氷の天使
月が雲に覆われる。
頼むから、そのままずっと隠れていてくれと願った。
足が痛む。息が上がる。肺が苦しい。
口から漏れる小刻みな吐息は、肺を徐々に捻っていく。
視線を右足の太腿に移す。刃の残っていない刺し傷から、血が溢れている。認識した瞬間、足に力が入らなくなってしまう。
壁に手を付いて息を整える。
まだ追い付かれていない。大丈夫。大丈夫だ。
「良い夜ね」
前方から声がする。顔を上げると、女が一人、立っていた。
「あなたには勿体無いくらい」
月が雲から顔を出す。照らされた女の顔を見た瞬間、心臓が大暴れする。
短めの黒い髪、白い肌、赤い瞳。
先ほど護衛の兵士四人を瞬時に刺し殺し、自分の太腿を刺した女だった。
「汗の匂いが強くなった。安心していたのに、焦ってる」
女はゆっくり近付いてくる。
「焦るってことは、まだ助かる可能性があると思っているの?」
飛び跳ねるように背を向けた瞬間、背中に激痛が走る。振り返らなくてもわかる。何かが刺さっている。
体勢を崩し、前のめりに倒れ込む。口の中を切った。
「助からないよ」
女の冷めた声で言った。
髪の毛を掴まれ頭を持ち上げられる。喉元に刃物を当てられる。体が震えているせいで細かく刃にあたり、喉がチリチリと痛かった。
「天使の加護がありますように」
口に何も流し込まれていないのに溺れてしまう。
ああ、喉を切り裂かれたのだ。息ができない。苦しい。
もう助からない。
この女に殺されたんだ。
光を失い始めた虚な瞳は最期に、女の光のない目を見つめていた。




