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第38話:父と娘

一瞬だけ、桜花は驚いた。


だが、すぐにツンと顎を上げ、父親を睨みつけた。


ソニアが小さく頭を垂れる。


「閣下……」


彼はただ、桜花だけを見据えていた。


低く、落ち着いた声が温室に響く。


「――桜花」


その一言に、桜花の肩がぴくりと動いた。


「なに?」


ツンとした声音。


だが、その胸の内では暴れ出しそうな感情を必死に押さえ込んでいた。


閣下は静かに言葉を継いだ。


「俺は……まず、おまえに謝らないといけない」


桜花はわずかに目を見開いた。


だが、すぐに無表情に戻る。


閣下は目を逸らさず、重く続けた。


「おまえには、一番、迷惑をかけた」


その声音には、偽りも、言い訳もなかった。


桜花は口をつぐんだまま、閣下を睨みつけるように見上げていた。


そして、絞るような声で吐き捨てる。


「……で?」


閣下は深く息を吐き、静かに告げた。


「もう一度だけ、父親として、チャンスが欲しい。……頼む」


温室の中に、また静かな沈黙が落ちた。


桜花は瞳を震わせながら、しばらくなにも言わなかった。


やがて、震える声でぽつりと呟く。


「……わかった」


その一言に、ソニアがほっと小さく息を呑んだ。


だが、桜花はすぐに顔を上げ、鋭い視線を閣下に向けた。


そして、冷たく告げる。


「だけど、条件がある」


閣下は静かに待った。


桜花は間髪入れずに言い放った。


「愛人を捨てて。全員捨てて」


熱帯温室に、長い沈黙が降りる。


湿った空気が張り詰めていた。


桜花はじっと閣下を睨みつけた。


ソニアは胸元で手を組み、わずかに揺れる瞳を必死に隠そうとしていた。


やがて、閣下は静かに、だが重たく口を開いた。


「……それはできない」


低く、確かな声。


桜花は食い下がった。


「なんで?」


問い詰める。


閣下は微かに視線を伏せた。


そして、真っ直ぐに桜花を見据えた。


「四天秘書は、俺の鎧だ。彼女たちがいなければ、俺は壊れる」


桜花は拳を震わせた。


「……言い訳にしか聞こえない」


冷たく、突き刺すような声。


閣下は再び沈黙した。


ソニアは何か言いかけたが、唇を噛み、声にならなかった。


そのとき、温室の奥からゆっくりと足音が響いた。


サクヤ、ラァーラ、チェルシーが、順に姿を現した。


緊張に満ちた空気を堂々と切り裂くように。


先頭に立ったサクヤが鋭い瞳で桜花を見据える。


「――全部聞いていたわ」


サクヤの声は冷たくもなく、熱すぎることもなく、ただ揺るぎない意志を帯びていた。


サクヤは腕を組む。


「結論から言うわ。私たちが閣下のもとを離れることは、絶対にありえない」


その断言に、桜花の肩がぴくりと震えた。


桜花はサクヤを再度睨みつける。


サクヤはさらに続けた。


「私たちは――『グランド・プラン』の一部。それぞれが、閣下の目標達成に不可欠な存在」


サクヤの声は静かに響いた。


「……えっ? なにそれ? その『グランドなんとか』って?」


チェルシーがぽかんとした顔で口を挟んだ。


ラァーラもくすっと笑いながら言った。


「初耳ねぇ〜」


サクヤは冷たく一瞥をくれるだけだった。


「あなたたちが知る必要はないわ」


ばっさりと言い切る。


そして、すぐに視線を桜花に戻した。


「とにかく、私たち四人が閣下から離れることはありえない」


サクヤはきっぱりと宣言した。


「誰か一人が欠けることも、絶対に」


桜花は、歯を食いしばった。


「っ……!」


悔しそうに、怒りを押し殺す顔。


だが、サクヤはほんの少しだけ柔らかく目を細めた。


「でもね、少なくとも私は、あなたが閣下の前からいなくなることも、同じくらいあり得ないことだと思っているわ」


堂々と胸を張るサクヤ。


