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第40話:インペラグラード到着

冬のインペラグラードに、総統専用機「飛鷹」の巨体が静かに降り立った。


空は鉛色に沈み、白い雪が絶え間なく降り注いでいる。


滑走路の端から端まで薄い氷が張りつき、世界全体が沈黙していた。


ブレーキの軋む音。


わずかに機体が揺れたのち、着陸の衝撃が座席を伝ってソニアの体を揺らした。


「……着きましたわね」


誰にともなく小さく呟きながら、ソニアは窓の外を見やった。


そこには見渡す限り灰色と白だけで塗りつぶされた異国の大地が広がっていた。


はじめてのインペラグラード。軍事超大国「ユーラシア連邦」の首都。


かつて「世界革命の心臓」とも呼ばれたこの街は、いまや冷たく、硬質な敵意を滲ませている。


胸の奥が、かすかに震えた。


ここは、敵地だ。


言語も文化も違う、異なる理と力で支配された土地。


どれほど微笑を浮かべようとも、どれほど友好を演出しようとも、ここは――敵地だった。


それでも、ソニアは微笑みを崩さなかった。


総統の外交担当秘書たる者、どんな場面でも凛としていなければならない。


ソニアは静かに立ち上がった。


「閣下、お時間ですわ」


隣にはサクヤ、ラァーラ、チェルシーの三人が並ぶ。


全員正装の四天秘書制服を身にまとい、微塵の乱れもなかった。


総統閣下も座席から立ち上がり、出口へと向かう。


機体のドアが、ゆっくりと開く。


吹き込んでくる冷気に、ソニアはほんの一瞬だけまつ毛を震わせた。


氷のような風。


(寒いですわ……)


その刹那、改めて覚悟が胸に宿る。


総統閣下が、最初にタラップへと足を踏み出した。


雪の中、軍用コートを纏った総統の姿は、ただそれだけで圧倒的だった。


背筋を伸ばし、一切の迷いなく、敵地の大地へと足を下ろす。


ソニアはその後ろを静かに追った。


サクヤも、ラァーラも、チェルシーも、無言で総統に続く。


タラップを下るたびに、眩しいほどのフラッシュが浴びせられた。


現地のマスコミが、雪の中で一斉にシャッターを切っている。


(なんて露骨な取材攻勢でしょう……)


ソニアは静かに、しかし冷ややかに心の中で呟いた。


だが、表情には微笑みだけを貼りつけたまま、堂々とタラップを下り続ける。


撮られる。


四天秘書が、ユーラシア連邦の地で初めて公式にその姿を晒す瞬間だった。


撮られる。


おそらくこの国の者たちは、自分たちが総統閣下の愛人であることを完全に見抜いている。


撮られる。


ラァーラが少し眩しそうに目を細め、チェルシーがカメラに手を振る。


撮られる。


サクヤだけは、冷たい瞳で群がる記者たちを睨みつけていた。


撮られる。


雪が、肩に積もる。


だが、誰一人、払い落とそうとはしない。


撮られる。


インペラグラード市長が、すでに出迎えのために待機していた。


「ようこそ、インペラグラードへ」


分厚いコートに身を包んだ初老の男が、総統閣下に向かって手を伸ばす。


総統は一歩進み出て、それに応じた。


ソニアはその後ろで、静かに立ち尽くしていた。


吹きすさぶ雪のなか、敵地の空気を胸いっぱいに吸い込みながら。


――この冷たさに負けるわけにはいかない。


――この沈黙に呑まれるわけにはいかない。


ソニアは心の奥でそう強く誓った。


この身は、閣下に捧げたもの。


ならば、たとえこの地がどれほど氷に閉ざされていようとも、微笑みと誇りだけは、決して凍らせはしない。


そう、静かに、静かに、心に刻んだ。


五人が進んだ先に、総統専用車が滑走路脇にぴたりと停まっていた。


漆黒の装甲。


弾丸も爆発物もものともしない、巨大な鉄の獣。


分厚いドアが開き、閣下が最初に乗り込む。


続いてソニア、サクヤ、ラァーラ、チェルシーの四天秘書たちも、無言で後に続いた。


車内は、まるで一つの小さな宮殿のようだった。


そして、専用車は現地警察車両に護衛され、インペラグラード市内へ向かった。




決して開かない厚い防弾窓の向こうには、灰色のインペラグラードの街が広がっている。


エンジンが低く唸り、車列がゆっくりと動く。


窓の外、雪に覆われた街並みが流れていった。


鈍色の空、重苦しい石造りの建物、立ち尽くす衛兵たち。


どれもが、まるでこの国そのものを象徴しているかのようだった。


「……すごい、街全体が、絵みたい!」


チェルシーが、窓に顔を寄せながら小さく感嘆する。


好奇心と、わずかな緊張が入り混じった声音。


「ふふ、まるでおとぎ話みたいねぇ〜。ちょっと怖いけどぉ〜」


ラァーラはあくまで軽やかに笑いながらも、ちらりとソニアに視線を送った。


その奥に潜む警戒心を、ソニアは見逃さなかった。


ソニア自身もまた、雪に煙るインペラグラードを眺めながら、内心で静かに息を整えていた。


すべてが美しく見える。


だがその美しさの下には、氷のような冷酷さと、血の匂いが潜んでいる。


「……このあたりよ」


サクヤが、ふと口を開いた。


「かつて、この『血の広場』で革命が起きた。武装蜂起した民衆と皇帝(ツァーリ)の軍が衝突して、数え切れない血が流れたの」


窓の向こう、広大な広場が広がっていた。


雪に覆われた石畳。


かつて血で染まったその地は、いま、凍てつく白銀に包まれている。


「血の……広場」


チェルシーがぽつりと繰り返し、わずかに顔をこわばらせた。


ラァーラもいつもの陽気さを抑え、黙って広場を見つめる。


ソニアは胸の奥で祈るように願った。


(主よ……。どうかこれ以上、誰の血も流れませんように……)


