1. Mission 1-1
人類が宇宙に進出してから長い年月が経った。
宇宙連邦によって統一された人類は開拓団を編成し、支配惑星を増やし続けた。
そして、その中の1つにギムレーという星があった。
当初、人類は順調に開拓を続けたが、ある日他種族がこの星に来訪したことで状況は一変する。
不幸なことに両種族の言葉は通じなかったが、幸運にも互いに相手の危険性を察知することはできた。
そこで両種族は最も原始的な文化交流を開始した。
戦争である。
体型は人に似ていながらも顔の造形が豚に似ていたことから、人類は嘲りながら来訪者たちをスワインと呼んだ。
海で隔てられた5つの大陸で、人類とスワインは血で血を洗う戦いを繰り広げた。
統一暦2489年4月11日。
スワインたちとの戦争が始まってから11ヶ月が経過。
今、人類は敗北の危機に瀕している。
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「目覚めろエイナー大尉!」
低く太い男性の声を受け、円柱のガラスケースの中で立ちながら眠っていた上半身裸の男性が目を覚ます。
男性の身長は2.5メートルほどあり、筋骨隆々で体もガッシリとしていて分厚い。
黒髪で見た目は25-6歳くらいだが、その体格の良さはどう考えても普通の人間ではない。
森の奥で出逢えば熊と見間違えること間違いなかった。
エイナーと呼ばれた男性が目を見開くと、薄緑色の透明な液体とガラスケースが視界に広がる。
そして透明なガラスの向こう側から、40センチほどのクモのような生物が飛びかかってくるのに気がついた。
「フンッ!」
エイナーは躊躇うことなく右拳を怪物へと叩きつける。
分厚いガラスは音を立てて砕け、ケースを満たしていた液体がこぼれ落ち、殴られた生物は体を大きく陥没させて吹き飛んだ。
床にぶつかって跳ね、勢いのまま床を滑っていく。
その軌跡を描くように、血液と思わしき緑色のラインが床の上に残る。
殴った後によく見直せばそれは見知らぬ生物だったが、誰かのペットにしては凶悪過ぎるし、襲いかかってきたからには容赦する必要はないだろうと考え直す。
体を浮遊させていたケース内の液体がこぼれ落ちたことで、エイナーの体に重さが戻る。
口に繋がっていた呼吸用と思わしき管を外し、胸や背中に張り付いていたセンサー類を引きちぎる。
ガラスケースの残った下部を蹴り砕いてケースの外へと歩みだすと、足下からグチャリとした感触が伝わってきた。
先程こぼれ落ちた液体の感触ではない。
もっと粘液性が高く、例えるなら血液や体液のような感触だ。
エイナーが注意深く周囲を見渡すと、金属の壁で覆われた無機質で飾り気のない部屋は荒れ果て、人間や未知の生物たちの死体で汚れていた。
死体だけではなく椅子や機器などがあちこちに転がっており、清掃担当者がこの場にいれば絶叫しただろう。
そして、赤と緑の液体で濡れる床の上で、先程殴り飛ばしたものと同じ生物が2体、ガサガサと近づいて来るのに気がつく。
エイナーが自らの記憶にない生物へと視線を向けると、それはキチキチと鳴き声を上げながら、2本の巨大な爪を彼の方へと向けた。
仲間がやられたことなど気にする素振りはなく、純粋な敵意だけが伝わってくる。
エイナーは知らないが、このヤシガニとクモを合わせたような怪物はアラクニッドと呼ばれ、スワインたちが使役する攻撃用の生物である。
いわば軍用犬のようなものだ。
全長40センチ前後で、灰色の体は表面が金属質で鈍く光り、8本の足と2本の巨大な爪が生えている。
虫のように生理的嫌悪を催す造形は見かけ倒しではなく、体は硬く頑丈で拳銃などであれば容易に弾き返し、掲げた爪と口内に隠れた牙は人の体など簡単に引き裂くことができる。
それを実証してみせようと言わんばかりに、2体のアラクニッドはエイナーへと飛びかかった。
エイナーは慌てることなく、床に落ちていた傷ついた剣を右手で拾い上げて構える。
未だ状況は全く掴めていないし、自分がなぜここにいるのか、対峙している敵が何なのかすら分かっていない。
だが、それでも体が自然と動いてくれた。
「遅い」
片方のアラクニッドを剣で貫く。
もう片方を空いた左手で掴み、勢いをつけて壁に向かって投げつける。
バンッという音と衝撃の後、無機質な壁に緑色と灰色が混じったアートが完成した。
エイナーは剣に突き刺さったままビクビクと震えるアラクニッドを振り払うと、トドメだと言わんばかりに踏みつける。
アラクニッドはトマトのように潰れ、肉片と体液を周囲に撒き散らしたが、硬いはずのそれを踏みつけた足には傷1つなかった。
それどころか、分厚いガラスケースを殴った手にも怪我はない。
普通の人間とは肉体の頑健さが剥離していた。
エイナーは自分の体のことは気にせず、他に敵がいないかと再び周囲を警戒する。
そして、部屋の隅で争う者たちの姿に気がつく。
1人はエイナーと同じく身長2.5メートルほどの壮年の男性。
もう1体は身長3メートルほどの人の体に豚の頭を乗せたスワイン。
男性は剣を、スワインは山刀を手に戦っていた。
互いに頭部を除いた全身を覆う分厚いアーマーを着込んでいるが、鈍重そうな見かけとは裏腹に機敏な動きで攻防を繰り広げている。