「桜花――」


サクヤは、しっかりと桜花を見据えた。


「――私たちは、家族になるべき存在よ」


温室に、静かに、しかし確かに宣言が響き渡った。


「……家族?」


吐き捨てるような声。


「……ふざけてるの?」


サクヤは、まったく動じなかった。


静かに、堂々と答える。


「1ミリもふざけてないわ」


その即答に桜花は、あははっ、と乾いた笑い声をあげた。


だがその笑いには、痛みしかなかった。


「わたしからお父さんを奪っておいて……『家族』?」


桜花は怒りに震えた声で言い放つ。


「ふざけるのもいい加減にしてよ!」


胸の奥から絞り出すような叫び。


「そもそも、娘と父親くらい歳が離れてるのに、愛人関係なんておかしいよ!」


桜花は吐き捨てる。


「気持ち悪いよ!」


だが、サクヤはまったく怯まなかった。


冷静で、澄み切った瞳のまま答える。


「――いいえ、おかしくないわ。それに、気持ち悪くもない」


桜花は怒りに顔を歪めた。


「自分が言ってることの異常性、わかってる⁉︎」


サクヤはひとつ、深く息を吸った。


そして、凛とした声で答えた。


「……社会的に一般的でないことは、わかっているわ」


サクヤは堂々と、なにひとつためらうことなく言葉を重ねる。


「だけどね、私は、父親と娘ほど歳が離れているからこそ、閣下に恋焦がれた」


桜花が苦しげに顔を歪める。


「彼の知性の前に、己の全てを捧げて仕えたいと思ったの」


その瞳は誇りに満ちていた。


桜花は唇を噛み、なにも言い返せなかった。


そこへチェルシーが、少し困ったような笑みを浮かべながら口を開いた。


「わたしも、同じだよ」


元気そうな声。


だが、その奥には、確かな真剣さがあった。


「――あのね、わたしね」


チェルシーは、ぽつりと語り始めた。


「――男の人に、優しくされたこと、なかったんだ」


その声は、少しだけ震えていた。


「でもね、閣下は違った」


チェルシーは、にっこりと笑う。


「閣下は、決して自分の『気持ち良い』を押しつけたりしない。閣下は、暖かくて、優しくて、わたしが、世界で一番好きな男性なんだよ」


ラァーラもふわりと微笑みながら、続けた。


「私もそうねぇ〜」


涼やかな声で、しかし確かな情熱を滲ませて。


「私は、決して誇れない過去を持っているわ」


ラァーラは柔らかな目をして言った。


「名前を変えても、完全に消えないくらい、ね」


ふっと笑う。


「でも、閣下はそれすらまとめて、私を愛してくれているの」


最後に、ソニアが一歩前に出た。


そして、静かに桜花を見つめる。


「桜花さん」


温かく、けれど揺るがぬ声。


「これが、わたくしたちの気持ちですの」


ソニアは胸に手を当てた。


「どうか、受け入れてはくださいませんか?」


熱帯の花々の香りの中で、その言葉だけが、静かに響いた。


桜花は震えながら、必死に声を押し出した。


「……無理だよ」


か細い声。


「そんなの……できっこない」


今にも壊れそうな声。


桜花は拳を握り締め、顔を上げる。


その瞳は涙で濡れていた。


「だって――」


喉が詰まる。


「――お父さんは……わたしの……なんだよ」


桜花は叫んだ。


「ママにも……あなたたちにも……渡したくない!」


その叫びは、痛みに満ちていた。


「だって、お父さんは、わたしだけのお父さんなんだもん!」


声が震える。


温室の湿った空気すら、震わせるほどに。


「わたしが最初に好きだった!」


涙が滲みながらも、必死に言葉を紡ぐ。


「誰にも渡さない! お父さんは、わたしだけを見てればいい! わたしだけを見てなきゃダメなんだよ!」


震える声で、懸命に訴えた。


その場にいた誰も、桜花のこの痛切な叫びを、否定することはできなかった。


閣下もまた、ただ静かに桜花を見つめていた。