車列はさらに進み、やがて巨大な城壁に囲まれたロマノフ宮殿が視界に現れた。


かつてこの国の帝政時代に、皇帝(ツァーリ)が築き上げた鉄壁の城砦。


赤く重たい壁。


高くそびえる尖塔。


龍宮すら小さく見える巨大さ。


まるでこの世界そのものを睥睨(へいげい)するかのような、圧倒的な威圧感。


それは、西側の権威を象徴する合州連邦大統領官邸(ファースト・ハウス)と対をなす、東側の権威の象徴だった。


総統専用車が宮殿の正門前で静かに停まる。


車内に緊張が満ちた。


閣下は短く息を吸うと、四天秘書たちに向き直った。


「気を抜くな。ミハイル・ドラグノフは、この世で最も危険な男だ」


その声は深く低く、いつも以上に鋼のような重みを帯びていた。


ソニアはきゅっと胸を引き締めた。


心が震える。


総統がここまで警戒を露わにする相手――それが、今から会う男なのだ。


「……わかりましたわ」


ソニアはしっかりとした声で答えた。


「うん、わかった!」


チェルシーも元気に頷く。


「了解よぉ〜」


ラァーラも明るい声の奥に、いつもより鋭い意志を隠していた。


「もちろんです」


サクヤは簡潔に、冷静に応じる。


閣下は、四人を一瞥し、満足げに小さく頷いた。


そのとき――総統専用車の分厚いドアが静かに開かれた。


冷たい空気が鋭い刃のように車内へと滑り込んでくる。


5人は専用車を降り、衛兵たちに先導され、ロマノフ宮殿内部へと向かった。


宮殿内部はまるで別世界だった。


広大なホールに、金と白を基調とした豪奢な装飾。


天井には細密に描かれた祖国防衛戦争戦勝を記念するフレスコ画。


白大理石の柱が無数に林立している。


空気は乾いており、それでいてどこか重たかった。


ソニアは自然と呼吸を浅くした。


この空間自体が圧力を放っている。


建物でありながら、生き物のように、訪れた者を試している――そんな錯覚すら覚える。


「……これが、ロマノフ宮殿……」


チェルシーが、思わずぽつりと呟いた。


その声には純粋な感嘆と、隠しきれない緊張が滲んでいる。


「国そのものを、形にしたような場所ねぇ〜」


ラァーラが冗談めかして言ったが、その瞳は笑っていなかった。


「ここではすべてが監視されていると思った方がいいわ」


サクヤが低く囁く。


その言葉に、ソニアも心の奥で頷いた。


宮殿の壁にはさりげなくカメラの目が潜み、天井の隅にはわずかな膨らみがあった。


恐らく、音声も映像も、すべて記録されている。


歩き方、姿勢、音声。敵である自分たちを徹底的に分析するためだろう。


そんな空間のなかを、総統は一歩も乱れることなく進んでいく。


その背中は雪よりも冷たく、鋼よりも揺るがなかった。


ソニアはその後ろ姿を見ながら、思う。


――閣下は、どこまで覚悟してここへ来たのだろう?


ロマノフ宮殿には千年を超える血と鉄と陰謀の歴史がある。


この地でどれだけ多くの王や将軍が屈辱に膝を折っただろうか。


この冷たい宮殿の石畳の下には、数え切れないほどの敗者たちの無念が眠っている。


だが、この人――総統閣下だけは、決して屈しない。


ソニアはそう信じていた。


彼女たちは案内人に導かれ、やがて一つの大広間に通された。


勝利の間。


白大理石と金装飾に彩られた、眩いばかりの広間だった。


部屋の片隅には、すでに数人の閣僚らしき男たちが待機していた。


いずれも濃紺の軍服か、黒の官僚服をまとっている。


無表情。


どの顔にも、笑みひとつなかった。


ソニアはちらりと彼らを見やって微笑んだ。


しかし、なんの反応もなかった。


彼らは鋭く、冷たく、警戒心に満ちている。


だが――肝心の、ミハイル・ドラグノフ大統領の姿が、ない。


そのまま、その場で彼らは数分間待った。


一同に、微かなざわめきが走る。


四天秘書たちは互いに目配せしあう。


「……なんか、変だね」


チェルシーがかすれた声で呟いた。


「ええ。……遅すぎますわ」


ソニアもまた、声を落として答えた。


ラァーラはそっと肩を寄せながら囁いた。


「時間、かなり過ぎてるわよねぇ〜。これって、わざとかしらぁ〜?」


サクヤは何も言わず、鋭い視線を室内に巡らせた。


総統閣下は無言だった。


ただただ、揺るぎない姿勢で立ち続けている。

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