第1話:黄金の始まり
第1話:黄金の始まり
[SYSTEM LOG: Phase 12 - Makoto]
Subject Motivation: "Desire to protect a crying girl" - Validated.
Purity Core Index: 100% (No pollution detected).
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――その日、世界は終焉に向かうはずだった。
夕方の四時。西日がアスファルトをじりじりと焼き、安物のスニーカーの底を通じて足の裏に熱が伝わってくる。
自動販売機の手前で立ち止まり、百円玉を三枚、硬貨投入口に滑り込ませた。がたんと音を立てて落ちてきたアルミ缶を拾い上げる。プルタブを引くと、炭酸の抜ける短い音がして、人工的なレモンの香りが鼻腔をくすぐった。
冷たい液体が喉を通り過ぎる。その直後だった。
空気を裂くような重低音が、統制都市の外縁部から響いた。
サイレンではない。もっと低く、肉厚な何かが地面を激しく叩く音だ。間を置かず、遠くの交差点から甲高い悲鳴が波のように押し寄せてきた。
「おい、見ろ、壁の向こうから――」
誰かの声が途切れる。
群衆が一斉に同じ方向へ走り出し、突き飛ばされた。手からこぼれ落ちたアルミ缶が乾いた音を立てて転がり、濁った液体が路面に広がっていく。
誠は流れに逆らうように、数歩だけ前に進んだ。
立ち上る白煙の向こうから、それは現れた。
おぞましい肉の塊だった。体躯は三メートルを超え、粘着質な表皮が夕日に濡れて赤黒く光っている。複数の節足がアスファルトを削り、頭部と思われる位置にある無数の隙間から、粘ついた呼気が漏れていた。
「あ――」
悲鳴の渦の中、その足元でうずくまっている影があった。
白い制服の少女だった。
ほどけた髪が顔にかかり、表情は見えない。ただ、細い肩が激しく上下している。彼女のすぐ目の前で、怪物の鋭利な足先がゆっくりと持ち上げられた。影が少女を完全に覆い隠す。
誠の思考が止まった。
心臓が鼓膜の裏側で、不快なほど大きな音を立てて跳ねた。
胃の奥からせり上がる熱いものを無視して、地面を蹴っていた。
「危ない!」
叫び声は、自分のものとは思えないほどかすれていた。
少女の腕を掴み、強引にその場から引き剥がす。背後で、肉塊の足先が地面を砕く凄まじい衝撃音が響いた。巻き上がった砂礫が、誠の頬を鋭くかすめていく。
二人は歩道へ転がり込んだ。
「……っ、大丈夫、か」
誠は呼吸を整えようとしたが、喉が焼けるように熱くてうまく息が吸えない。腕の中で、少女が小さく身を縮めていた。歳の頃は自分と同じくらいに見える。見開かれた大きな瞳から、涙がひとすじ、白い頬を伝ってこぼれ落ちた。
その涙が、西日に照らされて一瞬だけきらりと光る。
怪物がゆっくりと首を巡らせた。
無数の隙間が、じりじりと音を立てて誠たちに焦点を合わせる。逃げ道はない。背後は防護壁の冷たいコンクリートだ。
怪物の口蓋が大きく開き、強烈な腐臭が風に乗って漂ってきた。
爪が手のひらに食い込む。膝の震えが止まらない。
少女が誠のシャツの裾を、白くなるほど強く握りしめた。
守らなければならない。
この、泣いている女の子を、絶対に死なせてはいけない。
その無垢な衝動が脳幹を突き刺した瞬間、誠の目の奥に、焼き付くような強烈な痛みが走った。
「――が、あっ!?」
視界が明滅する。頭蓋骨の内側を直接火をつけられたような激痛に、思わず額を押さえた。
だが、痛みは一瞬で消え去った。
代わりに、視界のすべてが変貌していた。
世界が、鮮やかな金色に染まっている。
灰色だったアスファルトも、濁った夕暮れの空も、すべてが圧倒的な光の粒子に書き換えられていた。網膜の隅に、細かな数値や文字列らしき幾何学的な紋様が高速で流れていく。
そして、眼前の怪物の首筋に向かって、一本の、太く眩しい「金色の光の線」がまっすぐに伸びていた。
頭痛の残滓とともに、奇妙な全能感が全身の筋肉を満たしていく。
誠の視線は、路上に転がっていた鉄筋の破片に吸い付けられた。
体が勝手に動いた。
鉄筋を掴み、立ち上がる。その動作に、一切の迷いはなかった。
怪物が咆哮をあげて突進してくる。
しかし、誠の眼には、その動きがひどく緩慢なものに映っていた。金色の世界の中で、怪物のすべての挙動が予測可能な「軌道」として先んじて描かれている。
一歩。
二歩。
金色の光の線に、自らの身体を重ね合わせる。
誠の身体が、爆発的な速度で路面を滑った。
すれ違いざま、手にした鉄筋を、光の線が指示する怪物の急所へと正確に突き立てる。
硬い肉を貫く確かな手応え。
直後、肉塊の巨体が、内側から弾けるようにして崩れ落ちた。飛び散った黒い液体のエフェクトが、金色の視界の中で静かに霧散していく。
静寂が戻ってきた。
ハァ、ハァ、と、自分の荒い呼吸の音だけが周囲に響く。
誠の手から鉄筋が転がり落ちた。カラン、と高い音が響くと同時に、網膜を覆っていた金色の光が、潮が引くように消えていく。世界は、元の薄暗い夕暮れの色に戻っていた。
自分の両手を見る。少しだけ、指先が震えていた。
ゆっくりと振り返る。
歩道の隅で、少女がまだ座り込んでいた。
彼女は、血の気の引いた顔で、誠のことをじっと見つめている。その瞳には、怪物を倒したことへの驚きと、それ以上の、何か深い色が含まれているように見えた。
誠は膝をつき、少女の目線に高さを合わせた。
無理に作ったぎこちない笑顔を浮かべ、自分の胸に手を当てる。
「…誠です……天道…誠…」
少女は瞬きをひとつした。目元に残った涙が、夕日の赤を吸って小さく揺れる。
彼女はゆっくりと唇を動かした。
「まこと……」
その声は、驚くほど澄んでいて、どこか酷く物憂げだった。
リナと、彼女は自分の名前を小さく名乗る。
彼女が差し出してきた細い手の手のひらは、驚くほど冷たかった。
誠はその手を、壊れ物を扱うように、そっと握り返した。
この手の冷たさを早く消してあげたいと、ただそれだけを思った。
【進捗率:1.3%】
【次回:プロヴィデンスの光】