桜花は涙を拭おうともせず、嗚咽を飲み込みながら震える声で続けた。


「お父さん。愛人を、捨てて」


その言葉には、これまでのどんな叫びよりも強い、確かな決意が込められていた。


桜花は、まっすぐに閣下を見上げ、震えながらもはっきりと宣言する。


「そうすればわたし、航空学生もやめて、わたしがお父さんの秘書になる」


その声には、もう迷いはなかった。


涙に濡れた瞳で、精一杯の誇りを込めて告げる。


そして最後に、桜花は力強く閣下を真っ直ぐに見据えた。


「娘か、愛人か、決めて」


静かに、だが絶対に逃さないと誓うような声で告げた。


湿った空気が、二人の間の緊張をさらに重たくしていた。


閣下は静かに告げる。


「桜花。俺は、おまえを愛している」


桜花は、目を見開いた。


「だったら、決断で示して」


閣下は目を閉じ、そして苦渋の表情で続けた。


「俺は、おまえを愛している」


再び、強く、確かに。


「だが、俺はソニアたちを、おまえと同じくらい愛している」


その言葉に、桜花は息を呑み、絶句した。


顔から血の気が引いていく。


その小さな肩が、わずかに震えた。


「……わかった」


かすれるような声。


桜花は踵を返し、温室の出口へ向かって歩き出した。涙に滲んだ視界を隠すように。


その腕を、閣下の大きな手が強く掴んだ。


「放して!」


桜花は振り払おうとした。


「いやっ!」


必死に抵抗する。


だが、閣下は力強く、桜花を抱き寄せた。


「どこにも行くな」


低く、切実な声。


「この国に――俺の国にいろ」


桜花は驚きで目を見開いた。


閣下は桜花の耳元で囁く。


「おまえを、愛している。晴旭(はるあきら)よりも、(あおい)よりも。――おまえは、俺の誇りだ」


桜花の胸が、ぎゅっと締めつけられた。


これまで聞きたかった、けれど決して聞けなかった言葉。


閣下はさらに言葉を重ねた。


「四天秘書は捨てない。だが、俺は、おまえも諦めたくない」


桜花の瞳が、再び震えた。


「おまえは、俺の初めての娘だ。おまえが生まれた日が、俺の人生で最も幸せな日だった」


閣下は、静かに、しかし確かに言った。


「どこにも行くな。――おまえは、俺の光だ」


その一言が、桜花の心の最後の壁を、完全に打ち砕いた。


桜花は、顔をくしゃくしゃに歪め、そして――


「あああああああああああ!」


大声で、泣き叫んだ。


「パパああああああああああ!」


必死に閣下にしがみつく。


閣下もまた、桜花を抱きしめ返した。


二人は熱帯の光の中で、固く、固く抱き合った。


閣下の頬を一筋の涙がつたった。


静かに桜花の耳元で囁いた。


「……桜花」


温かく、深い声。


「すまなかった」


胸の奥から絞り出すように。


「俺が悪かった。愛している」


閣下は桜花を誰よりも強く、誰よりも優しく抱きしめた。


「この世の誰よりも、おまえを愛している」


桜花はぐしゃぐしゃに顔を歪め、ただ閣下にすがりついた。


閣下はそっと続けた。


「おまえは俺の娘だ。俺の国にいろ」


その言葉に、桜花の小さな身体はびくりと震えた。


「パパ……」


桜花は声にならない声で、閣下の胸元に顔を埋めた。


閣下はそんな桜花を、ただ静かに、優しく抱き締め続けた。


「うん……」


小さく、しかし、誰よりも力強い肯定。


二人だけの永遠の誓いだった。


それを安堵の表情で見守る四天秘書たち。


チェルシーは涙ぐみながら呟いた。


「こんなの見せられたら、わたし泣いちゃうよぉ……」


ラァーラもそっと微笑んで言った。


「羨ましいわね……」


サクヤは腕を組みながら、静かに、そして確かに頷いた。


「……ええ。そうね……」


龍宮の熱帯温室。


そこで、壊れかけた親子の絆が確かに結び直された。

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