第30話:反逆の息子
サクヤは小さく息を吐き、静かに呟いた。
「……やはりね」
その言葉には、驚きも動揺もなかった。むしろ、当然の帰結として受け入れたような冷静さがあった。
彼女は最初から疑っていたのだ――この事件の黒幕が、あの男であることを。
「えっ、ちょっと待って! 閣下に……息子⁉︎」
チェルシーの驚愕の声がリビングに響く。目を見開いたまま、総統閣下とサクヤを交互に見つめている。
無理もない。サクヤとソニアは以前から閣下に聞かされていたが、ラァーラとチェルシーにとっては初耳だった。
「天流河晴旭、25歳。彼は、閣下と離婚した奥さんとの間に生まれた最初の子供よ」
サクヤは淡々と告げた。
「皇国大学法学部を首席で卒業して、その後、合州連邦のフルブライト大学大学院に留学していた。晴旭は父親を超えることを目的に、母親に徹底的な英才教育を施された、閣下に匹敵するバイリンガル。彼は数ヶ月前に帰国したばかりよ。そして――おそらく、閣下の地位を狙ってる」
リビングに、重い沈黙が落ちた。
「……え? ちょっと待って!」
チェルシーが、まるで理解が追いつかないといった顔で声を上げる。
「なんで息子なのに閣下を倒そうとするの⁉︎ 普通、親を支えるもんじゃないの⁉︎」
「ふふっ。まあ、あり得る話じゃな〜い? 息子が父を乗り越えたがるのは、よくあることよぉ〜。父親が偉大ならなおのことね〜」
ラァーラが肩をすくめて笑う。しかし、その表情には珍しく警戒の色が浮かんでいた。
「……晴旭は危険よ」
サクヤはピシャリと言い切った。
「あいつは幼い頃から、閣下に強い対抗意識を持っていたらしいわ。ただの反発とか、そういう生半可なものじゃない。そして、閣下に恨みを持つ母親による徹底的な洗脳教育で、それはさらに増幅されている。晴旭は自分のほうが閣下より優れた人間だと本気で思っているし、いずれこの国を自分の手に収めるつもりでいる」
その言葉に、チェルシーの表情が強張った。
「じゃあ……つまり……今回の動画流出も……?」
サクヤの瞳に冷たい光が宿る。
「やつの狙いは、私たち四天秘書を閣下から引き剥がし、閣下の権威を揺るがすこと。そして、その先にあるのは――」
「クーデター……?」
ソニアが小さく息を呑む。
「そういうことよ」
サクヤは静かに頷いた。
「……おぞましい話ですわね」
ソニアが、呆れたように首を振る。
「国家の象徴である閣下を討ち、己が玉座に就こうだなんて。血を分けた親をも凌ぐ野心。……ですが、それだけで政権が揺らぐほど、閣下の支配は脆弱ではありませんわ」
「その通りだ」
低く響く総統閣下の声が、空気を一変させる。
「だが、やつは必ず仕掛けてくる。おそらく数日以内にな」
その言葉に、リビングの空気が張り詰める。
「……なら、迎え撃つしかないわね」
サクヤは即座に言った。
「晴旭は天才で、権力欲の塊よ。油断したらこっちがやられる。中途半端な対応は、絶対に命取りになるわ」
「そうねぇ〜……。私も、ちょっと本気でやる必要がありそうねぇ〜」
ラァーラが珍しく真剣な表情で呟き、スマホを取り出す。
「閣下、ご指示を」
サクヤは総統をまっすぐに見つめた。
「誰も信用するな。晴旭は手強いぞ」
低く、冷徹な声がリビングに響いた。
その一言が、四天秘書たちの背筋を凍らせるには十分だった。
会議室の扉が静かに閉じられると、室内には微かに紙が擦れる音と、深く重い沈黙だけが残った。総統、四天秘書、最高評議会メンバーが長机を囲み、張り詰めた空気の中で座っている。窓の外には、黒い軍服に身を包んだ総統親衛隊の兵士たちが厳重に警備に立っていた。
数日前のあの夜、総統の息子である天流河晴旭が、チェルシーのスキャンダルを利用してなにかの地ならしを進めていることが明らかになった。それ以来、サクヤは晴旭がどのように仕掛けてくるのか、あらゆる可能性を考え続けていた。
(正面突破か、それとも内部工作か……。あるいは、もっと巧妙な策を講じるのか……)
サクヤは皇大法学部に首席で入学した才媛。だが、冷徹な計算力と論理を武器に戦ってきた彼女でさえ、晴旭の手の内が完全には読めなかった。
(ただ一つ確実なのは、彼は確実に仕掛けてくるということ)
それは閣下の言葉でもあった。
「やつは必ず仕掛けてくる。おそらく数日以内にな」
その警告が、今でも耳の奥に残っている。
だからこそ、「誰も信用するな」――閣下のその指示は、決して軽視してはいけないものだった。
しかし――
(まだ、なにも起きていない)
それが、逆に不気味だった。
嵐の前の静けさとは、まさにこのことだろう。
最高評議会も、表向きは平穏そのものだ。
――そのとき。
突如、会議室の外で怒声が上がった。
「誰だ⁉︎」
「おい、止まれ!」
総統親衛隊の兵士たちの鋭い声が響く。しかし、それは長くは続かなかった。
タタタタッ――!
乾いた自動小銃の連射音が、廊下を揺るがした。
直後――ガラスに赤い染みが広がる。
「っ……!」
ソニアが息を呑み、チェルシーが恐怖に凍りつく。
「閣下!」
サクヤはすぐさま椅子を蹴り、立ち上がる。
しかし、その瞬間――会議室の扉が、無造作に開かれた。
無言で入ってくるのは、武装した陸軍兵たち。
そして、その中央には総統親衛隊の制服を纏った数名の男たち。
彼らは今しがた、仲間を撃ち殺した。
そして――
「久しぶりだねー、父さん」
会議室の中央にゆっくりと足を踏み入れたのは、一人の若い男性。
天流河晴旭。
長身に、父親よりはるかに若く、整った顔立ち。
皇大法学部卒という経歴を象徴するような父親譲りの冷静な瞳。
しかし、その奥には計算と悪意が滲んでいた。
彼は半開きの口に歪んだ笑みを浮かべていた。
サクヤは即座に身構える。
(来た……!)
晴旭の視線が、まっすぐ総統へと向かう。
しかし、総統はなにも言わない。
ただ、静かに彼を見つめるだけだった。
その瞬間――
総統を除く最高評議会の6人が、一斉に立ち上がる。
サクヤの目が鋭く光った。
(やはり……!)
その中の一人――内務大臣が、冷たく総統を見下ろし、はっきりと言い放った。
「総統。悪いが、あなたはもう過去の存在だ」
サクヤは、拳を握りしめる。
(最高評議会の連中は裏切った!)
晴旭が、まるで舞台の主演俳優のように優雅に両手を広げる。
「父さん、あんたの時代は終わった。新しい総統は、この俺だ」
その宣言が響いた瞬間、会議室の空気は完全に凍りついた。
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