さながら騎士の決闘である。
エイナーが助力しようと近づくと、それに気がついたスワインが壮年の男性から僅かに視線を逸らした。
その瞬間、隙を見逃さなかった男性が剣を突き出すように体当たりをして、スワインを壁に押し付ける。
腹部から貫通した剣が壁に突き刺さり、スワインが血を飛び散らせながら悲鳴を上げた。
「ガァッ!」
「死ね!豚野郎!」
男性は痛みから逃げるように体を振るスワインの首を両手で掴むと、気合の雄叫びを上げながら捻り、引きちぎる。
頭部を失ったスワインは、首から緑色の噴水を上げながら人形のように崩れ落ちた。
勝利した男性も体力が尽きたのだろう、荒い息をしながら膝から崩れ落ち、かろうじて壁に寄りかかって体を支えた。
エイナーが慌てて近づいて手当しようと屈むと、男性の体が赤い血に濡れていることに気がついた。
先程の戦いでは敵の攻撃を全て避けていたはずだが、アーマーの腹部に抉り取られたような跡があり、そこから血が吹き出し続けている。
男性の見た目は40-50代といったところだが、整えられていたであろう銀髪は汚れ乱れ、精悍な顔は血の気が引いて真っ青だ。
どう見ても助かりそうにない。
別の敵と戦って怪我をしたのか。
候補となる死体は部屋の中に山程あったが、それを問い詰める暇などない。
「...エイナー大尉だな?」
「ハッ!そのとおりであります」
壮年の男性の問いに対し、エイナーはサッと立ち上がって直立し、握った左拳を胸の前に掲げる。
宇宙連邦軍の正式な敬礼の仕方だが、やはりエイナーの記憶には存在せず、ただ体だけが覚えていた。
壮年の男性もなんとか左拳を掲げて礼をするが、拳に力が入っておらずふらついている。
既に限界が近い。
「...私はカーツ大佐だ。最低のモーニングコールで申し訳ないが、緊急事態だと容赦してほしい。作戦上の都合で睡眠学習中の大尉を無理矢理起こした。記憶や体の調子はどうだ?」
カーツ大佐は脂汗を浮かべて痛みを堪えながら、ハアハアと乱れる呼吸を無理矢理押し留めながら問いただす。
与えられた責務を果たすため、自分の残り少ない時間を費やす軍人の姿がそこにあった。
それを悟ったエイナーも無駄な問答を避け、自らの状況を伝えることに専念する。
「体は問題ありませんが、記憶の一部、いえ、かなりの部分に欠落があります。戦闘に際して体は動きますし、自分の名前は分かりますが、過去の記憶などは残っていません。覚えているのは宇宙連邦軍に所属する兵士だったことくらいです」
「おやすみのところを叩き起こしたのだから、寝覚めが悪いのは致し方あるまい。だが、戦えるのであれば最悪の状況ではない」
カーツ大佐はそう言うと、大きく息を吐いて無理矢理呼吸を整える。
だが、喉の奥から血が込み上げてきてゴホゴホと咳き込んだ。
血を吐き捨て、口元を拭いながら、なんとか言葉を続ける。
「端的に言うぞ。今、我々は戦闘地域にいる。外に出れば敵だらけだ。大尉は肉体を改造した強化兵で、ここは更なる改造手術を施すための研究施設だ。記憶を失っているのは手術の影響だろう」
それを聞いてエイナーは眉をひそめる。
いくら戦闘能力が高くとも、記憶が無いまま戦闘地域に放り出されてはどうにもならない。
そして、頼りになりそうな唯一の人物は今にも力尽きようとしている。
万事休すだ。
エイナーの考えを読み取ったのか、カーツ大佐は震える腕を無理矢理引き上げてドアを指差す。
「あの部屋には装備一式と支援用のガイドドローンが用意されている。それらを使って作戦を遂行しろ」
「作戦とは?」
何をすればいいのかと目で問うエイナーに対し、カーツ大佐は目を大きく見開き、今際の際とは思えないような大声で叫んだ。
「なんとしてでも豚野郎どもを殺せ。一匹残らずだ!」
「了解!」
敬礼と共に命令の受諾を宣言したエイナーを見て、カーツ大佐は満足気に笑みを浮かべた。
そして、フゥと息を吐いた後、全身から力が抜けてズルズルと崩れ落ちていった。
エイナーは改めてカーツ大佐の姿を見るが、腹部の穴どころかアーマーは傷だらけでボロボロだった。
よほど厳しい戦いをくぐり抜けてきたのだろう。
周囲を見れば、他の兵士たちの亡骸も似たような様子だ。
カーツ大佐と同じような背丈やアーマーを着込んだ者以外にも、普通サイズの人間もいる。
いずれにせよ全身に傷を負い、手足がもげている者も珍しくない。
それでも皆、武器だけは固く握りしめていた。
そんな彼や彼の部下たちが命をかけて戦ったのは何故か。
簡単だ。
(自分という希望の灯火を絶やさないためだ)
エイナーは胸の中で自らに言い聞かせる。
自分では分からないが、彼らが命を引き換えにするだけの意味が自分にはあるのだろう。
今自分は記憶を失い、敵に囲まれて孤立した絶望的な状況にある。
だが、やるべきことは既に把握した。
スワインたちを殺す。
手段は問わない。
それだけ分かっていれば十分だ。
自分の過去などどうでもいい。
記憶を失う前は兵士で、今も兵士なのだから戦うことに変わりはない。
ならば、これから目指す目標の方がよほど重要だ。
「作戦開始だ」
エイナーはそう呟き、戦闘準備のための部屋へと歩き出した。




