第7話 日常へ戻る
「ふぁ〜あ」
俺は大きな欠伸をする。
あの屋上での出来事から一夜が経過した。あの後、もし2人でいる所がバレたら後々厄介なことになると考えたので別々に帰ることになったのだが、最後に
『それじゃあ俺は先に出る、これからの事を考えればできるだけ2人で一緒に居るところを見られるのは避けたいからな。』
『ちょっと、こんな夜遅くにか弱い女の子を置いて先に帰るつもり?』
『………何が言いたい』
『貴方なら言わなくても解るでしょ?』
俺は無言で歩を進める。だが途中で何者かに肩を掴まれる。
『………離してくれないか?』
『あっちに行ってくれたら良いわよ?』
そう言って、そいつは出口とは一番遠い位置を指差す。
『………断ると言ったら?』
『このまま貴方に着いていくわ』
『随分と必死だな、さっき協力すると言ったのを忘れたのか?』
『それとこれとは話が別よ』
こいつ、色々吹っ切れてやがる。
俺は一度振り向き、
『まあ待て、俺が先に行くことで帰り道の安全確認にも繋がる、つまりここで待ってから出る方が安全だと思わないか?』
そいつはニヤりと笑みを浮かべながら、
『貴方こそ随分と必死ね、さっきまであんなに冷静沈着みたいな雰囲気出してたのに。そんなにここに残る事が怖いのかしら?』
俺はため息を吐き、
『お前は一体何を言っているんだ?別にここに残ったところで何か”出る”わけでも無いのに何を怖がることがあるんだ?』
『あら、それにしては心なしか手が震えているように見えるけど?』
『夏が近づいてきたとは言えもう夜だからな、少し寒くなってきたからきっとそれのせいだろう。それを言うならお前も足が震えているじゃないか』
『私は冷え性だから、この気温じゃ寒くて堪らないの、そもそも私は足を怪我してるの。怪我人を早く帰らせるのが普通じゃないかしら?』
『いや、怪我人であるか弱い女の子ためにこの先の道がちゃんと安全かどうか確認する義務が俺にはある、お前はここに残って待っていろ』
『別に安全確認なんかわざわざしてもらわなくても私は一人で帰れるわよ、貴方がここに残っていなさい』
そいつはそう言って俺の横を通ろうとするが、今度は俺が腕を掴み、
『まあ待て、そろそろ白状したらどうだ?』
そいつは視線をこちらに向け、
『貴方こそ、私に言うべきことがあるんじゃない?』
『………』
『………』
沈黙が場を支配する。
『分かった、このままじゃ埒が明かない。ここは公平に決めないか?』
俺はそいつに提案する。
『……それしか無い様ね』
『………』
『………』
再度、静寂が辺りに広がる。
そして同時に、切り出して──────
──────そのような押し問答を続けた結果、自分の部屋に辿り着いたのは午後11時過ぎとなってしまった。
ちなみに結果は俺の負けであり、俺はしばらくの間、あの屋上で一人ボーッとしていた。
あの時は気づかなかったが、結局学校を一人で歩くことになるなら、屋上で待っていても居なくてもそこまで変わらなかっただろう。
大前提俺はあいつとは違い、幽霊が怖いという訳では無いからな、断じて。ただ待っている間何もすることがなく暇だったというだけだ。
そもそも、本当に怖かったら夜の学校の屋上に一人で行くような真似はしないだろう。
「おーい、生きてるか?」
そんな事に思考を巡らせていると、前から声が聞こえてきた。
「ああ、少し考え事をしていた」
「そうなのか、いつも顔が死んでるけど今日はいつにも増して死んでるぞ?」
そう俺に話しかけてくるこいつは、俺と同じクラスであり、席が俺の前である最上友一。
明るく優しい性格で、クラスのムードメーカー的な役割を果たしている。
「いつも顔死んでるのか」
「まるで生気を感じないね」
そこまでか、俺は自分の顔をぺたぺたと触る。よく周りから『笑わない』『無表情』とは言われるが、ここまで酷く言われたのは初めてかもしれない。
俺も昨日のあいつも高校2年生であり、今は5月の終わり、新しいクラスに皆一喜一憂している頃だ。
俺と友一は高一からの付き合いであり、何を気に入ったのか、この学校でカーストが低めの俺にずっと付き纏ってくる。本人曰く「なんか、雰囲気が違うんだよなあ」らしい。
他のクラスの奴もグループを作っており、笑い声が聞こえてくる。
俺は周りを見渡しながら、
「お前も他の奴とつるんだ方が良いんじゃないのか?」
「別に良いんだよ、もう大体のクラスメイトとは仲良くなったし」
流石陽キャコミュ強、我々陰のものとは格が違う。
