。ボロボロの、木で出来ている。歩く度に木と木が擦れ合って音を立てる。前を見るとそこにはゆきのが居た。
「あーれれ」
声が聞こえる方を向くと舵に凭れ掛かっているこはくの姿。
「着いてきたの?あはは。キミも堕ちるよ?」
轟音と共に船が揺れた。咄嗟に意識を取り戻したゆきのはバランスを崩した。
近くの柱に掴まり、ちとせは床に伏せた。揺れが収まり周りを見渡すと、空が流れている。そう、船が浮いているのだ。
「ボクはこの幽霊船の船長さ」
こはくは片手で舵を取りながらちとせへ向いて話す。ゆきのがすごく震えていてその場で崩れてしまった。
「大丈夫か!さとう!」
ちとせはゆきのの方へ駆け寄ろうとする、が、何かがちとせの足を固定する。そちらへ目に向けると、ちとせはおどおどしい声をあげた。足に骸骨がしがみついている。
「近づかないでよ」
こはくが言う。
「ねぇまだ気づかないの?ゆきの。」
ゆきのの方へこはくが歩く。何故か床が音を立てる事は無かった。
しゃがんで顔を覗きこむ。ゆきのは泣き出す。
「ねぇ、何で気づいてくれないの?」
ちとせは骸骨を振り払おうと必死だが、こはくの声に耳は傾けている。
「あっちいっってぇぇぇぇええ!!」
ゆきのの絶叫にこはくはびくっと肩を震わす。
「ねえぇ、どうして気付いてくれないの?ボクだよ……ゆきのお姉ちゃん……」
それを聞いてゆきのはこはくの方を向く。
「どうしてボクだけ置いて行ってたの?どうしてお姉ちゃんは一人っ子なの?何でボクが居ないことになってるの?どうしてどうして?」
何も言えないでいたゆきのに対しこはくはこうも言う
「だから、ボク、迎えに来たんだよ?ほら、お姉ちゃん、自分の手をよく見て」
透けていた。ゆきのの手が透け始めていた。こはくの下半身が見えない。
思い切り何かがこはくに飛んで来た。さっきちとせにくっついていた骸骨であった。
「ゆきの!」
ちとせは思い切り名前を叫びゆきのの手を引っ張って船から飛び降りた。
船から身を乗り出し手を思い切り伸ばす。こはくは最後に叫ぶ。
「お姉ちゃん__!」
大粒の涙が墜ちた二人へ届く訳も無く、儚い弟の夢は消えた。
二人は起きると教室に居た。朝の教室。
黒板を見ると日付は変わっていなく、時間だけが巻き戻っている。急いで隣のクラスの名簿を確認するも、あの意地悪で可哀想な男子の名前は載っていなかった。
ちとせがゆきのに話を訊いたところ、実は最初ゆきのはお腹の中では双子だったらしい。だが、ある日突然一人消えてしまったという。そのまま何事も無かったかのようにゆきのだけが産まれて来たのだと親が言っていたのだという。
「これは、俺の推測だが__ 」
ちとせは名簿をしまいながら言う
「あいつは幽霊だから姿を消したり、神隠しのように何かを隠したりするのは容易だったんじゃないか?で、ゆきのと何か交わりが出来るように今日の移動教室から意図を引いていたのかもしれないな」
申し訳なさそうに俯くゆきの。
「まぁ、自分を責めるなよ。もしあのまま乗ってたら俺達__」
「いいえ、男の子だったんだなーって思ったの。性別は聞かされていないから。今思えばちょっと憧れていたのかなって。」
辺りはしーんとしていて、違うクラス独特な匂いと 閉めきった窓に光が差し込んでいた。
「辛くなったら教えてね。いつか、きっと迎えに行くからね」
そんな声が、ゆきのに聴こえた気がした。