3
庭園での騒動の後。
公爵は怒りを押し殺したまま、城を出た。同行するのは、古くからの友人である騎士団長。そして、部下の騎士たちだった。
「必ず見つけ出す。あの娘は……セレスティアは、生きている」
それは、信念というよりも、父としての確信だった。
セレスティアがあのような偽者に負けるはずがない。だが、無事とは限らない。発見が遅れれば、それだけ、彼女が受ける苦しみは増す。
辺境の村々を一つずつ巡り、わずかな情報を拾い集めていく。
手がかりを掴めないままに、いたずらに月日が過ぎて行った。
そして、立ち寄った国境の関所付近の小さな町。
「最近、身元の怪しい中年夫婦が外れにある店を借りた」
「その店の納屋から、若い娘の泣き声を聞いたことがある」
「見たこともない幌馬車を見かけた」
「定期的に、関所の様子を探りに来る人相の悪い男がいる」
その言葉の断片を繋ぎ合わせた末、ようやく一つの店に辿り着く。
空き家のように廃れたその店の、隣にある納屋の扉を、騎士団長が力任せに蹴り破った。
「騎士団だ。誰かいるか?」
その瞬間――
薄暗い奥から、鎖の音が微かに響いた。
「……騎士様? 私はここにいるわ」
小さく掠れた声が、暗闇の中から返ってくる。
その声に、公爵の背筋がぞくりと震えた。何よりも聞きたかった、愛しい娘の声――
「セレスティア……! セレスティアなのか!」
その名を叫び、駆け寄ったその先に、見るも無残な姿の少女が膝を抱えていた。髪は伸び放題で、頬はこけ、衣服は汚れ。けれども、その双眸だけは、父を見て大きく輝いていた。
「……お父様……?」
その瞬間、騎士たちの間から、安堵のため息が漏れた。
騎士団長の目が鋭く光った。
「犯人どもは?」
「拘束済みです。女は店の奥で。男は森へ逃げようとしたところを捕えました」
「連れて来い。国王の名のもとに裁く」
「私はセレスティアを医者につれていく。後は任せる」
犯人夫婦が騎士団長の元に連れてこられた時には、公爵の姿はそこになかった。
セレスティアを抱え上げ、城壁内にある病院に駆け込んだ公爵は、
「痩せていますが、栄養状態はそれほど悪くありません。特に心配するような怪我も病気も見当たりません。栄養のあるものを食べさせれば、じきに回復するでしょう。そして、何より……ご令嬢は性的暴行を受けておられないようです。監禁時間の長さから考えると、これは奇跡です」
という医師の言葉を聞いた公爵は膝から崩れ落ち、人目もはばからず声を上げて泣いた。
「……よかった……! 本当に……よかった……!」
その光景を見ていたアデルはその場に立ち尽くし、拳を強く握った。
これが――公爵家の令嬢が受けた仕打ちかと。
そしてその日、風は大きく変わった。
セレスティア救出の報せが風のように駆け抜け、辺境伯の城に再び緊張が走った。
公爵は騎士団と共に、セレスティアを抱いたまま堂々と城へと入る。
従者たちはざわめき、召使たちは青ざめて立ち尽くす。
「……な、なぜ……あの娘が、ここに……? やはり、あの娘が……本物の……」
誰かが震える声で呟いた。
「なぜ? 貴様らこそ、なぜ我が娘を追い出したのだ?」
公爵の怒号が響いた。
それは、怒りに燃え、すべてを断罪せんとする、父としての咆哮だった。
奥の間で、偽令嬢と化けの皮が剥がれかけたエレンが、捕えられていた。
かつてのような余裕はない。顔色は土気色にくすみ、衣装だけが滑稽に浮いていた。
「ちょっと、芝居の練習をしていただけじゃない……みんながちっとも気づかないから、そのまま演技を続けたのよ……。私は悪くないわ! ……気づかないみんなが悪いんだわ! それに、私は、公爵令嬢を追い出せなんて、一言も言ってない!」
取り乱し、床にすがりつくように叫ぶ彼女はもう演技をしていなかった。
誰よりもその言葉に震えたのは、傍らに控えていた使用人たちだった。
「あ、あのとき、お嬢様は簡単な服装だったから……」
「まさか、本当に公爵令嬢だったなんて……っ」
震える声で言い訳を始めるが、公爵は冷ややかに見下ろすのみだった。
「貴様らは、娘の服装だけで判断し、話も聞かず城から追い出した。その上、我が妻を薬で縛り閉じ込めた。その罪、償っても償いきれるものではない」
辺境伯――セレスティアの祖父にあたるその男は、血の気を失った顔で、何も言えず立ち尽くしていた。
彼の判断力と観察力の欠如が、全ての発端であった。
「……私は、知らなかった。そんなことに、なっていたとは……」
「知らなかったでは済ますつもりはありません。あれほど品のない娘の嘘も見抜けぬとは、貴族として失格ですよ。――いや、祖父としての資格もない」
その言葉に、辺境伯は傍目にわかるほどに肩を落とした。誰よりも高位にある男が落胆する姿に、誰も声を出せなかった。
そして、裁きの時が来る。
偽令嬢――本名をエレンというその娘は、
城から連行され、処罰のために広場へと連れて行かれた。
王命により、処分は「貴族詐称の罪による公的晒し刑」。
それは、罪人の首に板を下げ、その名と罪状を民衆の前にさらす、もっとも屈辱的な刑だった。
「この女は公爵令嬢を騙り、貴族の名を汚した詐欺師である――」
罪状が読み上げられると、広場に集まった民衆はざわめき、やがて怒号が飛び交う。
「辺境伯様を騙すとは罰当たりな奴だな!」
「本物の令嬢を追い出したのか! 鬼畜だな!」
「あれは、芝居小屋のエレンじゃねえか! 城で貴族相手に芝居をするとは、たまげた根性だな!」
人々の罵声が、容赦なく降り注ぐ。
エレンは、首から板を下げられ、罪人の衣装を着せされ、広場の中央に立たされる。
その板には、赤い文字でこう書かれていた。
「私は公爵令嬢を演じ、人々を欺きました」
エレンは反省した顔をしていたが、内心は笑っていた。
(なんだ、数時間、このまま我慢すればいいだけじゃない。案外軽い罰だったわね)
だが、その楽観的観測は裏切られた。
彼女は「辺境伯領全域の市街をその姿で引き回す」と言い渡された。
首から板を下げたまま、馬に乗って町から町へ、村から村へ。
これは、処罰というよりも、この女に騙されている者は他にいないか、調査することが趣旨だった。
実際、こちらの方がエレンには堪えた。すれ違うものは、汚いものを見るような目を向けていく。ほとんどの者が軽蔑の表情を浮かべた。
こうして、エレンのかつての虚栄の影は、見る影もなく消え去った。その後、彼女は死罪になった。
使用人たちもまた、それぞれの罪に応じた期間、牢に入れられた。その期間は長いものだったが、彼女たちは。死罪にならなかっただけでも幸運だったと、真面目に牢内作業にいそしんだ。
彼女たちが死罪を免れたのは、セレスティアが純潔を失っていないことを、対外的にアピールするためだった。監禁事件のことは、かん口令が敷かれていたが、人の口に戸は建てられず広まってしまったのだ。
城の使用人たちが死罪を免れたことで、セレスティナの被害が“ただ悪党に監禁されていただけだった”と一応辺境では信じられた。
そして、辺境伯家は――
その権威を大きく損ね、王の命により一時的に城を明け渡し、捜査が入ることになった。
名門の名は地に堕ちた。
end