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第45話:ソニアとマッケンジー2

晩餐会の熱気がまだ残るまま、龍宮迎賓館の一角に設けられたサロンでは、非公式カクテルパーティーが開かれていた。


艶やかなドレスに身を包んだ各国の要人たちがグラスを片手に談笑し、笑顔を交わし合う。


しかしその実、ここで交わされる言葉の裏には複雑な国益と、静かな諜報戦が渦巻いていた。


ソニアは外交官としての仮面を完璧に纏っていた。


上品な微笑。


淑やかな立ち居振る舞い。


控えめながら存在感を放つ言葉選び。


すべてが計算され、磨き上げられている。


彼女は各国の大使たちと軽やかに会話を交わしながらも、心の片隅ではずっと、あの孤独な影を探していた。


ふと、空気が変わった。


振り向かずとも、わかった。


イアン・マッケンジー大統領が、静かに、だが確かな足取りで近づいてくる。


ソニアは自然な微笑みを崩さぬまま、ゆっくりと振り向いた。


マッケンジーはグラスを手に、ソニアの前に立った。


「……今夜の料理は、素晴らしかった」


低く、掠れた声。


社交辞令に過ぎない言葉。


ソニアもまた、外交官としての答礼を返す。


「光栄でございますわ、大統領。わたくしたち日之国の伝統と四季を、少しでもお楽しみいただけたなら、これ以上の喜びはございません」


完璧な礼儀。


完璧な距離感。


だが、二人の声音には、目に見えない重さが滲んでいた。


マッケンジーはグラスを見つめたまま、何も言わなかった。


シャンデリアの光が彼の金髪に鈍く反射している。


(……生きる理由を、失ってしまったのですわね)


ソニアは心の中でそっと呟いた。


かつて合州連邦という超大国をその手に握り、世界を動かした男。


しかしいま、その眼差しには燃え上がるような野心も誇り高い怒りも、何一つ残っていなかった。


ただ、深い虚無だけが静かに漂っていた。


ソニアは何かを言いたかった。


手を伸ばして、触れてやりたかった。


だが、それは許されないことだった。


彼女は静かに微笑みを保ち続けた。


それだけが、彼に今、与えられる、唯一の救いだったから。


シャンデリアの下、静かな音楽と、控えめな談笑の波。


その中で、ソニアとマッケンジーだけが、まるで時間から切り離されたかのように、二人きりの世界にいた。


ソニアはそっと微笑み、自然な声音で問いかけた。


「大統領は、以前に日之国へお越しになったことがございますか?」


マッケンジーは、わずかに驚いたように瞬きをした。


そして、しばし考え、懐かしむように目を細めた。


「……ああ。大学生のころだ」


低く、掠れた声。


だが、その端にはかすかな柔らかさが滲んでいた。


ソニアは嬉しそうに微笑み、もう一歩、静かに踏み込んだ。


「どちらへいらっしゃったのでしょう?」


マッケンジーはグラスを軽く傾けながら答えた。


「古都だよ。……短期留学でね。政治学と、歴史、それから……武道を少し、かじった」


彼の口元に、ほんのわずか、だが確かな笑みが浮かんだ。


ソニアの胸がふわりと温かくなる。


「まあ。古都とは、また素晴らしい選択ですわ。季節はいつ頃だったのでしょう?」


「秋だった」


マッケンジーは遠い目をした。


「金色の森の中を、着物姿の女性たちが歩いていた。……あれは、忘れられない景色だった」


「きっとそれは……夢のように美しかったのでしょうね」


ソニアが静かに言うと、マッケンジーは小さく笑った。


「……ああ、そうだな。たしかに、夢のようだったな」


その瞬間、ソニアは確かに感じた。


彼の心にようやく一筋の光が射し込んだのを。


堅く閉ざされていた心の扉が、ほんの少しだけ、きしみながら開き始めたことを。


(よかった……)


ソニアは、心の奥でそっと胸を撫で下ろした。


たとえ、この笑顔が束の間のものだったとしても。


今はただ、このわずかな温もりを守りたかった。


グラスの中の琥珀色がゆるやかに揺れる。


しばしの沈黙のあと、マッケンジーがふと、声を落とした。


「……君は、なぜそんなにも英語が堪能なんだ?」


ソニアは少しだけ目を瞬かせた。


だが、すぐに柔らかな微笑みを浮かべて答えた。


「父が、外交官でございましたの」


マッケンジーは頷く。


「母は大学教授でして……小さな頃から、英語だけは徹底的に叩き込まれましたわ」


ソニアはどこか懐かしそうに微笑んだ。


「でも、育ったのはずっと日之国ですわ。邪馬都(やまと)の片隅で、静かに、平穏に」


マッケンジーはグラスを置いた。


そして、ほんの僅かに笑った。


「……君の英語は、本当に美しい」


低く、掠れた声。


だが、その言葉には偽りのない真心がこもっていた。


ソニアは少しだけ頬を染めた。


そして、深く、丁寧に礼をした。


「恐れ入りますわ、大統領」


言葉は儀礼的。


だが、ソニアの胸の奥では、小さな灯が、確かに灯っていた。


二人の視線がそっと絡み合った。


音楽も、笑い声も、遠ざかっていくようだった。


この世界に、今この瞬間だけは、二人しか存在しない。


そう錯覚するほどに。


遠く、総統閣下は一人、静かにその光景を見つめていた。


やがて、総統はゆっくりと視線を逸らし、何事もなかったかのように、別の賓客へ歩み寄った。

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