15 カイエルはセレスティアを救いたい
その日の夕方、語学の授業が終わったあと。
隣国の王子であり語学教師でもあるアデルは、紅茶を淹れながら静かにカイエルを見た。今日、セレスティアは公爵と王宮に出向いて不在だ。
休みにしようかと問われたが、一人でも授業をして欲しいと、カイエルは頼んだ。
「今日は、ずっと難しい顔をしていたね。何か、セレスティアに言えないことがあるのかな」
カイエルは少しだけ迷ったが、口を開いた。
「セレスティアの噂を聞いたんです。王宮に来ていた貴婦人たちが酷いことを言ってた。『もうセレスティアは嫁にはいけない』って」
アデルの手がぴたりと止まる。
カイエルは苦い顔で続けた。
「俺は何も言えなかったんです。ただ、そこに立っていただけで。自分が情けないです。セレスティアのために、俺に出来ることがあるでしょうか?」
縋るように言ったその声に、アデルはしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと微笑む。
「カイエル。僕はね、王族と言っても外国人だ。君の国の貴族社会で、何かを変える力は持っていない」
「はい」
「だけど、君は強い味方を持っている。もし、セレスティアを救いたいなら、君の兄上に相談してごらん」
「兄上に?」
「彼はきっと、君に頼られると喜ぶと思うよ」
◇
翌日。
王太子リオネルは、執務室に姿を見せたカイエルを、最初は少し驚いたように見つめた。
けれど、すぐに微笑んだ。
「どうしたんだ、君が訪ねてくるなんて、珍しいな」
「相談に乗って欲しい」
カイエルは兄の瞳を見た。
「兄上はセレスティアの噂を聞いたことがある?」
「直に聞いたことはないが、だいたい想像はつくよ。未婚の貴族女性が監禁されたとあっては、貴族どもがおもしろおかしく噂をするだろうな。それが高位貴族の令嬢となると猶更だ」
「セレスティアのために、何かしたいんだ。噂を消せるような、何かいい案がないだろうか」
リオネルは探る瞳で弟を見た。
「君なら、未婚女性であるセレスティアが監禁されていたということを、どう捉える? そんな女性は嫁に貰いたくないか?」
「気にしない。俺だって、監禁されていたのだから」
リオネルは目を見開き、しばらくの沈黙のあと、ゆっくりと立ち上がった。
きっぱりとした目で、弟を見つめる。
「それでは、舞踏会だな」
「舞踏会?」
「いいか、カイエル。王太子主催の正式な舞踏会で、君がセレスティアとファーストダンスを踊ればいい。その後、わたしもセレスティアと踊ろう。それだけで、誰も何も言えなくなる」
「え? そんな簡単なことで?」
「わかってないな、カイエル。そんなものだよ。さあ、決まりだ! それまでに、ダンスのレッスンをしとけよ! さっそく日程を決めて、招待状を発送しなければな。招待客のリスト作りと、招待状の発送は母上に、会場の手配は父上にさせよう。罪滅ぼしにこき使えばいい」
「ちょ、兄上……!?」
やけに楽しげに予定を立て始める兄を前に、カイエルは動揺した。
けれど、その胸の奥にはあたたかな火がともっていた。
◇
ある日の昼下がり、セレスティアは一人で王宮の小道を歩いていた。
すると、向こうから若い貴族の令息が二人連れ立って歩いてくるのが見えた。
彼らとは、以前何度か、言葉を交わしたことがある。
「こんにちは」
セレスティアは明るく声をかけた。だが、二人は一瞬言葉を呑み込み、目配せをした。そして、曖昧な笑みを浮かべた。
「お噂は、かねがね」
「ごきげんよう。あいにく、これから少々、兄のもとへ急いでおりまして」
片方が軽く頭を下げ、もう一人はそれに続くように軽く会釈した。
それだけだった。
セレスティアが返事をする前に、彼らはそそくさとその場を離れていった。
「さすがに、ならず者に監禁されていた令嬢と、話をしたくはないな」
「同感だ。それがグランディール公爵家の令嬢でもね」
風がふわりと通り抜ける。風に乗ってそんな会話が聞こえてきた。
淡い花の香りが、ふいに遠くなる。
「そっか。私と話すのも嫌なのね」
セレスティアはぽつりと呟いた。
「気にするのはよそう」
しばらく立ち尽くしたあと、何事もなかったかのように歩き出す。
今日の空はよく晴れていたけれど、セレスティアの心は、少しだけ陰っていた。