クラス替えからまだ2ヶ月しか経ってないにも関わらず、もうそこまで行っているのか。
と、そこで大きな衝突音が教室に響いた。
「やれっつっただろうが!」
どうやら誰かが随分とご立腹のようだ。
そいつの方に視線を向けると、怒鳴った奴と、そいつの前で涙目になりながら怯えて、足が震えている一人の小柄な少年が見えた。
「……すっ、すいません!ごめんなさい!……」
そいつは恐怖を見に纏わせながらただ必死に謝る。
「まーたやってるよ紙名の野郎」
友一は呆れたように呟く。
今怒鳴りつけた男の名は、紙名裕二このクラスでいつもいじめを行っている、気性の荒い性格の持ち主。
いじめられている方の男の名は覚えていないが、よく本を読んでいた気がする。
そう、これは”良くあること”であり、これが俺らの学校の日常だ。
1年の最初こそ止める人も存在したが、今になっては誰しもが諦めたり、この状況を当たり前のことだと認識している。
この学校のカーストは大きくわけて上位層、中間層、下位層の3つが存在し、割合的には中間層の人間が多い。
その代わりに上位層と下位層の差が大きく有り、その下位層に属しているものは、こうしていつも虐げられている。
だが、こうして下の人間を実際に虐める奴らは上位層の人間のより中位層の人間の方が多い。上位層の人間を見下しているというより、見向きもしていないと言った方が正しい。
「謝れば済むと思ってんのか?おい」
「ご、ごめんなさい!許してください!」
まあ、今現在進行形でいじめを行っているこいつは数少ない上位層の人間なんだが。
「まあ、悔しかったらやり返すしかないよな」
友一はそちらに目を向け、そこまで興味を持っていない様子で、そう言葉にする。
目の前のこいつもカーストの上位の人間であり、男女問わず皆に好かれている。
だか、だからといって目の前で起こっているいじめを止めるようなことはしない。
先程優しい性格と評したが、それは相手のことを考えて気を使ったりできるという意味で、正義感に溢れている訳ではない。
寧ろ人より冷たい面も持っており、以前こいつは、
「何もできない奴に手を差し伸べる義理は無い」
と口にしていた。
この学校は良くも悪くもお金持ちが集まる、それも国内でも高いレベルだ。
よく、創作上では権力者の息子が下の立場の人を見下し、いじめたりする事がよく見られるが、現実はそうでは無い。
プライドが高かったり、権力や財力にあぐらをかいている人間も少ない訳ではないが、カーストの上位に近づけば近づくほど、自分にとって必要な事とそうで無い事の判断ができる人間が多くなる。
簡単に言えば、感情で動く人間は上位層には少ない。必ず、先を見据えて行動をする賢さを持っている。
そういう人間ほど、この世の中の厳しさ、不条理を早くに理解しており、だからこそ無駄な正義感で下の人間に手を差し伸べる様なことはしない。
かくいう俺もこのような状況に今更何も感じない。
以前、この学校は腐っていると言ったが、それは客観的に見た感想であり、主観的にいえばしょうがない事だと俺は思う。
よくいじめはいじめられている側も悪いと聞くが、俺はその意見が間違っているとは思わない。
例えどんなに苦しく、辛いと思っていても、やらなきゃやられるだけであり、行動しなければ何も変えられない。
所詮この世は弱肉強食である。正しさは武器にはなるが、持っているだけでは何にもならない。それを振りかざすことのできる力が無ければただの飾りだ。
だから俺は、あの女に同情なんてしていないし、可哀想だとは少しも思わない。俺があのときあいつを奮い立たせたのは優しさではなく単なる興味だ。
そこで一度、思考の海に沈んでいた意識を現実に戻す。
「チッ使えねえ」
そう言って紙名は、机の中に入っていたものが散乱した足元から、一冊の本を一つ手にする。
「っそれは!」
その少年は反射的にそう口にし、紙名からそれを奪い返そうと手を伸ばす。しかし、
次の瞬間、紙名はその少年に蹴りを入れた。
「……っぁ」
その少年はみぞおちを蹴られ声も出せずに呻く。
そして紙名はその本を力任せに破る。ビリビリと、何度もその本を破き、細かくしていく。
そうして、あっという間にその本はただの紙くずとなった。
本を破られた少年は目に涙を浮かべ、絶望した顔持ちで、紙くずが散乱した床を見つめる。
紙名はその様子を見てスッキリしたのか、ニヤニヤとした笑みを浮かべ、その少年を嗤うように、
「てめえが掃除しろよその”ゴミ”、同じゴミとしてな」
そう言ってその場を後にした。
これが、俺ら2年3組の日常の一幕である。