第20話:ラァーラの色仕掛け1
会議室の空気は灼熱だった。最高評議会――日之国の運命を握る者たちが集う場であり、決定される政策はこの国の未来を左右する。しかし、今この場に響き渡っているのは理知的な議論などではなく、怒号と机を叩く音だった。
ラァーラは、どこか遠くのできごとのようにそれを眺めていた。
(……正直、どうでもいいわねぇ〜)
指先でグラスの氷を転がし、ミネラルウォーターを一口飲む。
「防衛費を削減しろだと? 冗談じゃない! 我々は今、独立した防衛体制を確立しようとしているんだ! この計画が潰されれば、日之国は永遠に合州連邦の庇護下に甘んじるしかなくなるんだぞ!」
防衛長官が拳を机に叩きつけ、鋭い視線を財務大臣へ向けた。その目は完全に戦場のそれだった。
「不思議だな、おまえはまるでそれが悪いことであるかのように言う! だが日之国は経済で生きる国だ! 軍事力だけでは国際社会における影響力は得られない! 財政の健全化なしに、お前の言う『独立した防衛』ができると本気で思っているのか⁉︎」
財務大臣は一歩も引かない。むしろ断固とした態度で応じた。財政の管理者としての矜持か、それとも単に防衛長官と折り合いが悪いだけなのか――どちらにせよ、二人はこの場で対立する運命にあった。
「貴様、理解しているのか?」
防衛長官が低い声で言う。
「将来的に300発の潜水艦発射型弾道ミサイルを揃えなければ、日之国が目指す核抑止力は形だけのものになる。この国が真に独立し、誰にも脅かされない国家になるためには、どうしても追加予算が必要だ! 今の防衛費では到底足りない! 予算を増やさないなら、戦略防衛計画はすべて白紙に戻すしかない!」
「GDPの4%を防衛費に回してる時点ですでに異常だ! これ以上財政を圧迫してどうするつもりだ⁉︎ 国民は軍備のために働いてるわけじゃない! おまえはこの国を戦前と同じ軍事国家にするつもりか⁉︎ そんなものは経済への悪影響だ!」
「防衛力がなければ、貴様の経済とやらも維持できないだろうが! 国民の生活を守るのが軍の役割だ!」
「貴様は『経済』がなにかを理解していない! 国の強さとは、ただ兵器を持つことではない! 産業の発展なくして国防はありえない!」
声が次第に荒くなり、互いの言葉を遮るようにぶつかる。ラァーラは静かにため息をついた。
(どっちも言ってることは正しいのよねぇ〜。でも結局のところ、お互いに折れる気がないなら、会議なんて無意味じゃなぁ〜い?)
総統は机に肘をつきながら額を押さえていた。明らかに体調が悪そうだったが、二人はお構いなしに言葉をぶつけ続ける。
「財政の破綻こそが国家の存亡に直結する! 軍を維持する金がなくなれば、お前の言う『防衛』すらできなくなるのだぞ!」
「それは詭弁だ! 安全保障がなければ、そもそも経済など成立しない! 歴史を知らんのか⁉︎」
「知っているからこそ言っている! 経済の後ろ盾なき軍事力がどれだけ脆いか、お前は考えたことがあるのか⁉︎」
ラァーラはそっと視線を外し、天井を眺めた。
(こういう場ってぇ〜、もっとこう、スマートにやるもんじゃないのぉ〜?)
議論は終わる気配がない。総統は相変わらず頭痛に苦しんでいる様子だが、二人は気づきもしない。もしくは、意図的に気づかないふりをしているのかもしれない。
(……これ、いつまで続くのかしらぁ〜?)
ラァーラはグラスを指で押しながら、ぼんやりと考えていた。
結局、会議は結論が出ぬまま、散会となった。
財務大臣は最後まで防衛長官を睨みつけたまま席を立ち、防衛長官もまた忌々しげに舌打ちをして会議室を出ていく。張り詰めた空気は、一瞬にして重苦しい沈黙へと変わった。
ラァーラは、それをただ眺めていた。
(結局、なにも決まらなかったわねぇ〜)
それは最悪の結末ではない。むしろ、どちらかが相手を論破し、極端な方向へと傾くよりはよほどマシだった。だが、このまま放っておけば、同じ議論が繰り返され、問題は先送りにされるだけだ。
そんなことを考えながら、ラァーラはちらりと総統を見た。
総統は深く息をつき、ぐったりと椅子にもたれかかっている。顔色は青白く、額には薄く汗が滲んでいた。
(これは……相当キツそうねぇ〜)
さすがに少し心配になったが、彼は疲れた声で呟いた。
「……おまえの出番だ、ラァーラ」
弱々しい声だった。だが、その言葉には確かな信頼が込められていた。
ラァーラは小さく笑った。
「はいはい。閣下ったら、また無茶な命令するわねぇ〜」
グラスを置き、椅子からゆったりと立ち上がる。
他の秘書たちはそれぞれの仕事で忙しく、総統を看病する暇もない。ソニアは外交関連の対応に追われ、サクヤは法律や条約関連の処理で机にかじりついている。チェルシーもまた国民向けの広報活動に奔走していた。
(つまり、私がどうにかしなきゃいけないってことねぇ〜)
財務大臣と防衛長官。互いに譲らず、火花を散らすプライドの高い二人――
彼らをどうにかするのが、今の自分の役目らしい。
ラァーラは小さく息をつき、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「さて、どう料理してやろうかしらぁ〜」
彼女は静かに歩き出した。
「おもしろかった!」
「続きが気になる!」
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